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おかやまサムライ巡りに行ってきた【中編】

前編はこちら

前後編で書くつもりでしたが、長くなりすぎたので、前・中・後編に分けました。今回は、岡山城・林原美術館の話をしていきます!

二日目

岡山城

岡山県立博物館を出たら、岡山城へ向かいます。歩いて10分くらいと近いです。川のそばの道を行くのですが、河川敷ではお昼ご飯を食べている人や座って話をしている若い人たちがいました。穏やかで素敵な時間が流れる場所です。

岡山県立博物館から行くとお城の裏から入る形になります。これは途中にある石垣。

私はお城のことは全く分からないのですが、実は石垣が結構好きでして。お城に行く時は必ず石垣を見ます。石の積み上げ方が綺麗でピシッとしている城と、そうでない城は時代の違いなのでしょうか。それとも作った人間の性格の問題?(笑)
私が見ていて面白いなと思うのは、岩の大きさがバラバラで「頑張ってバランス良く積み上げたぞ!」みたいな石垣かな。なんか人間が作った感があって面白い。

そして、どどん。こちらが岡山城です!黒い!

岡山城

見た目の黒さから烏城(うじょう)という別名があります。烏、つまりカラスですね!かっこいい。

岡山城は昨年秋に令和の大改修が完了して新しくなったと聞きました。中は各階が展示室になっており、岡山城の歴史を学ぶことが出来ます。今まで知らなかったのですが小早川秀秋が城主になったこともあるお城なのですね。(他にも沢山名前が並んでいましたが、小早川秀秋しかピンとこなかった……)

2階には日本刀を持ってみようというコーナーもありました!本物ではないですが、実際に展示されている刀と同じ重さに作られているそうです。私には日本刀を持てる機会がほとんどないので、その重みを噛みしめてきました……!無理なく持てる重さではありますが、これを振り回すとなると話は別。こんなもの振り回して戦うなんて、武士の体力はとんでもないですね。

同じフロアにはカフェも併設されています。
メニューを覗いてみたら、お城のモナカがのったかわいいパフェを見つけました。うん、これは食べるしかないですよね。ここでようやく一休みです。

かわいい。おいしい。おすすめです。


飲食スペースには大きなスクリーンがあり、あの有名な歴史研究家・磯田道史先生の解説動画を観ることが出来ます。そんなに歴史に詳しくない私でも磯田先生のお話は面白くて引き込まれます。磯田先生は岡山のご出身だそうで、展示物の監修も行っているそうです。

一休みしたら、さらに上の階へ上っていきます!時期によるのかもしれませんが、このときの刀剣の展示は二振りのみでした。その代わり、書状や鎧などが多く見られます。
ここは展示物をじっくり見るというよりも、解説パネルなどを楽しむって感じですね!

こちらは天守最上階の壁紙。主張しすぎず、でも華やかさがあります。上品で素敵だ〜……。

天守閣内部の壁面



関東で生まれ育った私にとって岡山城はあまり縁がないところでしたが、とても歴史がある立派なお城であることが知れて勉強になりました^^

林原美術館

さぁ、ついに2日目の最終目的地に到着です!
こちらも岡山城から歩いてすぐの所にあります。この『おかやまサムライ巡り』の良いところは、それぞれの施設が近くにまとまっていることですね。展示物を一生懸命見るのはそれなりに体力のいることなので、移動距離が少ないのはとても嬉しかったです。

入り口の長屋門

まず入り口の門がかっこいいですよね。門の前に松が生えていて絵になります。
こちらの長屋門は池田藩の向屋敷のものだったそうです。もともとは旧日銀岡山支店の場所にあったそうですが、明治時代末に現在の場所に移築したとのこと。ということは、まだ岡山城が城としてばりばり現役の頃からこの門は存在しているということですよね……。す、すごい。
「物が残る」ということは、もちろん人の想いがあってこそです。でも、きっとそこには多くの偶然や幸運も重なっているのだと思います。そう思うと、古い時代の物を今私たちが目にできるのって本当に奇跡のようなことなんですよね。頭では分かっていても、やはりそれはとてつもなくすごいことなんだよなぁと何度でも感動してしまいます。

林原美術館は刀剣を数多く所蔵していることで知られる施設。そのゆえんは、現在ある展示物を収集した林原一郎という方が刀剣愛好家だったからのようです。この林原一郎という方は、なんと学生のころから日本刀に没頭していたんだとか……!

