迷惑の境界線

子どもって、大人が思うよりずーっと寛大だなーと思うことがあります。

例えば、パワーがありすぎて、友だちに関わりたくて関わりたくて仕方ない子がいたとして、
大人から見ると迷惑なんじゃ…と思う関わりをしてたりすることがあります。
過剰なちょっかい出したり、教えてー!手伝ってー!とガンガン絡んでいったり。
嫌だろうなー、迷惑だろうなー、とこちらはヒヤヒヤしてるのですが、
当人に聞くと意外と面白がってたり、柔軟に受け止めてたりします。

迷惑なんじゃ…って関わりを止めないで見守っていると、上手く受け流したり、面白い時には一緒に盛り上がったり、時にはケンカしながら、どちらの子もどんどん成長していくのです。
ちょっかい出されてる方も、楽しそうだし、自然にいろんな子の存在を受け入れられるようになるし、何より人間に幅が出てくるように見えます。

子どもって本当に不思議で、子ども同士の関わりでどんどん成長していきます。
子どもって大人が思うよりずっと寛大で、柔軟で、何でも面白がれる存在だと気づかされます。

そんなわけで、
大人が思ってる「境界線」は、ズレてる可能性が高い
と思います。

一方で本当に迷惑で困ってて嫌がってて、でも我慢しちゃうパターンもあるので、見極めは必要です。

迷惑だと感じるポイントも人それぞれだし、
迷惑の境界線ってホントむずかしいです。

難しいので、こちらが勝手に判断しないシステムを作りたいなと思っています。
私が意識してるのは、

★「嫌だったら嫌って言っていいからね。」と伝える。
★「困ったら絶対助けるから言ってね。」と伝える。
★「嫌だ、やめてって言われたらやめるんだよ。」と伝える。

で、それができるようになってもらえれば、余計な推測で動く必要はなくなるので、そうなるのが理想だなーと思ってます。

そして、
★「迷惑かけられてる人」ではなくて「助けてあげてる人」なんじゃないかという視点を持つ。
ようにしています。

人の役に立つって嬉しいことなので、もしかしたら役に立てて嬉しいと感じているかもしれないのです。
なのに、こちらが「迷惑だよね??」っていうスタンスだと、

人に何かしてあげること=面倒=迷惑

という価値観を植え付けてしまう恐れもあります。

悪意のある迷惑は、さすがに寛大な子どもでもちゃんと嫌がってくれるので、そこは瞬時に助けるから別として、
「誰にも迷惑かけないぞ!!」
と頑張りすぎるより、
お互い、多様な個性を受け入れ合って、持ちつ持たれつな社会になると良いなーと思います。

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