【掌編】自業と自得の話

「彼は無錫(ウーシー)、一流の暗殺者だ」
 おれはできるだけ声色を変えないように、ひとつ咳払いして続ける。
「これまであらゆるクライアントにご満足頂いている。あなたも例外ではありません」
 出来るだけ眼を合わせたくなかったけれど、仕事だからしょうがないので、杖に身体を預けて腰掛ける、異相の老人へと眼を向けた。
 大柄な体躯。歳に見合わぬ隆とした筋骨、無骨な着流し……そこまではまあ、良いにしろ。
 異様なのはその全身に彫られた「経」であり、おれは宗教に明るくないので詳しい意味はわからないが、一字一字鬼気迫るようなそれが顔といわず胸といわず彫りめぐらされているのだからその迫力たるや半端ではない。
「いかがでしょう……その、ミスター・ケルシンハ、一度、お見定めになっては」
 何やら口の中でぶつぶつと唱える老人へと歩み寄れば、それがなんかの経を詠んでいるのだと知り、おれは鳥肌を立ててしまった。老人は視線をウーシーへ向けようともしない。
 一方のウーシーは焦れたように、
「おい、クロカワ。これでは埒があかない。誰を殺ればいい? 首を持ってくる」
「いやまあ待てよ待てって。カンフーは気が短くてどうもな……」
「私も暇ではない。話がないなら……」
「わしだ」
 俺達の会話を遮るように、老人のしわがれた声が呟いた。
「わしを殺すのだ。方法は問わぬ。全財産をくれてやる」
 老人の言葉が終わらないうち、ウーシーは懐から大口径のエルロン46を素早く抜き放ち、老人目掛けて撃ッぱなした。2発、3発と、重い発射音が部屋に響く。
 椅子に仰け反ってブッ倒れた老人を横目に、ウーシーはエルロンに弾を込めだす。
「いつも通り、あんたが3割、私が7わ」
 ばぢゅん!!という音とともに、ウーシーのこめかみがはじけ、おびただしい血と目玉一粒を吹き散らかしてドウと床に倒れ、そこでピクリとも動かなくなった。
 おれはガタガタと震えながら、老人の方を振り返る。
「半端を、用意するなと、言った」
 老人はむくりと体を起こしながら、自分の歯に食い止めた弾丸をぽろりと吐き出した。その内の一発を……老人は口の力だけで吐き出し、ウーシーをあっさり殺ってのけたのである。
「また、いらぬ業がひとつ、わしに増えたぞ」
「は、はい」
「わしはひとつでもそれを増やしたくない、その思いだけで、きさまを生かしている」
 老人は弾丸をガラス机の上にコト、コト、と並べると、おれを見ずに言った。
「クロカワ。もう1度だけ機会を与える。だめなら、もういい」
「い、いい、というのは?」
「首を千切ってやる。どうやらお前も仏敵、仏の代わりにわしが手を下す」