現在開かれているのが『戦記×刀—駆け抜けたサムライたちの夢の跡』(~6/18)。このポスターもかっこいいですよね。


展示室に入ると、そこには刀!刀!刀! 予想以上に刀がたくさんあって、めちゃくちゃ興奮しました。刀以外にも屏風や書状、刀装具などもあります。では今回も特に印象深かったものを挙げさせてもらいます。

太刀 無銘 伝包平

入ってすぐ目の前には、『太刀 無銘 伝包平』が独立ケースでお出迎えです。刀剣乱舞にも登場する大包平の兄弟ということになるので、すこし親近感を感じながら観させてもらいました。平安時代後期の刀が今でもこんなに輝いているなんて、鉄ってすごい。

太刀 菊御作

佩表のハバキのあたりに、うっすらと菊の花びらが彫られているのが見えます。つまりそう、こちらは後鳥羽上皇が自らの手で作刀なされた太刀です。私が菊紋の太刀を観たのは、徳川美術館の菊一文字以来。ただその時は日本刀に興味を持ち始めてすぐだったので、「菊一文字の菊ってこのことなんだ〜へぇ〜」ぐらいの感想でした。
その頃に比べれば、少しは刀の知識も増えて。そして、後鳥羽上皇がどんな歴史を背負っていて、どうして刀に執着していたのかも知ったうえで今回の菊御作と向かい合いました。
そしたらもう、本当に圧倒されてしまって。菊紋が放つこの威力は一体なんなのだろう、と。菊紋を通して後鳥羽上皇の存在を感じようと、その消えかけた菊の花びらに目を凝らしてしまうんです。当たり前すぎて笑われてしまうかもですけど、後鳥羽上皇が肉体を持ってこの世に存在していたんだなぁ……と思って感動しました。

ちなみに刃文は大房丁子と重花丁子で焼きは高めです。共に製作した刀工は一文字派ですかね!

短刀 銘 備州長船長義

そう!これ!この刃文見覚えありまくりなんですがー!!!と大興奮した一振り。徳川美術館所蔵の『刀 銘 本作長義(以下58字略)』の刃文とそっくりだったんです。この特徴ある刃文(心電図と例えている人がいてなるほど……と思いました)は長義の独自のものなのでしょうか。ミニサイズの本作長義(以下略)、めちゃくちゃかわいい。並べて見てみたい。

太刀 銘 備中国住次直作 延文三年八月日

こちらも「あっ!」と思った一振り。以前ブログに書いた青江次直です。一度名前を覚えてしまうと、展示で見かけるたびに「おー!こんなところで出会うとは!」みたいな感覚になりますよね。
以前東京国立博物館で見たのは逆丁字の刃文だったので「青江次直だから逆丁字だ!私はもう覚えたぞ!」と自信満々でキャプションを読んだところ、『直刃調の刃文』と……。ありゃ。笑 でもあくまでも直刃”調”なので、完全な直刃ではなくところどころ切り込みのような模様がありました。キャプションには、丁子も直刃も出来るのは次直の技量が高いから出来ることとも書かれていました。そうなんだ……。美しい刃文を作り出すことが一体どれほど大変なことなのか、私にはよく理解ができないのが悔しい。

あとこれは別の刀のキャプションに書かれていたことなのですが、『南北朝・桃山・幕末は刀が厳つくなる。相手に威圧感を与える刀姿への変化は、世の中の不穏な気配を侍たちが感じていた証』とあって、なるほどと思いました。刀が武器である以上、その姿の変化には理由があるわけですね。

