【掌編】ヨギと会う
8月8日、大潮様の祭りの日。
ぽつぽつと花火が夜の浜を照らし出すころ、僕はヨギに会いに行く。
埠頭の端の船着場は、天然の岩礁を利用して作った乱暴なもので、今はもう使われていない。
テトラポットに貼り付けた赤い印を目印に下っていくと、まるでプラネタリウムみたいにくりぬかれた、秘密の潮溜まりがある。まだ暖かい色んな食べ物を胸に抱えながらそこまで下っていくのは大変だった。実際何度か足をすべらせて、あぶなく取り落としかけた。
打ち付けたお尻をさする僕の横を、潮虫がからかうように通り過ぎていく。
「ヨギ。
ヨギ。いるの?
僕だよ。
九太だよ」
潮溜まりは差し込む月の明かりを照り返して、静かに揺れている。僕はヨギの返事を待ったけど、波の音のほか、とくに聞こえる音はなかった。
(今日はこないのかな)
がっかりして引き返そうとした時、腕の中に滑り込んでくるぬるりとした感触で、僕は悲鳴を上げる。腕の中からこぼれたりんご飴を、ひらりと閃いた青い腕が掴んで、そのまま月の光の中にひらひらと踊らせる。
「ヨギ!」
ヨギの青く透きとおった身体が、月の光の中にとても良く見えた。ヨギの内臓はまるでスノードームの中のネオンみたいに美しく光り、とくとくと静かに脈打ってオレンジ色の血を巡らせている。
「こいはなばつがは」
「これ、りんご飴。去年食べたスモモ飴の中身を、ひめりんごにしたやつだよ」
「んーーー」
ヨギは子供が飛行機のおもちゃで遊ぶみたいにして、しばらくりんご飴をひらひらと遊ばせたあと、危なく割り箸からすっぽ抜けそうなりんご飴を一息で飲み込んでしまった。
「ん。ん。ん。
…。
おぎびし。」
「ほんと!?」
「やは。おぎびし」
ヨギはざぶんと水に飛び込んで、ぐるぐると踊った後、くちゃくちゃになった割り箸を僕に投げつけた。そして、僕のすぐ向かいの石に飛び乗って一度ぶるりと身体をふるわせた後、なんだかうらめしげに言う。
「そい、めおぎびし、かばえ」
「ごめん、これは食べられないよ…。刺してるやつだから。木で、できてるの」
「んー」
ヨギがつまらなそうに僕から目を逸らしてしまったので、僕は急に寂しくなってしまって、あわてて持ってきたいろんな食べ物を目の前に広げた。今年は、大潮様のお祭りも最後だからというので、父さんがずいぶんお小遣いをはずんでくれたのだった。
「ね、ヨギが食べたことないもの、一杯あるでしょ?
これはどう?アメリカンドッグ、きっとおいしいよ」
「やは……。
そいは、なばつ」
「これ?これはね、金平糖って言って」
僕が言い終わらないうち、ヨギはするりとそのしなやかな腕を踊らせて、僕の目の前から金平糖の紙箱をするりと奪い取った。水の上に浮かびながら、いくつかまとめて口に放り込んで、
「……。
きは、きは、きは」
と、笑った。
ヨギはカラフルに光る金平糖の色と、その甘さがとても気に入ったみたいで、いつになく元気に水の中を泳ぎ回っては、自分でばらまいた金平糖を口でつかまえて、そのたびきはきはと笑った。
「やばらがまりんごあめがめやも。めざさべも、あまゆおし、てやま」
ヨギは今日はずいぶん機嫌がいいみたいで、僕がまだわからない言葉をたくさん喋った。ぽかんとしている僕に向かって、笑いながらたくさん金平糖を投げた。そのたびに海水がはじけて、僕はびしょびしょに濡れてしまったけれど、僕もヨギが楽しそうなのが嬉しくて、一緒に笑った。
「ねえ、ヨギ」
「んー。」
「最後なんだ、今日。
たぶん、来年からは、お菓子、もってきてあげられないよ」
ヨギの表情は僕にもまだよくわからないけれど、たぶん僕が何を言ってるのかはわかっていて、返事がないのは、ちょっとびっくりしている合図だと僕は思っている。
「この埠頭さ。こないだ、まるごと横浜の三和ジュエリーって会社に買われちゃって。
ここらへんの海ぜんぶ、真珠の養殖場になっちゃうんだって。
だから、もう、大潮様のお祭り、できなくなっちゃうんだ」
ヨギはちゃぷちゃぷと尻尾を水に遊ばせている。なんだか残念そうな様子は、僕が持ってくる屋台のお菓子を楽しみにしてくれていたってことで、嬉しい反面、やっぱりかわいそうな気持ちが大きかった。
「ねえ、ヨギ。
きっと、海のお祭りやってるところ、ここの他にもあるよ。
だから、ここじゃなくて」
「やは。おもへめ」
「えっ?」
「さんわ、じゅえりー。おもへめ。キュータ」
ヨギの言葉に僕が面食らっていると、突然ヨギは僕の顔をひっつかんで、自分の額と僕の額をぴったりとくっつけた。ひんやりと冷たく湿ったヨギの肌の奥の方に、静かに脈打つ血の暖かさが、じわりと僕の額に伝わってきた。
どれぐらい、そうしていたかわからないけど、ヨギはゆっくりと額を離して、一度だけ「きは」と笑った。
そして水から飛び上がって外へ出て行ってしまう。
慌てて追いかける僕が見たのは、せり出したテトラポットの先に立ち、花火に照らされるヨギの姿だった。
「あんたれぁーーーーーーーーーーーー」
ヨギが、それまで聞いたことのないような大声で海に向かって叫ぶと、ほどなくして、海の中にぽつぽつとオレンジ色の明かりがともり始める。
光るヨギの内臓そっくりのその明かりは水中に際限なくドーナツ状に広がっていって、やがてその中央に、一際大きいオレンジ色が、まるで海の中に太陽が昇るみたいにして浮かび上がってきた。
それは、僕のこれからの人生でも絶対に見られないと確信できるほど、この世ならぬ荘厳な光景だった。
「キュータ!」
圧倒される僕を、振り返ったヨギが呼ぶ。
「やえま、キュータ。
み、こんぺいと、よろされやも。やあは。」
「……うん!」
ヨギはそのまま海に飛び込んで、オレンジ色の灯火の群れの中へ消えていった。僕は今年ようやく、ヨギが笑ったとき、どんな顔をするのかが、わかったような気がした。
その年、横浜養殖場の真珠はまるごと波に攫われて、ただの一つも揚がらなかったらしい。
三和ジュエリーは自分のところの決算の帳尻合わせに必死で、大潮漁場の買取計画はまるごと白紙になった。
沈みがちだった大潮町の大人達の顔には笑顔が戻り、また活発で元気な町が戻ってきつつある。
「大潮様がきっと守ってくれたんだよォ」
父さんは昼間っからビール片手にそんな事を言う。
そのことについては僕のほうが詳しいのだけど、黙っている。僕はそんなことより、今年の屋台に金平糖が出るかどうかのほうが、よっぽど心配なのだ。
2014
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