自ら死を選ぶということ

昨年2020年は芸能人の自殺が話題になった年で、SNS上でも多くの人が悲しんでるコメントを見た。

その中でも多かったコメントは
「周りに相談できなかったのか」
「何かしてあげられる人はいなかったのか」
「誰か気づいてあげられなかったのか」

など。

芸能人でなくても、一般人が自殺した場合でもよく聞く言葉だと思う。


自ら死を選んでしまう人の理由には、中には投資に失敗したり借金で怖い人に追いかけられてるなどの、お金が理由の場合もあるだろう。
私は鬱が悪化しての自殺願望しか持ったことないので、その事について書く。


私が思うのは、鬱が悪化して精神的にとてもしんどくなり、死んでしまいたいと思うような状況になった時に、友人や家族などに助けを求められる人は少ないと思う。
そうなった時点で全世界に失望し、将来への希望も失っていて、周りの人たちへの期待もやめてしまっている場合が多い。
だから「この世からいなくなりたい」という発想に至るわけで。

もし家族などに相談できて、「大丈夫だよ」との言葉をもらえた場合でも、すでに受けているダメージが多すぎて拭いきれない場合。
その場合も失望、怒り、悲しみ、苦しみ、などネガティブな感情に飲み込まれてしまって、すぐに元気になることなんてできない。

なので冒頭で書いた他の人が抱く疑問、「何かしてあげられる人はいなかったの?」に対する答えは、「いない」となる。


思春期などで「死にたい!!」って怒ったり悲しんだりしてる子でも、ちょっと寄り添って話を聞いたりしたら立ち直ってくれたよ?と思う人もいるだろう。
確かにそうだけれども、それはその人の心が壊れきっていない場合。

「死にたい」と口に出してみるものの、心の奥深くではそんな事を思っていなくて、単に沈んでいる状態になってしまっているだけ。
私からすれば、他人に助けを求められるエネルギーがあるのがその証拠。

そういう人たちが必ずしも誰かにかまってほしくて、オーバーリアクションしているとも思わない。確かに一度はそんな気持ちが心に現れたから「死にたい」発言に至るはずで、何かしら悩みや悲しいことがある。なので、それを誰かに話すことで元気になり、そのまま人生を続けていける事はとてもいい事だと思う。



では本当に実行してしまう人の場合。

周りに残された人にとっては、それはそれはもう最悪のシチュエーションになること間違いなしで、特に近くにいた人たちは「なんで気づけなかったのか」と自分を責めるだろう。

自殺願望を10歳から持ち続けているエキスパートの私に言わせると、自分を責めないでほしい。
そんな状態になるまで病んでしまう原因はだいたい1つじゃなくて、幼い頃からの積み重ねである事が多い。
もし心当たりがあるなら、あなたが原因の一つである可能性は否定できないけど、絶対にあなただけが原因ではない。


幼少期から何らかの理由で自己肯定がとても低く、自分を愛せないまま大人になってしまい、何かに失敗したりすると一気に低自己肯定に食いつぶされてしまう。
自分はやっぱり価値がないんだ、という暗い暗い場所に入りきってしまって、それは他の人が引きずり出すことができない。
自分の力で一回は抜け出す事に成功してみるものの、心の一番深い部分にある幼い頃の傷は完治する事なく、何かの拍子でまた姿を表す。
そして、次の「鬱の波」が来ると、また更に深いところへ・・・。

私はこの状態になっている時は、友達に相談することはできない。家族にはとうの昔から何も相談していない。一番近い存在のパートナーですら跳ね除けてしまう。

幸い、今の所は時間がかかってもなんとか抜け出す事に成功しているが、抜け出せなくなる日が来るかもしれない。
そうなったら、私は自ら消える事を選択するだろうなあという確信はある。


もう一度言うけど、芸能人であれ誰であれ、借金などではなく、いきなり一番悲しい選択をしてしまう場合、周りの人は自分を責めないでほしい。
その人に少しでも希望があれば、誰かにヘルプを求めていたはず。旅行に出るなどして気分転換できるエネルギーがあったはず。
その選択をしてしまうということは、昔からの嫌なことや辛いことが積み重なって、リミットを超えて溢れ出てしまい、それがその人の周りにとても硬いバリアを張って、自分でも破れないし誰も入れない殻みたいになってしまったとういうこと。
そしてその人は、生きたいという希望を完全に失ってしまっている。

そうなると、何が原因かなんて分からない。
小学生の時に誰かに言われた言葉、思春期で誰かにフラれた思い出、大人になってからした仕事の失敗・・・など、全てが積み重なっているから、今までの全てが原因となる。

自己肯定が低いまま育ってしまったのだから、幼少期に自分を愛することを教えてもらえなかったし学ぶ機会もなかったのだから、大人になってからの失敗などがメンタル悪化に働くのは当たり前の事。
成長過程で誰かに自己肯定を高くする手助けをしてもらえたり、何かに出会って鬱状態と完全にオサラバする事ができたなら、その後は自殺願望なんてなくなるだろう。
でもそれが残ったまま大人になってしまう人は実際に存在する。



大好きだった友人が自殺した時、私は自分を責めなかった。

実際に彼と一緒に過ごした時間は1年弱。ニュージーランド最後の1年、私が荒れに荒れていた時に出会い、白人とマオリ族がほとんどの小さい街で出会った数少ないアジア人の友達だった。

毎週末のようにバーに出かけ、踊りまくって笑いまくって、次の日は二日酔いに良さそうなアジア料理を作ってくれた。
ニュージーランドの田舎町に突如移住したアジア人だし(私もだけど)、母国の事は詳しく聞かなかった。多分、話したいことだけ話してくれた。
なので私は彼の事を詳しくは知らなかった。

台湾に移住後も、メッセージはしていたけど、だんだん頻度が減っていった。忙しいのかな?くらいにしか思わなかったけど、彼は亡くなる数日前に私の夢に会いに来てくれた。
その時の夢は決して楽しいものじゃなく、ものすごく苦しそうな顔をしていて、夢の中で走って追いかけたけど追いつけなかった。

あの時もしかしたら彼はヘルプを求めていたのかもしれない。でもそのだいぶ前から彼から返信がなかったので、私はメッセージしなかった。

彼が私達がいつも遊んでいた場所で命を絶ったというニュースを聞いたあと、それはもうものすごくヘコんだけども、自分を責めてはいない。
あとから聞いた話では、母国で何か色々と問題があったらしく、逃げるようにニュージーランドへ来たとのこと。
その部分に関して彼がもしヘルプを求めていたのなら、誰かに話していただろう。
でも彼はしなかった。

もう7年くらい前の話だけど、私は今でも彼に対しては感謝しかない。
私がかなりしんどかった一年を一緒に過ごしてくれ、おいしいご飯を作ってくれて、人生に関してもかなり色んな事を教えてくれた。
何より「中国語勉強したいなら台湾がいいんじゃない?」っていう彼の一言のおかげで私は今本当に楽しい毎日を送れている。
彼はあの時あのタイミングで私の前に現れて、私を救ってくれた。

スピリチュアル界では、自殺っていう選択をしてしまうと、次に生まれ変わるまでものすごく時間がかかると言う。してはいけない選択なんだそうで、まずは天界で反省させられるとのこと。

でもニュージーランドっていう世界の果ての国の、あんな小さな田舎町で出会えたんだから、来世でもきっと出会えて、またアホな話いっぱいして笑い会えるって信じてるから、もう寂しくはない。
来世でもシンガポールチキンライス作ってね。

Hope you are resting in peace my friend.


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