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渋滞と街の営み

私は結構、渋滞が好きだ。

スイスイ進むなめらかな車窓からの眺めももちろんいいのだが、それだと目的地にすぐに着いてしまう。

目的地にはすぐに着いた方がいい、と言う人が多いかもしれない。それは確かにそうなのけど、私は目的地に着くと、ああ、着いてしまった、といつも思う。

好きなのは高速道路よりも下道。例えば甲州街道。四車線に所狭しと車が並んで、両側にはいろんな店が立ち並ぶ。カーディーラーとか、センスの良いピッツェリアとか、なんとかファクトリーとか(なんの店?)、ガラス窓にプライスリストの描かれた小さな美容室とか。

車の中から店内も出入りするお客さんも間近に見える。すぐ横を小さい子どもを乗せた自転車で、お母さんらしき人が注意深く通り過ぎる。狭いのよねぇ、と不服が顔に書かれてるみたいにぷりぷりした様子で。たぶん、街とか暮らしがよく見えて、かわるがわる目の前に姿を現すのがおもしろいんだと思う。こんなに近い距離で、しかも堂々と人を見ることができる場所もない。

晴れていて太陽がさんさんとしているのが一番好き。雨は雨でいいんだけど、街の営みを感じるには、天気は良い方がいいかな。

渋滞が長引くと、車内では家族の放つイライラが充満してくる。飽きてきた子どもにもかなり手を焼く。窓の外をちらりと見遣れば、すれ違う車の運転席のお姉さんも機嫌が悪そうだ。そういうときには、困ったなぁ、やんなっちゃうよなぁ、と思いもするのだが、こればっかりは自分の手の及ばないどうしようもないことだからか、のんびり構えていられる。しょうがないよねぇ、混んでいるねぇ、もう少しだよ、と声をかけて。誰かがトイレに行きたいと言い出したときだけは冷や汗が出るけれど。

私は運転ができないので専ら後部座席で子どもの隣に座るか、ごくたまに、助手席。運転できたらどんなにいいたろう、と思うことはある。こないだ憂さ晴らしに夜の高速すっ飛ばしてレインボーブリッジ行っちゃったよ、なんて言ってみたい。けれど私という人は、機械の扱いが絶望的に苦手、方向感覚というものに見放されている、不器用な上に度胸もない、丁寧さもなければ思い切りも悪いと来ているので、私が運転しないことは世のため人のためになっている、ひいては平和に寄与している、と思い込むことで、車の運転へのわずかな未練を断ち切っているのだ。

今日も子どもの暇潰し(しりとりとかなぞなぞとかマジカルバナナとか)に付き合いながら、横目で見知らぬ街の生活を覗き見て、目的地までの道のりを密かに楽しんでいる。

#エッセイ

子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!