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ハイブランドへの劣等感

ハイブランドの店舗に入ったことがない。コロナ禍には店内に人数制限があったのか、店外に行列を作る人たちを何度も見かけた。そういう時、ついその「並んでいる人たち」を見てしまう。このブランドに相応しい客ってどんな人なのか知りたくて。自分は並ぶどころか店内に入るだけの度胸もないくせに。

度胸なんて必要ないのかもしれない。モノとそれを買う人の間に資格とか相応とかそんなもの必要ないのかもしれない。ただ「欲しい」という気持ちがあれば、それだけで買う人の条件に当てはまるのかもしれない。こんなふうに資格とか相応とか条件とか言ってる私はきっとそのブランドにそぐわないんだろうな。だってあの人サンダルで並んでるし。あっちの人はファストファッションの紙袋持ってそのブランドに入れるなんてすごい度胸だな。

という思い込みと偏見に満ちた目で並んでる人たちを見てしまう。失礼は承知だ。だから胸のうちだけにしまっている。この感情はなんなのか、と考えて思い浮かんだ言葉は「劣等感」。自分のことを、ハイブランドが似合わないと、そぐわない、持つ資格がないと思うから、それを手にする人に劣等感を抱いているのだろう。

会う度に身につけるブランド品が増えている友人がいる。店内に入る勇気もないのに、どの商品がどのブランドのいくらくらいの品かは把握してる自分は、我ながら浅ましいと思う。ピアス、バッグ、スカーフも? スマホのケース、あのグリーンはあのブランドだよねきっと。話しながらチラチラ目だけでチェックして、「それ○○の?」と気軽に聞く度胸はもちろんない。「いいな~」と素直にうらやましがる可愛げもない。持ってるってことはそれを変えるだけの収入があるってことだよね、あの店に入ったってことだよね、と、勝手に劣等感を感じているだけだ。

「ハイブランドだから持ちたい」ではなく、「これがほしい!」と思う商品に出会えたら、私だって買えると思う。ちょっと覚悟がいるけど、あのフカフカの床に合う靴を選んで、なるべく馬鹿にされないような服を着て。「ブラっと最新作をチェックしに。」という雰囲気ではなく、「これください!」と勇んでしまうだろうから、店員からはきっとお上りさんのような視線を浴びせられるだろう。でも、そんなことが気にならないくらい、ほしいものがあれば。

などと申しておりますが、結局は買えるだけのお金を持っていないの一言に尽きるのであります。あー、ブランド物ほしい。

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