刀 銘 備州長船康光/喜吉二年二月日
黒漆塗鞘打刀拵

こちらは一目見てまず、「茎が短い!」と思いました。磨上ではなく、元からの長さみたいです。キャプションには、『室町時代から片手で刀を振り回すようになったので全体的に短くなった』というような記述が。この説明、なんか既視感があるなぁと思ったら歌仙兼定でした。
私は今年二月に永青文庫で歌仙兼定を見たときにも「あれ?想像より短い!」とかなり衝撃を受けたのですが、季永青文庫(No.119)に『片手で振るいやすいように茎と刀身の寸法が短めになっている』と書かれていたのです。つまりこれは室町時代の刀の特徴だったのですね。
……ん?じゃあ、それ以前の太刀は両手で振るっていたということでしょうか?大河ドラマとかでは片手で振り回しているシーンが多いような気がしますが、どうなんでしょう。

そして、もうひとつ。私が心をわしづかみにされたのは、こちらの拵(こしらえ)です。刀の拵とは、鞘(さや)・柄(つか)・鍔(つば)のこと。
この刀は拵のコーディネートが可愛くて可愛くて!!黒光りする鞘に若葉色の下緒、柄巻きも同じく若葉色に統一されています。そして鍔と目貫は菊の花。……このかわいさは文章だけではきっと伝わらないですよね( T T ) 若葉色と菊模様の組み合わせがすごく素敵だったんです。四月に観たせいか、この拵から「生命が芽吹く季節」みたいなものを感じました。気温が高くなってきて、人間も植物も虫も動物も「これから動き始めるぞー!」みたいな爽やかな力強さを持った拵に見えて、とても元気をもらいました。
拵って、ひとつひとつの美しさや緻密さにももちろん惹かれるんですが、やはり全体の組み合わせ方が大きな見どころですよね。かつての武士もこうやっておしゃれを楽しんだのかと思うと、親近感が湧いてきます。拵、そして刀装具などの装飾品類についてももっと学んでいきたいです。

短刀 銘 備州井原住拾助国重作/平朝臣之景

こちらは両刃の鎧通しです。鎧通しとは、鎧の隙間が空いている部分から刺すことを目的とした短刀のこと。

鎧通って他の刀剣に比べて、殺意高めな雰囲気を持っている感じがします。相手を確実に刺して傷を負わせることに対するためらいの無さ、といったら良いのか。それは武器としての刀剣全てに通用するのかもしれませんが、鎧通しはその目的を踏まえると特に強く感じる気がします。

以下は刀剣ワールドさんのサイトで「なるほど!」と思った部分の引用です。

鎧通は相手と組み合ったときに、刀身が自然に抜け落ちてしまったり、相手に奪われたりする恐れがあったため、腰に差す際は通常の刀と違って(つか)が後ろ、(こじり:[さや]の先端部)が前に来るように身に着けたと言われており、この様子は戦国時代の武将「細川澄元」(ほそかわすみもと)を描いた絵図などで見られます。

【刀剣ワールド】鎧通(よろいどおし)

えー!おもしろい!!前に何かの絵で、差す向きが違う短刀を見て不思議に思っていたのですが謎が解けました。

そしてこの鎧通、梵字が彫刻されていたのですが……わたくしここにきて「そもそも梵字ってなんだ……?」と思ってしまいました。彫られているのは梵字だと分かるけど、その意味を知らない。なんか、たぶん、おそらく、宗教系かな……?ってくらい。と、いうことで少し調べて見ました。

またまた刀剣ワールドさん。刀剣関係で分からないことを調べるとだいだい刀剣ワールドさんのサイトが出てきます。信用できるのでとてもありがたいです。

こちらの記事によると、梵字は古代インドのサンスクリット語とのこと。日本では密教という宗教のなかで梵字が使われていたそうです。そして、その密教では『如来や菩薩といった仏達を梵字一文字で表現』したということです。し、知らなかった……!文字なので、もっと言語的な意味が込められているのかと思っていましたが、まさか菩薩や仏を表していたとは。当時の日本人の宗教的意識の高さがうかがえますね。

