母の随筆 『特攻出撃命令出ず命拾いした義兄』
この3ヶ月の間に私たち夫婦の兄たちが相次いで亡くなった。くしくも兄たちは先の大戦で九死に一生を得た所謂生き残りであった。
私の兄は、硫黄島へ行くはずの輸送船が魚雷を受けて沈み、銃を持ち上げたまま泳いでいて、力尽きようとしたところを助けられ父島で終戦を迎えた。
義兄は兄より少し若く、志願の陸軍飛行兵。特攻出撃前夜の別れの宴の後、愛機の車輪に凭れて仮眠を取っていたが、明け方の出撃命令がなかなか出ない。そのうちに周囲が騒然となり、何と隊長が滑走路の真ん中で割腹したという。部下が止めようとしたが間に合わなかったという。終戦であった。
一日違いで出撃して死んでいった戦友もいたはず。生きて帰った兄たちも、心に深い傷を抱えながらの人生だったと思う。できれば忘れたい記憶だったに違いない。「皆、年を取って弱ってしまったから戦友会を解散し、記念のマフラーを分け合った」と義兄から見せてもらった白い絹布が強く印象に残っている。
(平成24年・筆)
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母にとっての実兄と義兄については以前このマガジンで取り上げています。
私にとっては母方の叔父、父方の叔父という事になります。
紙一重で生還したこの2人については両親から聞かされた印象深い話がいくつかあるので後々ここで書きたいと思っています。
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とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。