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『君たちはどう生きるか』を観た

『君たちはどう生きるか』を観た。
事前予告や広報がほぼされていなかったが、それにはきっと意図があるはず…と公開後なるべくネタバレを踏まないように過ごしながら、できるだけ早く観に行けるタイミングが無いか、窺っていた。
公開後初めての日曜日、演奏会の練習後に案外元気だったこともあり、観ることが出来た。
そして、スタジオジブリ(鈴木P?)の意図を思い知るところとなった。

⚠️色んなところで色んな方が書かれていますが、この映画はほんとにネタバレや事前情報を何も仕入れずに観るべきだとわたしは思います⚠️

⚠️以下盛大にネタバレしています⚠️
⚠️未見の方は今すぐバック⚠️

それでも感じたことを書きたかっただけの徒然なる文章、スタート。

小さい頃からジブリと共に育った、という自覚がある。
「あんたトトロのビデオ何回も何回もずーっと観てたで」と何度親に言われたことか。
『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『猫の恩返し』は親に連れられて、『風立ちぬ』は大学生の頃自分で、また『もののけ姫』と『風の谷のナウシカ』はコロナ禍での特別上映で、それぞれ映画館で観た。
これらの作品以外にも、金曜ロードショーで『天空の城ラピュタ』をやる時はほぼ必ず観ていたし、『魔女の宅急便』『耳をすませば』『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』『紅の豚』だって欠かせない。
これらの作品はいつだって心躍る体験をさせてくれた。(『火垂るの墓』は「心躍る」とはまた違うが…)

『君たちはどう生きるか』は、これらの映画のエッセンスの盛り合わせだった。盛り盛りで濃厚だった。その上で紡がれる新たな物語。これらを彩るのは、スタジオジブリ本気の繊細で綺麗な作画たち。(←これを観るためだけでも映画館で観る価値は十分にある)
だからこそ、宮﨑駿監督の次回作は今度こそ無いのだろうな、と容易に想像がついた。

冒頭、東京の牧家の階段が草壁家の階段に似ている。
疎開して引っ越す先が、トトロの里山の風景にしか見えない。(これが宮﨑監督の原風景なんだろうなと思うとなんか泣けてしまった)
引っ越した先の母屋は油屋に見えるし、別邸の洋館の内装はハウルに出てきそう。
そして真人が転校する先の学校が、サツキの転校した小学校にしか見えない。
お屋敷に仕えるおばぁ達はトトロやハウルや千と千尋で見たことがあるような。タバコのんでるし。
庭の森や、森に繋がるトンネルはトトロ(割とまんまトトロだったような)。庭にある池や、途中出てくるやるせない面もある生存戦略の話(これは普遍的なテーマかもしれない)はきっともののけ姫から。
下の世界の洋風建築は、魔女の宅急便やハウルの世界。植物が多いからキキの実家が一番近いかな。
カラフルな意志をもった石(ダジャレじゃないつもり)はきっとラピュタからのオマージュ。
海の向こうの幻の船団は紅の豚。
わらわらはこだまっぽいなぁと思っていたらもっと直截的な「(これから生まれる)いのちそのもの」であった。可愛かったのでグッズ出たら買う。
王様の温室はハウルの師匠の居室に似ている。(あとどこかのシーンで「魔法剥がされるとこやん…」になった覚えが)
久子が神隠しから帰ってくるシーンが金色の原っぱの中での帰還で、ナウシカかーい!!と映画館で思ったのだが、それはつまり宮﨑監督の中で一番描きたいヒロイン像はナウシカの頃から変わっていないということなのでは??と数日経ってから思い至るなど。
ヒミ、宮﨑監督の理想のヒロイン要素全部詰め込んでる感あるもんな。実は真人の母の若かりし頃、というところまで込みで。時空を超えて息子と出会い、接するうちになんとなくで息子と気付くのは(理想の)母故か?「実は母親はどこかで生きているのではないか?」という息子の僅かな期待を砕き、一緒に過ごすうちに真人を成長させるのもヒミなんだろうけど。
あと…真人がたぶんそれなりにイケメンな作画なのと声優さんの声質が似ているのもあって…アシタカに…似てる…と思い始めたら止まらなくなった…orz

分からないことだってある。
例えば墓。
主は誰で、起こすと何が起きるのか。
ナツコの産屋の後ろ側に墓のモチーフがあった気がするのは気のせいか見間違いなのか。
そもそも、久子・ナツコ・真人の一族はどういう時に塔に魅了されてしまうのか。人生に思い悩んだとき?
おばぁ達はもっと知っていることがあるのではないか?

ラストで主人公がどういう選択をするのかは、物語に没入しているうちになんとなく読めてしまうけれど、それにしてもバルスよりもあっけなく、大叔父がつくりあげたファンタジーの世界は突然に壊されてしまった。
母を亡くし父が母の妹と子どもをつくって再婚し、継母には心を開けず、転校先でも馴染めず、情緒不安定だった真人は、母の死を受け入れ、継母を受け入れられるくらい成長して、下の世界の継承者にはならないと決めて還ってくる。
千の持たされた組紐よりもある面で強力なお守りのお陰で、真人は記憶を失わずに現実に戻ってきた。記憶を失わなかったとはいえ、体験したことは徐々に忘れていくらしい。

それから何年か経って戦争が終わり、牧一家が東京に戻るところで、物語は幕を下ろす。この大冒険を真人が覚えているかどうかに関わらず、現実は続いていく。

宮﨑駿監督作品がおそらくこれ以上出てこないであろう中、この最後の作品をどう解釈するのかは、観る側に委ねられているのだろう。わたしはそう捉えることにした。それが「わたしたちはどう生きるか」に繋がるのだろう、と。

わたしに想像する余白の存在やたのしみを教えてくれ、与えてくれたのは宮﨑駿監督作品だったとしみじみと感じる傑作であった。
この作品から貰ったものを、宮﨑監督作品から貰ったものを、まだまだ言語化できていない部分も沢山あるが(故にこのnoteもちょこちょこ書き換えるかもしれないがw)、ずっとずっと大事にして生きていきたいと思う。

ジブリ作品の良いところは観る時々によって見方や解釈が変わること。
パンフレットが発売されたらもう一度観ようかな。

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