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人は何かを信じないと生きていけなくて、自分が分かる範囲にあるものしか信じることが出来ない

知っている中で一番良さそうなものを選択し、間違える。正解を知らない人が正解を選択することは出来ないから

生まれて数十年の人間が、数千数万の人類史に立ち向かうには知識が足りない。自らの浅知恵に頼らず、天命を信じて運で生きるなら、その人は死ぬまで連続で当たりを引き続ける必要がある。それは現実的ではないので、運で生きると決めた人は、正解を知っている誰かの選択に頼って、それをラッキーと呼ぶ

例えば、神頼みで生きるには、大勢の周りの人々に支えられる必要があって、生き延びたのは周りの人達の努力と選択のおかげなのに、神様に感謝し、自分の勘の良さに手応えを感じる

人事を尽くして天命を待つ と言うように 人は最後の最後は運に頼ることになるんだけど、 「連続で100回幸運が続きますように」というような願い方はラッキーの限界を超えていて、現実的ではないので、ある程度のラッキーが続いて生き延びたあとで、不運で死んでしまうことが確定している

そういう願い方をしている人を生かす為に、ラッキーに見えるような正解を裏で選択し、サポートしている人がいると考えられる

「正解なんてあるの?何をしてもそれはある意味不正解だし、ある意味正解でしょう?立場や思想によって変わるよ」 という人は、この話の言わんとすることを理解出来ていない。ラッキーをラッキーとして受け入れてそこで思考停止している。

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