短刀 銘 為神山駿河入道周賢 兵部少輔源朝臣政則作 延徳元年十一月六日

こちらは赤松政則の作。赤松政則という人物は、嘉吉の乱で滅亡した赤松氏を再興した人物です。
嘉吉の乱とは、赤松政則の叔父にあたる赤松満祐が室町幕府第4代将軍足利義持を暗殺したことから始まる戦のこと。私はあんまり知らなかったのですが、将軍暗殺ってとんでもない大事件ですよね。でもその後幕府からの討伐軍によって赤松満祐は自害に追い込まれてしまい、それをきっかけに赤松氏は滅亡してしまうわけです。で、それを再興したのがこちらの短刀の作者である赤松政則。
つまり、私がここで言いたいのは、この短刀は刀匠ではなく大名が作ったということ! 大名自らが作った刀って結構珍しくないですか? 
キャプションには、『大名でありながら鍛冶指導を受け作刀』し『褒美の品として自ら作った刀を下賜した』というような内容が書かれていました。家臣の為に自分で刀を作るなんて、最高すぎますて。しかも茎には家臣の名前入りです。刀が下げ渡されるのはよく聞きますが、自分で作るってもう熱量が違いすぎる。だって何日かかるんですか。受け取った家臣も、自分の名が刻まれているなんて嬉しかっただろうなぁ。赤松政則の人柄が想像出来るような気がしますね。
また、赤松政則は幼い頃に両親を亡くしているので、そのぶん家臣との繋がりをとても大事にしていたのかなと思いました。

そしてこの短刀に附属している拵・黒漆塗星蒔絵印龍刻鞘合口打刀拵がまた素敵だったんですよ~……。鞘には雲と星座が描かれていて夜空のようになっていました。(この星座、メモにとって後で調べたのですがなぜか見つからず……。何の星座だったのか気になります;;)目貫は龍で、ハバキには鳥の模様。夜空を舞うイメージでしょうか。拵全体がひとつの情景のように見えて、私はとっても好みでした。

脇指 銘 繁慶

銘の文字が丸くてかわいい繁慶。ここで初めて知ったのですが、繁慶は元々鉄砲鍛冶だったそうです。鉄砲も刀も作れるなんて器用な人だったのでしょうね。
実は繁慶の刀は4/9まで東京国立博物館の総合文化展に展示されていました。その時、同じく銘がかわいい津田助広と並んでいたのでとても印象に残っています。短期間うちに別の作に出会えて嬉しい!

キャプションを読むと、『他の刀匠は銘を切るのに対して、繁慶は銘を彫る』という特徴があると書かれていました。……待って、銘を切ると彫るって何が違うの……?今までなんの疑問も持たずに「銘を切る」という表現を使ってたけど、よくよく考えてみると、なんで「切る」なんだろう?
……と、繁慶の前で盛大にはてなマークを浮かべていた私。この答えは後日知ることとなります。

この次の日、私は備前おさふね刀剣博物館で刀の職人さんとお話できる機会があり、さっそくこの疑問を尋ねてみました。すると、「鏨(たがね)で鉄をへこませている」のが「銘を切る」、「鉄を削る」のが「彫る」とのこと!! 実物を見せてもらって見比べてみたら、銘が切ってある方は文字の縁がほんのすこしだけ盛り上がっているんです。それはへこませた部分の鉄が寄っているということですね。でも彫ってある方は綺麗に平たくなっています。
私、この事実に「知らなかった!!」と大興奮してしまいました。刀に詳しい方からしたら本当に些細なことなんでしょうけれど、私にとってみれば大発見です。またひとつ知識が増えて嬉しい!!!


中編まとめ

ずっと興味があった林原美術館、聞いていたとおりとても良かったです。刀が展示されている位置も高くて、かがまなくても見やすい! そして、キャプションがとても丁寧だなと感じました。刀のキャプションって、地鉄の模様とか刃文とか刃中の働きなどしか書かれていないものが多いと思います。でも、ここはそういった内容にプラスして、時代の特徴や作者のこと、どの地方の武士が多く持っていたのか……など刀ごとに様々な情報が書かれていて、すっごく面白かったです。


ここまでで旅行2日目までのお話になります。おかやまサムライ祭りは一日で無理なくまわれるのがとても良かったです。ただ、各館の展示期間は微妙にずれているので足を運ぶ際は事前に確認するのをおすすめします……!

この企画があったおかげで私は岡山に行くことができたので、本当に感謝してます。連携展示、またやってほしいなぁ。(^^)



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