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お久しぶりです

1 最初に


 10月から更新が途絶えていたnoteですが、久々に更新しようと思います。
 前回の更新から今回の更新に至るまで、人生で初めての辛さを味わい、正直生きることさえ辛いと感じることが多かったですが、何とか少しずつ立ち直りつつあります。

2 10月

 10月は、勤め先の決算期でした。
 私は、初めての決算業務でしたので、業務が分からないことだらけであり、かつマニュアルも具体的な指示もないまま言われるがまま作業した結果、間違いだらけで怒られるという負のループに入り込んでしまい、完全に自分のキャパオーバーでメンタルをやられ、部内でも完全に孤立してしまいました。
 余りの辛さに会社を早退して初めて通院した心療内科では、あっさりと『適応障害ですね。診断書を出しますので休職して新しい職場を探された方がいいです。』と言われてしまいました。
 
 正直、このタイミングで妻や子供がいなかったら即会社に提出して休職→退職していたでしょう。
 ですが、一家の大黒柱として、それだけはどうしても避けたいと思い、心身をすり減らしながら毎日通勤して最低限の仕事をこなすことを繰り返した1か月でした。

3 11月

 11月に入ったら状況は上向くかと期待しましたが、心身共に10月をさらに下回る日々でした。
 一番辛かったのは、上司から間違いを指摘されて修正点を説明するよう言われ、説明するための資料を作成して説明しようとすると、資料を見ることなく「どう直すの」と言われ、説明すると「資料がないから君の説明では分からない」と矛盾したことを言われ続けたことです。
 
 この時、自分がいかに無力で情けない存在かを思い知らされ、完全に自信を無くしてしまいました。
 そして、出勤時から涙が止まらなくなったり、出勤しても呼吸すらしづらくなるような感覚となり、とうとう自分の席に座ることさえ辛くなってしまいました。
 そこで、今度はセカンドオピニオンとして別の心療内科に通院したところ、今度は「うつ状態」と言われ、そこでも診断書を出されたうえ、休職を勧められました。
 さらにその数日後、以前記事で距離を取ることを宣言していた実家の弟から、母が倒れたという連絡がありました。
 その日は、息子の誕生日でしたので、どれだけ自分は試されているのかと崩れ落ちそうになりましたが、何とか耐え凌いで弟に指示を出し、母を入院させることが出来ました。

 心身共に限界を超えており、休職しようかどうしようか真剣に悩みましたが、いっそもう一度転職しようと考え、転職先を確保してから休職してやろうと思い、仕事はそこそこに人生2度目の転職活動を本格化させました。
 転職活動を続けるうちに、ほんの少しづつ将来のことを考えられるようになり、心身共に少しづつ回復していくようになりました。

4 12月

 12月も心身共に低空飛行が続きました。
 転職活動を再開したものの、そう簡単に転職先が決まるわけもなく、応募しては1次選考で落とされることを繰り返しました。
 仕事では、新しく任せられたプロジェクトの進行について、相変わらず上司の指示が二転三転して振り回されっぱなしでしたが、説明会も何とか無事成功し、上手くプロジェクトが進行できるめどをつけることができ、個人的には勤務先に1つでも足跡を残せたことに少し満足しました。

 そして、穏やかに新年を迎えたいと思い、少しずつ調子を取り戻しつつあった年末、新型コロナウイルス罹患という最悪のラストを迎えることとなってしまいました。
 結果、年越しから新年にかけては自宅の一室に引きこもる生活を余儀なくされました。
 私は、布団の中で「今年を締めくくるに相応しい最後だな」と思い、悲しむ元気もなく力なくうなだれるしかありませんでした。

5 1月

 年末年始を挟んで10日以上仕事を休み、気合十分で仕事を始めましたが、やはり上司とは上手くいきません。ですが、なんというかやり過ごし方が徐々に分かってきたこともあり、以前に比べて心身をすり減らすようなことはなくなったように思います。
 そして、上司のほかにもう一人合わない人物が分かりました。
 それは、私の先輩となる部下でした。
 以前から部下から説明を受けて仕事をこなしていましたが、大体その内容について上司に怒られること、その際近くに部下がいるため、部下の説明に問題があることは部下も分かっているのに助け舟も出さずに無視することに今さらながら気づいたのです。
 
 このことに気づいてからは、ますます転職活動に力が入るようになりました。
 そして、妻も私のことを心配して知人に相談した結果、以前の職場でお世話になった方の事務所を紹介してもらえることとなりました。
 面接はこれからですが、採用前提の面接ですので、よほどの失敗をしなければ転職はできそうです。
 この紹介があってからは、急に心身が安定したように思え、今さらながら仕事がはかどるようになりました。
 また、母親も体調が回復して退院できたとの連絡もあり、ようやく底を脱したように感じています。

6 これから

 ようやく心身ともに少し余裕が出てきたので、色々なことにチャレンジしていきたいとも思えるようになりました。
 こうやってnoteを再開できたのも、激動の4か月をなんとか乗り越えたからに他なりません。
 10年後や20年後に人生を振り返った時、この4か月があったから今があると思えるように、ネジを巻きなおして頑張ろうと思っています。

 そして、これからはもっと人に優しくなりたいとも思っています。
 今回の経験で、人がいかに脆い存在かということが嫌というほど分かりました。
 自分は、数年前まではメンタルに問題を抱えることは想像だにしていませんでした。
 しかし、昨年はメンタルに問題を抱え続けていました。
 メンタルに問題を抱えながら生活することの辛さは、簡単には言葉にできない辛さがあります。
 この経験を他の人には決して味わってほしくないと切に思っています。
 ですので、これからの人生は人に優しく正直に生きていきたいとここに誓います。

7 番外編


 この4か月間、クルミちゃんは元気に私を癒してくれました。


珍しく水遊びした後のクルミちゃんです

 家族の支えがあっての私ですが、クルミちゃんも立派な家族の一員です。
 これからもよろしくと伝えたいです。


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