「それで、寺に転がり込んできたわけですか。裏街の血吸いコウモリとも呼ばれたあなたが、まあ情けない」
「最早名前もプライドもどうでもいい。おれを助けてくれ。仏門に入れてくれ、頼む」
「そんな虫のいい話がありますか。散々、仏に仇なすような真似をしておいて……。第一、あなたを匿ったら、その老人が黙っていないでしょう」
「それは大丈夫なんだ、話を聞いてくれ」
 おれはもうほとんど泣き出さんばかりにマガの脛に縋りついた。マガが溜め息をひとつついたので、おれは内心しめたと思った。こいつは昔からこういう時、押せばけっこうちょろい奴なのだ。
 美貌の僧侶である。肌は透き通るように白く、黒目がちな切れ長の目は常に智性をたたえてきらりと光り、艶やかな長い黒髪は(僧侶のくせに)、高級な漆塗りのように蛍光灯を照り返している。
 おれに男色の趣味はないが、裏街に出ればいくらでも贅沢な暮らしができるだろうに、仏にその身を捧げているというのだから不思議な奴である。
「で。何がどう、大丈夫だというんです。黙っていないで、続きを仰ってください」
「あのジジイ……あ、いや、ケルシンハ老は最近、万霊寺の新約仏教にえらく執心なんだ。自分を殺せる殺し屋を見繕え、なんていう依頼も、そもそもそっからだ」
「自分を、殺す……ですって?」
「ケルシンハは世界最強の殺し屋だった。それで財を成してあそこまで上り詰めたが……最近バカはまりしてる万霊寺の教義に、自分の業の深さを悟り、いきなり死にたくなって……」
「自害は背信行為に当たる故、自分を殺せる者を探していると」
「そうそうそうそういうことだよ!!! 引き受けたおれもバカだった、でもあんなバケモンだとは誰も思わねえだろ。寺に居さえすりゃあ、教義に厚いあのジジイも手を出してこない、なあ頼むよ、なんとか匿ってくれ、おい、雑巾はどこだ? 廊下を拭いてやる」
「止めてください、馬鹿馬鹿しい。あなたのような不心得者の入門を許しては、門下に悪いものが伝染ります」
 マガはしばらく黒い目で虚空を睨み、手櫛で髪を梳いていたが……
「わかりました。ケルシンハ老のところへお連れください。私が話をします」
「ええっ、お前が、説法を垂れるのか!?」
「なんつー言い草ですか」マガは立ち上がり、こきりと首を鳴らした。憮然とした顔である。
「あなたを門下に入れるなんて持っての他です……が、死なれても寝覚めが悪い。なれば仕方がありません」


 ケルシンハは牛革の椅子に深く腰掛けておれたちを待っていた。相変わらず下を向き、ぶつぶつと経を詠んでいる。鍛え抜かれた肉体からは、禍々しいまでの覇気が漂い、おれなんかは吐き気を堪えるので精一杯だ。
「それが、次の、殺し屋か」
「老ケルシンハ」おれに先んじてマガが口を開いた。「お身体の経、信心の深き現れとお見受けします。アダマ神もさぞ、お喜びになられましょう」
 マガの言葉に、ケルシンハの死んだ眼がぎらりと光を取り戻し、くわ、と見開かれた。次の瞬間、おれがほんの一回瞬きをする間に、ケルシンハは瞬間的にマガの足元へひざまづいていた。風圧で、マガの黒髪がふわりと躍る。
「ご無礼、お許しを。名のある、僧正様とお見受けいたす。此度は、なにゆえ、このようなくだらぬところへ……」
「老ケルシンハ。アダマ神よりお告げのあり、貴殿の苦悩に済度与えよとのこと。わたくし微力ながら僧正の身、お手伝い仕りに参りました」
「これは勿体ないお言葉……!!」
 ケルシンハの筋肉が萎縮してダンゴみたいにマガの足元に縮こまった。とんでもない光景に、おれは口を開けて惚けているしかない。
「しかし、僧正様。わしなどに果たして済度が与えられましょうか。これは文字通りの修羅、まさしく、仏敵そのものでございます」
「しかし信心に目覚められた。代え難いことです」
「信心に目の覚めてからは、ただただ苦悩に心裂かれる日々、一刻も早く涅槃の裁きに身を委ねたいと、最近では、わしを狙わせて殺し屋を募りましたなれど」
 ケルシンハはいかにも悲しそうに首を振る。
「おお、卑しきかな殺し屋の性。反射で動く身体が、わしの肉に傷ひとつつけさせず、かえって業を重ねる日々……」
 そこでついに涙すら流してしくしくと泣きだしたこの世界最強の殺し屋を見て、おれは驚くやら呆れるやらで、自分がどういう表情をしているのかすらわからない。
 そんなおれにマガが振り向き、その美しい唇に指を当て、「しっ」と嗜めた。
「お話はわかりました、老ケルシンハ。そこまでの膂力、涅槃できっと神のお役に立ちましょう」
「し、しかし……」
「こういう話がございます」
 マガの瞳がいたずらっぽく、きらりと光った。
「かつて諸悪の限りを尽くした阿修羅の一・ユラコは、その万の仏罰を、万の仏敵を処することで精算を許され、由羅虎天として曼荼羅に並ぶことを許されております」
「……と、申されると……」
「つまりは、貴殿の成した悪行に対して、それに等しい裁きを世間に与えることができれば、天は済度を約束されるということです」
「おお」
 ケルシンハの顔が輝き、そしてすぐに、暗澹と沈んでしまう。
「しかし、わしの悪行に並ぶものなどおりましょうか。わしはこれまで驕りにまかせて、千、いや、万にきかぬ数を殺してまいりました。強者、弱者に拘らず、女子供の区別もなかった。業があまりに深すぎます」
「確かに、あなたに並ぶ業の持ち主はいない……あなた自身を、除いてはね」
「なんと!?」
「老ケルシンハ、こう、お考えください。あなたは、自害なされるのではない……万の悪行を成した悪鬼ケルシンハと刺し違え、名誉とともに入滅されるのです。あなたの業はそっくりそのまま精算され、信心だけが涅槃に持ち越されます。こんな素晴らしいご奉公は、他の誰にもできますまい」

