【掌編】アリと銀の瞳

「…ふうん」

倉戸はスーツケースに詰まった札束の中からひとつを無造作に手に取り、ざっくりと目を通すと、何かつまらなそうに後ろを振り返り、側の黒服に軽く頷いて見せた。一様に恵比寿の面で顔を隠した黒服達はそこでようやく銃を下ろし、一部が何やら慌ただしく部屋を出たり入ったりしている。
まだ重そうにケースを開けて持っている小姓に札束を返すと、倉戸はそのゴツゴツとした手で、そのぼさぼさの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
「忠義な坊主だ。主人が死んだらオレんとこへ来な」
小姓は身体をぎくりと震わせると、そのまま倉戸のなすがままにさせていたが、彼の女主人はそれを嫌がったようで露骨に声を荒げた。
「触れるな、チンピラ。 アリ、ここへおいで」
ぐい、と首輪が引っ張られる。アリは咳き込み、慌ててケースを畳むと、声のするほうへ駆け寄ろうとしてテーブルの足につまづいた。女は楽しげにアリを抱えて膝下に寄せると、首輪を少し緩めてやる。

「清廉潔白の教祖キュルモン様が、その実、メクラのガキ捕まえて犬代わりか」

倉戸は葉巻を取り出す。歩み寄る恵比寿面を手で制し、自分で葉巻に火をつける。

「高尚なご趣味だ」

「金は見せた。品物を見る前に、あと何回お前のヤニ臭い息を嗅げば済む?」

キュルモンが手櫛でその長い髪を梳きながら、倉戸を睨めつける。倉戸の眉間にわずかに怒りの色が浮いた頃、ドアが開き、一人の恵比寿面が何やら円筒形の装置を持って、キュルモンのそばへ歩み寄った。

「…鍵眼(かぎめ)…!」

溶液の中にゆらりと浮かんでいるのは、装置のブルーライトに照らされた一つの眼球であった。その瞳は明るい銀色に輝き、びくり、びくりと一定間隔で脈動を続けている。

「…本物だろうな」

「実際、それでウチのセキュリティ認証も全部開いた。いまどきはどこも網膜認証だ。これ一粒あれば、世界中の鍵持ってるのと同じことさ。それこそ」

倉戸はキュルモンの驚きように気を良くしたらしく、次の葉巻をくるくると回して、笑った。

「秘書相手にサカッてる国防長官のベッドルームにも入れる」

「アリ、持っておいで」

倉戸を意に介さず、キュルモンは慎重に銀の眼を受け取ると、アリの手を取ってそれをしっかりと握らせた。

「鍵守りは知っての通り、アメリカに狩り尽くされて一人も残ってねえ。正真正銘最後の鍵眼がソレってことだ」

「それを何で、お前が持ってる?」

「なんだ?鉄面皮のキュルモン様が、妙に食いつくな」

アリがわずかに袖を引っ張ったのを、キュルモンは感じ取っていた。倉戸に悟られないよう、アリの締めすぎた首を気遣うようにして、そっと口元に屈み込む。

「どうしたの」

「…マム。…レプリカです。…シグナルが4パターンしかない。すぐ、足がつきます」

「わかった」

期待に緩んだキュルモンの唇がきゅっと引き締まる。首輪を直し、何事もなかったかのように席へ戻る。

「オレも、美人と話すのは疲れるんだ。緊張してさ。だからもういいだろ。金を貰ってお終いだ」

「へえ、そう? 私はつまらなくはない。 第一、まだワインが残ってる」

「何ぃ?」

予想外の台詞に、倉戸は思わずまじまじとキュルモンの瞳を見つめた。倉戸の心に開いた一瞬の隙、時間にして2秒もないだろうが、キュルモンにはそれで十分だった。

「こ…こいつッ!」

突然、心臓を鷲掴みにされたようなおぞましい感覚が倉戸を襲った。倉戸の意思に反して、右手が懐に隠した拳銃を握り、そのまま自身のこめかみに当てる。

「ハッカーだッ! 殺せッ、撃てえッ」

どがん!と銃声が1回。血を吹いてびくびくと震える倉戸を目の前にして、恵比寿面達が一斉にライフルを構える。しかしすでにキュルモンの触手はその意識深くに入り込み、恵比寿面達すべてを掌握していた。恵比寿面達はお互いにライフルを向けて乱射しはじめ、パーティールームは一瞬にして血飛沫に赤く染まっていく。

「アリ!行くぞ!」

アリを振り返ったキュルモンの肩口へ、一発の銃弾が突き刺さる。銃弾はそのままキュレモンの右肩を吹き飛ばし、腕がバーカウンターまでぶっ飛んで酒瓶をいくつも割った。

「キュル…モン…」

「死に損ない…!」

キュルモンの肩を吹き飛ばしたのは、頭半分になった倉戸その人であった。流血のおびただしい肩を押さえ、よろよろと逃げ出そうとするキュルモンをその怪力で引きずり倒し、馬乗りになってその首を絞め上げる。

「ぎゃっ、あ…!ああ、かっ…!」

「鬼の、倉戸が、一人で、死ぬか、ボケが…」

メギメギと骨の軋む音がキュレモンの耳に響く。さしものキュルモンも死を覚悟した矢先、突然眼前の倉戸の首が千切れ飛び、テーブルの脚にぶつかってゴロリと転がった。

「アリ!」

ローストビーフ用の長包丁から血が滴っている。アリは血と脳症のむせかえるような匂いに、もともと敏感な鼻を歪ませて渋い顔をした。

「お手柄だ、アリ…!」

アリは起き上がろうとするキュルモンの横で佇んでいる。その腕には、銀の眼の躍るガラス管をしっかりと抱いている。アリはしばらく感慨深げにそうして佇んでいて、小さな声で

「おかえり……。」

と呟いた。

「がはっ…いかん、血を流しすぎた。早く、こんなところ…」

アリは、しばらく何か考え事をしていたようだが、突然素早く身体を捻ると、キュレモンの脚に回し蹴りを食らわせて思い切りすっ転ばせた。
呆気に取られるキュルモンの前で、アリは手に持った円筒形の装置を机に当ててぶち破り、滑る眼球を取り出す。そして自分のアイマスクを忌々しげに剥ぎ取ると、そのぽかりと空いた眼窩に、鍵眼をぬるりと宛てがった。

「アリ…アリ! 貴様ッ!」

ずるり、ずるりと吸い込まれるようにして、鍵眼がアリの眼窩に収まっていく。やがて眼球がすっかり収まると、アリはぎょろぎょろとその銀の瞳を動かして、そこではじめて、ぱぁっと顔を輝かせた。

「鍵眼は、本物だったな…! 私を、謀ったか、アリッッ!」

「父を返してもらっただけです」

「殺してやるッッ、○○○舐めの、クソチビがァッ」

キュルモンの視線を、銀色の瞳が真っ向から受け止める。キュルモンは有りっ丈の念破をぶつけて、脳幹をねじ切り、顔の至るところから血を噴き出させようとした。アリはこともなげにその念破の全てを跳ね返し、キュルモンをその通りにしてやった。

静かになった部屋の中で、アリはゆっくりと、愛おしげに銀色の眼を撫でる。

「…もう片方」

まだ新しい視界で、アリは東京の夜を見下ろす。ネオンの光るこの景色のどこかに、もう一つ、父の形見が眠っている。

「銃声だ」
「やばいぞ。人数集めろ」

階下が騒がしくなってくる。アリは血みどろの室内をもう一度見渡して、それでまあ特に何の感慨も湧かなかったので、そのままガラス窓を蹴破って夜の都会へ跳び去っていった。

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