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なぜ「障がい福祉」という「仕事」に辿り着いたのか ②

第2章「きっかけ」

【 なぜ障がい福祉分野に決めたのか 】

いくつか理由はあります。

私の幼少期には、常にそばに「障がいのある子ども」がいたこと。

公立の保育園に通っていましたが、同じクラスに重度知的障がいの子がいました。話すことはできません。身体的にも不自由があったと思います。彼の伝え方は「噛むこと」。私も何度も彼に噛まれましたね。でも、なぜか腹が立ったことはなかったように思います。「しゃべれないから噛んで伝えようとしてる」園児ながらにわかっていたのかもしれません。

私も3歳から持病があり、注射や点滴なんかはなれたもの。噛まれるのもたいして痛みはかわらず、泣きもせず彼が口を離すのをじっと待っていたそうです。

小学校に入学して、特殊学級(現:特別支援学級)在籍の児童が登校班にいました。家も近所、彼の方が3学年ほど上級生だった気がしますが、帰宅後よくバドミントンをしたり、彼のお姉さんにピアノを教えてもらったり、それが当たり前の日常でした。

やはり、からかいやいじめの対象になっていましたが、私と兄(実の)でやっつけていました。チビだったので役にはたちませんが、なぜ彼をからかって楽しいのか、腹がたって仕方なかったんです。私にとってはいつも遊んでくれる優しいお兄ちゃん、大切な人だったから。

そして、これが決定的だったと思います。

「お子さんは発育の遅れがある」

保健師さんに言われました。
もともと、私も何かわからないけど、不安はありました。

引っ越してすぐ、総合療育センターに相談にいきました。そこにおられる心理士さんの検査を何度か受けました。その方の紹介で月2回の言語訓練も受けました。

保育園で語彙が少ないこと、友達と遊ぶことが苦手であることも聞いていました。
月2回では少ないと感じ、療育(週2回半日、保育園と併用)を開始しました。

療育に通うためには、「医師の意見書」なるものが必要なため、受診先も探し発達検査を受けました。相談支援専門員さんもみつけ、プラン作成もお願いしました。とても親身に相談にのってくれる方で、心強かったです。

はじめは楽しく通っていた娘ですが、徐々に行くのを嫌がるようになりました。保育園で皆といるのが楽しいのに、なぜ抜けて療育にいかないといけないのかと。事業所や相談員さんとも相談し、しばらくお休みしてみることになりました。
しばらくして、再開しましたがやはり行きたがらない。でも、「発育が遅れている」と言われた私は「行かすこと」に必死。

今思えば、行けば治るものではなく、必ず追いつくものでもない。何より行きたくない所に行っても、身につく学びはない。まだ幼い子が嫌々行って、嫌々やって‥「行きたくない」と言っているのに。

【 なぜ行きたくなかったのか 】

療育の事業所や療育のセンターに通われている方が読まれていたら、気分を害さないでいただきたいのですが、娘の言ったこと、

「笑顔でおはようて言っても、笑ってくれないし、挨拶してくれない。話しかけても答えてくれない、悲しいから行きたくない。たのしくない。保育園に一日いたい。」

これを泣きながら教えてくれました。

「わかった、もう行かなくていいよ。」

娘の発達のためと言いながら、お分かりの通り私の安心のために行かせていたのです。

療育をやめてから、毎日楽しく保育園に通い、語彙はやや少なめなものの、クラスのお友達とも楽しく過ごしていました。担任の先生や主任保育士の先生と懇談しても、手紙のやりとりをしていたり、ケンカの時は言い返したり、歌はすぐ覚えるし、台詞は皆のぶん全部覚えてるんですよ。

彼女が成長できるのはこっち(保育園)だったんだ。
これは個人差が大きいです。もちろん療育が必要で少人数で個々にあった内容で学ぶ環境が必要なお子さんもおられます。
娘は保育園でもまれることで学ぶタイプだったのだと思います。
あくまでも、我が家の場合ですので、誤解なきよう。

しかし、年長クラスになった時、やはり就学となると心配だらけ。就学前相談にもいきました。その前に受診し、検査を受け結果をもらっておきました。

その検査はいつもの心理士さんがしてくれました、環境も同じです。ただ、保育園で月一回の「お誕生日会」の日でした。しかも娘の誕生月、彼女は祝われる側。ソワソワ、全く集中できません。早く保育園に行きたい、「もう終わった?もうしたくない」を繰り返し、今までならできたであろうものも放棄。

出た結果は、

「遅れどころか、知的障がいのレベルです」

どんな結果も受け入れるつもりで向き合ってきました。ただ、心理士さんが診断していいの?なにより、今日の検査日をずらしておけば、もう少し正しい結果をもって就学前相談にいけたのでは‥

でも、でた結果は仕方ない、これをもって教育委員会の就学前相談に行きました。

※現在、就学前相談は当時ほど、誰でも受けられません。相談者が年々増え、相談できる対象が厳しくなっています。対象となるかよくご確認ください。

【 就学前一年にしたこと 】

春頃に就学前相談の申し込みをしました。
市の教育委員会の担当者から電話連絡がきて、面談の日程がきまりました。6月頃だったと思います。
例の「知的障がいの疑い」と書かれた意見書と、検査結果を持参しました。

入室すると、保護者と子どもは同室内ですが、別々になります。子どもは職員さんと二人で遊ぶ。もちろんできることやできないことを観察されてます。
保護者は別の職員さんと話をします。今までの経過、検査の結果を見せました。
「支援学級の方が彼女が学びやすく、通いやすいなら通常級にこだわりはありません。」と私は伝えました。

教育委員会の答え。
「はじめての職員と椅子に座って遊べている。話しもできている。名前も書けてるし‥本当に知的障がい?彼女くらいの子を支援学級に入れていたら、支援学級パンクしますよ。」

これは最終決定ではありません。あくまでも、保護者の希望を確認する場だととらえられた方がいいと思います。

ちなみに、就学前相談に参加したら、相談者の就学予定の学校に連絡がいきます。

10月頃、就学前健診に参加。
就学予定の学校で皆が受けるもの。保護者と離れ、上級生や先生と校舎の中を周りながら、色々な健診を受けます。
この時、校長や他の先生が、就学前相談で連絡を受けていた児童をみているんです。

健診は特に何事もなく終わりました。

数週間後、学校長から電話がきました。
「学校としては就学前健診で、とくに気になる点はありませんでした。通常級で様子をみてはどうですか?途中で気になることがあれば、相談しながらやっていきましょう。」

年明け2月には一日入学があります。
現1年生たちと、教室で過ごします。泣いてないかな?保護者は体育館で入学説明会、私の方がソワソワして説明が耳に入ってきませんでした。

ところが、ニコニコしながら戻ってきた娘。
私が思っているより、一人になればできるのだろうか?

こうして4月、彼女は入学、通常級からのスタートとなりました。

彼女が1歳半と3歳児健診でひっかかったこと。
保健師さんを否定するつもりはあらませんが、まぁまぁな言われ方をしたのを忘れられません。

後に仕事で関わることが増えた時、「あの言われ方は崖から突き落とされた気持ちになるお母さんもいると思いますよー。」と、チクッと言ってしまった 笑

私と同じように子どもが障がいかも?に苦しむ保護者、何より本人の人生を少しでも支えられたら、それが私の障がい分野を選んだきっかけでした。

またまた長くなりました。
さて、次回は「就職したはいいものの‥」を、お伝えします。

さて、今日はどう生きよう。

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