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言えなかった


今日はカラオケに行った。久々にボカロ曲を聴いて大声を出したい欲が高まったからだ。私は月に一度はカラオケに行かなければ気が済まない人間だ。アパートでは出せない大声を出して歌う練習がしたい。鍛えたい。私は歌唱力を人生かけて向上させたいので、歌の練習は優先事項である。

今日行こうと決めた理由の中には、月が変わりカード代がリセットされたことがある。近所のカラオケ屋は狭いのに高くて理不尽だ。これでは月に一度くらいしか行けない。地元はもっと安かった気がするのにな。そういえば、地元のカラオケ屋からまだメルマガが届く。テレワークプランなど様々な商売を考えているようだ。田舎は安くて広くていいな。最悪カラオケなくてもいいもんな。その辺の田んぼの中で歌っててもいいもんな。駅から離れたらなんもないんだから。小学校のだだっ広い校庭で歌ってもいいな。どうせ忍び込めるしな。

こちらのカラオケは平日昼間だというのに満室だった。30分待つと入室できるというので私は待つことにした。その間どこで暇を潰そう。そういえば最近喫茶店に行っていなかった。喫茶店に行こう。月変わったし。

月が変わると一気に心が解放される気がするが、ここで使いすぎてはいかんと当然思っている。喫茶店の飲み物は650円くらいした。コンビニのコーヒーは100円である。でも私は久しぶりだし!!!久々なんだし!!と自分を許し入店した。

その喫茶店は、コロナ禍前は同じサークルの仲間が働いていて、店員に知ってる顔が多かった。常連さんも多く賑わい、私も好きで何度も通っていた。だがコロナ禍を機に店長が変わり、店員も全員知らない人に変わってしまった。



その喫茶店にもう知り合いはいない。



ない金使ってわざわざそこに行く意味はあるのか。



と、いつしか足が遠のいた。




久しぶりに登る階段。見慣れた景色に、消毒液という少しの違和感。禁煙の文字。

店内に入ってみる。

そこには馴染み深い机と椅子、ソファ、カウンター。

カウンターに置いてあるアクリル板。厨房とカウンターの間に吊ってあるビニール。少し変わった展示物。変わらないメニュー。

あの喫茶店だった。
久しぶりに味わう感覚。

店員は知らない人だった。
当たり前だ。みんなどこかへ行ってしまったんだ。

ただ、ここは、喫茶店として、落ち着きのある良い場所だ。

私はこの喫茶店にはサークルの仲間が働き始める前にも通っていた。課題をやるのにちょうどよかった。その時は喫煙可だったので、煙草の薫りに包まれて息を吸うのが嫌な時もあった。そこも含めてなんか、よかった。知り合いがいなくても、私は喫茶店という場所にいるだけで安堵する心を持っていたのだった。肌が覚えていた。


私はカウンターから離れたソファの席に座った。久しぶりに眺めるほぼ変わらないメニューを眺め、少し悩んだ後、ホットチョコレートを頼んだ。


「ここは空調がちょうど風が当たる位置なので、お席移動しますか」


はい、と私は横の席にずれた。空調のことは別に気にしてなかったが、特にその席に居続けることに拘る理由もなかった。ホットチョコレートを待つ間、私は水を飲んで、店内とスマホを眺めていた。



カウンターにいた常連らしき男性が帰るようで、店員と雑談をしていた。

「メキシコのコーヒー新しく入ったの?あれ、メキシコ人?」

男性は、メキシコ産のコーヒーのポスターの絵の人物を指差して言った。


メキシコ産か。コーヒーはカフェインがよく回るので飲まなくなったが、味は好きなので様々な種類のものを飲んでみたい気持ちはあるな。もう全然飲まなくなったな。カフェオレとか、味は好きなんだけどな。デカフェしか飲んでないな。そういえば、メキシコにはあまりコーヒーのイメージないな。珍しいな。ポスター色鮮やかだな。


と思いながらポスターを眺めていたら、


「あのポスター、働いてるスタッフが描いたんですよ。絵が得意な人がいて」


いつのまにか常連らしき男性は帰り、私が店員に話しかけられた。


「えぇー、すごい。メーカーから送られてきたポスターかと思いました」

その時の私は、カラオケに向けて心身を解放していたからか、突然の振りに動じることなく普通に会話ができた。


「今、店内貸切状態になっちゃいましたけど、ごゆっくり」

店にいる客は、気づけば私だけになっていた。



ごゆっくり、、、

私これからそこのカラオケに行くんですよ。今それまでの30分をつぶしにきたんです。久々に来たんですよここ!店員さんとか色々変わったみたいだけど、店内とかメニューはそんなに変わってないですね!またこよ〜!








......


言えなかった。



気さくな店員さんはカウンターに戻り、私のホットチョコレートを作っていた。
貸切状態だった店内は、すぐに新しい客が来た。



ホットチョコレートは、美味しかった。




——————


カラオケの帰りに、割引になってる弁当でも買おうかと、バイト先のコンビニに寄った。

ひぐらしの園崎魅音似の副店長と、うちでは新入りだがコンビニ経験豊富なベテランで気さくなバイトさんがいた。


割引弁当の近くに前陳してる副店長がいたので「お疲れ様でーす」と言った。

「あれ珍しい。どっかいった帰り?」


いや珍しくないですよ!昨日もきました!私結構よくきます!会わないだけです!






......


言えなかった。


「一人でカラオケに行きました」
「うらやましいッッ」


そんなやりとりをした後、わたしはカゴに値引きシールの貼ってある食べ物を放り込んだ。お目当ての弁当は割引していなかったが、サンドイッチ50円引。ありがたい。
そのお会計は気さくバイトさんにしてもらった。


いやーすいませんね、値引きのもの多くて!お手間ですよねすいません!袋もつけてもらっちゃって!お疲れさんです!また!







......
言えなかった。

「お疲れ様です」

小声。








22歳最後の夜8時。

私は、その時思った言葉を、思った通りに言えない。

グァ グァー グ