 おれはそこで、老人の顔がまるで少年のように輝くのを見た。

 ケルシンハはすぐさま天狗のように飛びすさり、天に向かって
「カァッッ」
 と、阿修羅も竦むような一喝をくれた。声は波動となって天井をぶち破り、部屋に月光を呼び込む。
 崩れ落ちる瓦礫から慌てて逃げるおれをマガが抱えて退き、立ち上る白煙越しに、月に照らされたケルシンハを二人で見つめる。
「これより、天に仇なす大悪鬼、成敗仕る!
 アダマ神も、御照覧あれーーッッ!!」
 老人の巨体が宙を舞い、ぐるりと回転する。そして、どすん! と、その両足で床を踏み抜けば。
 その身体に、すでに首はなかった。
 その節くれだった右掌に、その老人の頭は、鮮血を振りまきながらもしっかりと握られていて……
「カァーッ」
 その大口を歪めて、笑った、かと思うと、
 どごん!!!
 と、自らの腕で机に叩きつけられ、マホガニーのそれをぐしゃりと歪ませた。
「羅刹、ケルシンハ、討ち取ったり……。」
 首は最後にそう言ったきり、眼をかっ開いて……満面の笑みのまま、動かなくなった。


「そりゃ、こんなもんでいいなら奢ってやるがよ。いいのか? 仏に仕える身で」
「ご奉公の後、相手側から勧められたときだけ、良し、と仏典にあります。まさかここまでやって、嫌と言わないでしょうね」
「言わねえよ、んな、ケチくせえこと」
 ファイアビー・チップスの4人掛けの席で飯を待ちながら、おれたちはぐったりとグラスをかち合わせた。
「しかし大した奴だ、お前は。お説法だけで、世界一の殺し屋を殺してのけるんだからな。おれなんか、生きた心地がしなかったぜ」
「それは私もです。こんなことはもう、金輪際ご免ですからね」
 ぐいぐいとハイネケンを煽るマガを、頬杖をついて見ながら、つくづく不思議な奴だと思う……先のケルシンハのジジイとも合わせて、こんな殺しのブローカーのおれ自身が、一番マトモなんじゃないかという気すらしてくる。
「お待たしゃしたー、カレイの方?」
「カレイもビーフもこいつだ。おれは食わん」
「わあーっ! おいしそう!」
 マガは酒でほんのり染めた頬を更に赤くして、ソースたっぷりのカレイのフライに齧り付いた。ものの10秒ほどでフライはマガの胃におさまり、マガは口の周りを汚したまま、おれに笑いかけた。
「これがあるから、私はご奉公に立つのが嫌いじゃないんです」
 マガのこの、星のように輝く笑顔は……
 自分に男色の気がないことが、妙につまらなく思えてくるような、そういう不思議な魅力を持っておれに映った。


#一流の暗殺者小説大会    cob 2017

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