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初めて彼に触れたいと思った日から3年がたっていた

「一緒にホテル行かない?」
その人からラインが来たのは3年ぶりだった。
他愛もない雑談、からの急な誘いになんだか笑ってしまった。
少し悩んで、面白そうだからいいよ、と返信した。

部屋に入ると夜景が見えた。
大きなビル、手前を流れる川、橋、街頭、そして赤い電波塔。
遠くの景色がゆらゆらと揺れていた。

乾杯、とグラスを傾ける彼はすでに少し酔っていて、前に会った時より饒舌だった。
なんとなく洋画を流しながら、狭いソファに一緒に座ってお互いの近況を少し話した。
聞きながら、彼のことを何も知らないと今更気付いた。
一緒にお酒を飲んだこともなかった私たちは、お互いがお酒に強いと思い込んでいた。
3年前に会社を辞めたあと、トマト嫌いなのにトマトを作っていたこと、最近初めてスタバに行ったこと、長く付き合っていた恋人と別れたこと。
そのすべてが知らない情報で、ちびちびとウイスキーを舐める彼の襟足は短く刈り込まれていた。

***

私の知っている彼は、手足が長くひょろっとしていて、気難しそうな顔をしている人だった。
いつも体より大きなサイズの服を着て、染めたことのなさそうなまっすぐの黒髪を後ろで一つに縛っていた。
万人受けするわけではないが、妙に色気のある人だなと思っていた。
飲み会でいつも人に囲まれている彼が、二次会にも行かず帰ろうとしていた私に声をかけたのはただの気まぐれだったんだろう。
私たちはどこに行くでもなく、駐車場の端っこに座ってただ喋っていた。
「あなたと話してみたいと思ってたんだよ」
そう言った彼に触れてみたいと思ったけど、自分から触れることができずに道端の雑草を見つめた。
ただ、彼の背骨と腕の血管が好きだなと思った。

***

お風呂入るでしょ、お湯溜めるね。
バスルームに向かった彼を追いかけると、広いバスタブとテレビがあった。
お湯の温度を確かめながら彼が「一緒に入る?」と聞いた。
笑いながらやだよ、と返すと、彼も笑いながらそうだよね、と言った。
笑った顔は少し安堵しているようにみえた。

つけっぱなしの映画は終盤を迎えていた。
きちんと見ていたわけではなかったけど、結局主人公の名前も覚えられなかった。

二人でベッドに寝転び、部屋の電気を暗くする。
お互いの髪の毛を弄びながら、静寂の中で彼の息遣いを感じた。
なんで、とか聞きたいことはたくさんあるはずなのに言葉にならなくて、すべて暗闇に吸い込まれていった。
なんか不思議、と彼がつぶやく。
彼がどんな表情をしているのか見えないけど、そうだね、という言葉を飲み込んでキスをした。
柔らかく受け入れられる唇に、随分遠くまで来てしまったな、と思った。


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