【掌編】猫林

猫守神社の境内の裏には鬱蒼とした竹林が広がっていて、地元では馴染みの場所で猫林と言えば通じる。
地元も最近ではずいぶん開発が進んでしまって昔のような緑も少なくなってきたが、猫林だけは猫守神社の神主が頑固なこともあってずっとそのままの不思議な静謐さを保っていた。

猫林は、都心には珍しい昆虫や、タヌキみたいな野生動物が生息していることもあって、子供には人気の冒険スポットだ。ただ、最近はトラバサミみたいな物騒なものを持ち出してタヌキを罠にかけようというような可愛くない子供が多くなってきて危険だというので、地元の若い衆が持ち回りで見回りに行くことになっている。

僕は今日がその当番だという事をすっかり忘れていて、前日に友人と飲み散らかした挙句、酒にやられた頭をぐらぐら揺らしながらなんとか猫林までやってきたのだが、どうせこんなもの誰が見ている訳でなし、神主の爺さんに挨拶してさっさと帰ろうと思っていた。

ところがまあこんな日に限って、猫林に続く道の途中で、ぐったりと横たわる小さな動物を見つけてしまうのだ。

「…タヌキかな?最近の子供はひどい事するなあ…」

もう日が落ちてしまっているので様子がよくわからないのだが、そいつは動かない後ろ足を引きずってなんとか猫林へ入ろうとしているようであった。僕が近寄って懐中電灯で照らすと、驚いたことにそいつはヤマネコだった。

「…ヤマネコなんて、いたんだ、猫林に」

まあでも猫林だもんなあ、猫はいるか…などとつまらない事を考えていると、ヤマネコは短く鳴いて口から血混じりのものを吐き出した。何か他の動物にやられたのだろうか、目にも大怪我を負っていてどうやら見えていないらしい。いずれにしろもう長くないことは明白だった。

「…もう、大丈夫だよ。楽になりな」

「E88ケパルの予定地点には既に手が回っている。ゲレまでに進路変更指示をヨハビに伝えなければいけない」

僕は一瞬、ラジオか何かを切り忘れたのかと思ってポケットを探ったが、そもそもスマホを持ってきていないことに気がつく。視線をヤマネコに戻せば、どうやらそいつが、息も絶え絶えにこう言うのだ。

「もう時間がない。このままE88へ向かわせればヨハビは全滅する」

ヤマネコはもう見えていないであろう目を見開いて僕を睨んだ。

「ケレテキを預ける。132歩前方に、2分後、50秒間だけニャバ機構が出現するからそこへ刺すのだ。竜脈メータは737に合わせろ」

開いた口が塞がらない僕の目の前で、ヤマネコは突然自分の腹に向かって前足を思い切り突き刺すと、腹の中からズルズルと奇妙な円筒形のものを引きずり出した。
それを僕に向かって放り投げたところで、ヤマネコはとうとう力を使い果たしたのか、口から大量の血を噴き出してべしゃりと倒れ込む。

「せめて…ひ…一目見たかった…ケパルが、朝日に照らされ、輝く様を…」

そこまで言ってヤマネコは事切れてしまい、あとはもううんともすんとも言わなかった。僕の手の中には、血塗れの、円筒形の水筒のようなものがずっしりとした重さで握られており、今のことが夢ではないと嫌が応にも自覚させてくる。

「…2分後、132歩前方だって…?」

僕の中に強く焼きついていたヤマネコの遺言に従って、僕は動き出していた。まったく不合理な話だと自分でも思うが、ヤマネコの最期の切実な言葉が、どうしても彼(?)の想いを遂げてあげなくてはと僕に思わせたのだ。
僕は息を切らせて猫林の中を100歩ほど走ったが、そのニャバ機構とやらはどこにも見当たらない。困って周りをライトで照らせば、今さっき走ってきたはるか後方あたりに、くぐもった音を立ててせり上がってくる物体を発見する。

「…そ、そっか、猫の足でってことだもんな」

慌てて引き返してそこへ近づき、せり上がってきたものの土を乱暴に払う。それは外目から見れば、僕の会社にも置いてある業務用コピー機そのまんまの外見をしている。

「こ、これのどこに刺せって!?」

遺言通りなら50秒しかないのだからゆっくりしていられない。トナーの差し込み口やら読み取りガラスやらを探して、ようやくB4用紙箱の中にそれらしい装置を見つける。
僕は震える手で水筒のメモリを737に合わせると、装置の突起に水筒を突き刺した。

僕はヒートアップした身体を冷ますようにしばらく荒い息をついていたが、それからしばらく、全く何も起こらなかった。僕はなんだか今までのことが急にバカバカしく思えてきてしまって、にしたってこのコピー機をどうしよう、などと考えているうち、にわかに大きな地震が足元の地面を揺らしはじめた。

「うわァァ、何だァ何だ」

いや、地震ではない。何か大きなものが、猫林全体を持ち上げるようにして地中からせり上がってきているのだ。僕は死に物狂いで神社へ向かって駆け出すと、転がるようにしてせり上がった地面から神社の屋根へ向かって飛び降りた。

土をばらばらとこぼしながら僕の眼前にそびえ上がったのは、巨大な招き猫だった。その全身はほの白く、やわらかい光でゆるやかに点滅しており、細やかな毛が夜風にゆらゆらと踊っている。

「んマーーーーーーーーーーオ」

夜の街に、招き猫の咆哮が響き渡る。にわかに、夜の空をヘリコプターが飛び回り出し、ライトで招き猫を照らす。招き猫は、さも目障りだというふうにヘリに向けてひと睨みすれば、一筋の光弾がその目から飛び、ヘリを打ち落として団地に爆煙を上げる。
招き猫から無数の猫が、それこそ街を覆ってしまうほどに飛び出して、呆然と座り込む僕の横を次々と駆け抜けてゆく。
僕は、自分も気がつかないうちになんだか大変なことをしでかしてしまったようだったけれど、それでも眼前の招き猫はとても荘厳で、罪の意識が霞んでしまうほど、美しかった。

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2015

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