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だから、今日を生きる

12月に離婚した元夫から
「 離婚したことは間違いだったかもしれないね 」
と、連絡がきた。

彼は、親とか、子育てとか、話し合うこととか、あらゆることに、向き合うことを避けつづけてきたひと。
30歳。2児の父。

人生に意味とか、運命とか、そんなものを求めるひとで、最後は
「 自分にはもっと、ありのままの自分をみてくれる、運命のひとがいるはず 」
とおもっていたとおもう。

わたしは、人生に意味はないとおもう。

いつか死ぬその日まで、自分の隣にいるひとを、しあわせにする。
歳をとったら、隣のとなりのひとのことまで、考えてあげられたら、もっといい。
時間は貯金できないから、いまをたのしくする。
それが、生きることなんじゃないかとおもう。

わたしも、意味を求めてた時間があったけど、それは生きる理由がほしいだけだったとおもった。
自分は、生きる価値があるんだと、おもいたかったとおもう。

でも、もっともっと、簡単なことなんだとおもう。
生きる意味もなくていい。価値もなくてもいい。
運命もなくていい。ないほうがいい。

あしたがわからないほうが、きっとがんばれる。
だから、彼も、失敗だったなんて、過去に立ち止まらないで、いまを生きてみてほしいなとおもった。

どんな今日にしようか、どんな風に生きるか、運命じゃなくて、自分で決められるほうがずっといい。

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