困難は「お知らせ」

(ある人から送ってもらった文です。
ご本人の承諾をいただき掲載します。)


困難は「お知らせ」なんだそうだ。

誤ったことをしたときに
親が子供を叱るように、

最初は優しく教えられ、
それでわからなければ、
次は強めに注意される。
それでもわからなければ
大きな声で怒られて、
それでもダメなら殴られる。

気づきなさいよ、
貴方が本当に向かう先は
そちらではないよ、と。

先日、月に一回くるアレの痛みを
ぎゅっとまるまって耐えてるときに、
昔の嫌な記憶がたくさん甦ってきた。

19歳、20歳の時に働いていた場所は、
年上の女性ばかりで、
なかなか大変な職場だった。

その中の一人に、
いじめられていたことがある。

35歳くらいの女性だったが、
何がきっかけだったのか分からない、
急に当たりが強くなった。

指導という名目で、
たくさん酷いことを言われた。

自発的に作った資料を
こんなものなら作らない方がよかった
と、人がいなくなってから言われた。

悲しくて泣いてしまって、
過呼吸になった私に
追い討ちをかけるようなことを言う人だった。

口さがない人が多い職場だったから、
周りは敵ばかりだと思って、
職場の誰にも相談しなかった。

弱音を吐けば
その人と同じ土俵に立つことになる。
それは悔しかったから、
とにかく、私は気にしていない、
大丈夫だと平気なふりをしていた。

でも状況は悪くなる一方。
欠勤なんかしたことない私が、
仕事を休みがちになった。

そんな時、
歳の近い女性が新しく入ってきた。
私が面接をして、採用に関わった人だった。

若いのに、色んな修羅場を経験してきた人で、私につらく当たっていた先輩は、
その人にも意地の悪いことをしたらしいが、
その人はすぐに社長に相談して、あっという間に周りを味方にしてしまった。


お陰で社長が、
私も同じ目に遭っていると気がついて、
上司と話す機会を設けてくれた。

色んなことが一気に解決に向かった。

助けを求めてもいいんだと、
その時初めて知った。

トラブルは解決した。
別のやり方もあるのだと知れて、
この機会は学びあるものだと思った。

だけどずっと何年も
意地悪なその人を恨む気持ちは
なくならなかった。

ヨガの中で、

「困難はお知らせだ」

と言われて頭では理解していたが、

やっぱり思い出すと
悔しくて、悲しくて、辛かった。

でも、
月に一度のアレの痛みに耐えながら
そのことを思い出していると、

不意に

あの出来事があったから、
私は私のやり方を変えられたんだ

と腑に落ちた。

もしあのまま、
自分が傷ついていることを認められず、
自分の弱さを押し殺して、
ただ我慢するやり方を続けていたら、

きっともっと大きな困難が
待ち受けていただろう。

困難はお知らせ、だ。

それが腑に落ちた瞬間、

その人に対する恨みも、
その時の辛い気持ちも、

スルッと服が脱ぎ落ちるように
無くなってしまった。

心が軽くなった。

毎月のアレの痛みはやっぱり私を苛むけど、
これも、お知らせだと思えば
なんだか前向きに捉えられる気がした。

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