せっかくnoteを開設したからキモ自語りでもしようと思い筆を取りました

最近の"推し活"って単語がやたら推されて、その界隈のコンテンツが展開されとるの、あんまり好きくないんですよね。

何かを夢中になって好きになる行為が世間に認められて、むしろそれをすることを勧められている感じがしませんか?
何かを熱狂的に好きになる(推す)ために、他人に認めてもらう必要はないし、それを良い行いとして他人に強要するべきではないし
好きなものは周りから何も言われなくても、気づいたら好きになってるものだとかんがえてます

好きなものを好きと主張していても近くの人間たちには特に共感を得られなかったのに一人で自分の"好き"を叫び続けてた小/中/高/大学生時代だったので、
最近やたらと"推し活"って単語を見る度に、うるせえと思っちゃいます。
こっちは勝手にやってんだからほっといてほしいですね。

ちょうど半年前の4月2日、私が主現場として通っていたアイドル現場が解散しました

大して現場に通ってたわけじゃないけれど、生活の主軸がその現場と推しメンやったから、
それがなくなってしまって、ぽっかり穴が空いちゃった気がして、
仕事がきつい時期やったのもあって職場とか人前で突然取り乱したり、業務時間中の職場でなんで私ここにいるんだろうと考え始めて被害妄想始まって大鬱かまして面談組まれたり、
今思い出せば面白いくらい病んでました 遊んでるときや家にいるときは落ち着いてたから分かりにくかったかもしれないけれど。
(時間が解決してくれて、それも2-3か月くらいであらかた落ち着きました。日にちぐすり、すごいですね)

現場が解散してからのこの半年間は、
めちゃくちゃ好きで打ち込んでるものがあるわけではなくて、他のアイドル現場に足を運んで、嫌いじゃないしむしろ好きなんだけどなんとなく一歩引いてしまっていて、心にぽっかり穴が空いて拠り所が失われたような状態です。

その解散した現場は、今まで好きになったものの中で初めて、ネット上じゃないところで同じ趣味を分かち合えたコンテンツやったから、
より思い入れがあって、自分の中で特別に扱いすぎてたのだと思います。

それでも、やっぱり他のものと比べ物にならないくらい楽しくて、汗だくになってへとへとになるまで体を動かして声がかすれるくらい叫ぶことができるくらい好きなものに、これから先出会うことはできるのかな?って考えてしまうくらいには特別でした。

それだけ特別だったのなら、代わりになるものは見つかるわけがないのに、なんでずっと穴が空いたままなのか

ここにきて、
この空いた穴は『何か好きなものに熱中している自分』なんじゃないかと思いました。
ただの自分は愛せないから、自分以外のもので満たすことができている自分じゃないと保てない
むしろ自分のことを認めるためのオタク行為だったんですね。やっぱり、他人に認められたくてやってるんじゃなかった。
なんだか歪んでるけど、今までのオタクスタンスを思い返してそう説明するのが一番しっくりきました。

どこまでも自分本位な"推し活"だからこそ、他人と比べたり争わずに、ひたすら自己満足に好きなものに触れていきたいですね。
なので、楽しそうなこと、面白そうなことには軽率にたくさん誘ってください。スポーツや人混み以外なら喜んで行きます

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