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生まれた日の戯れ言

バレンタインデー・イブ、今年もひとつ歳を重ねました。

昔はもっと嬉しかったと思います。
なんだか色んな人に「おめでとう」と言われ、ケーキをご馳走になり、プレゼントをもらい。

それが嫌になったとかではないのですが、一年に一度くらいしかこんなこと考える機会もないので、思うところを少し。

ひとつめ。

転職活動をしていることもありますが、3x歳っていうのは自分の市場価値を意識せざるを得なくなり、焦りがあります。
「お前はこれまで何をしてきた、新たな場所で何ができる、他の人と比べてお前を選ぶべき理由は」と問いたてられているのです。
一回目の転職であったような、「ブラックじゃない楽な仕事がしたい」「根性や精神論で押し通さない会社にいきたい」という後ろ向きな転職でも若いからなんとかなるような、もうそんなことはないのです。
後輩には非常に優秀な子達がたくさんおり、世の中ではデジタルネイティブな世代が仮想通貨や新しい技術をひっさげて、我々の世代を容赦なく無知なおじさんへと押し流そうとします。
彼らにないものを持ち、優秀な同世代と比べてもバリューがあると、そう主張するに自らは値するのか。
今さら焦っても仕方のないことですが、このままでは早晩役立たずとして狭い世界を丸めた背中で生きていくことになるでしょう。
しっかりと自身の積み上げてきたものと向かい合って、これから行きたい方向と、社会で求められていることを擦り合わせて考えていこうと思います。

ふたつめ。

もう「もらう」ことにそこまで喜びを得られなくなってしまったんでしょう。イベントや企画の幹事をたくさん経験したり、子供が生まれて彼女中心の生活に楽しさを見いだしたり。「与える」ことで、そこに関わった人に楽しさだったり満足だったり、喜びを感じてもらえることが、一番素敵なことだと気づいたんです。
よく、「やりがい」って言いますけど、たぶん「生きがい」と言ってもいいものです。好きな人に喜んでもらえることを自分ができる、その方が自分が生まれた日がきたことより、ずっと嬉しいのです。

でも、僕のケーキを娘に全部あげたら妻に怒られるんだろうな。

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