【掌編】あまい黄昏

「わ、わ。ショウくんすごい。
えーっ、すごいいい香りィ。どこで手術したの?」
「えへ。ゆうき、やっぱり男は高級感だって言ってたじゃんか。
だから、ゴディバで。
カカオ70%で、ビターめに決めてみた」
「キャーッ、ショウ君!」

女が男に抱きついて首元にキスをかますと、ストロベリーのピンク色がくっきりと残る。困ったようで満更でもなさそうな男の顔を見ていると、私は飲んでいるカカオミルクをぶちまけてやりたくなる。

駅前のチョコレートバーで繰り広げられるそんな光景ももう見慣れたものだが、不快感は一向に薄まらない。周りを見回しても、スーツの色は違えど全員がチョコ人間だ。最近は洒落て「カカオヒューム」などと言ったりするそうだが、私にとってはどうでもいいし、チョコ人間でも上等すぎる。

とはいえ、世間がチョコ人間至上主義の流れに傾いてきているのは疑いようがなく、帝国ホテルなんかはチョコ人以外は門前払いだし、私の好きな四季のミュージカルだってA席以降はチョコ人優先になってしまって全く取れなくなってしまった。
「汗にまみれた人間ですし詰めになるより、チョコレートの甘い香りにつつまれた会議室のほうが、よっぽど建設的である」
とは明治の社長の言だが、今では大手企業はチョコ化していないと面接すらしてくれないというのだからひどい話だ。

ここまで腹を立てる原因は私がきんつば人であることに他ならない。人間お菓子のブームが来た時、いち早く飛びついたのが私みたいな奴で、当時きんつば人は季節に負けない無敵のお菓子として期待されていたものの、首相が導入した都市一括冷房制度によって一気に時代遅れの産物にされてしまった。

チョコ化の波が来るやすぐさま私を振って女を乗り換えた昔の彼女を思い返し、私が涙ぐんでいると、カフェのTVから突然、お昼の顔のアナウンサーの怒鳴り声が聞こえてきた。

「き、緊急っ、緊急ニュースです。
ただいま、武装組織「小豆」の爆破テロにより、全ての都市冷房発電施設が、同時に爆破されました。
冷房が止まります。これはカカオ適合処理をお済ませの方にとっては非常に危険な状態であり…
ああ。
あ。
だめだ。
溶ける。
溶けちゃうよお。
こぷこぷこぷ。
えへ。
でもでも~。
気ん持ちい~」

目の前でどろどろと溶け出す大崎アナの惨状に、にわかにカフェの店内は阿鼻叫喚の騒ぎとなる。見れば私の座っている椅子やテーブルもしんなりと熱を帯び、じっとりと汗をかきだしている。

「うそ。うそ。うそ。
うそでしょなんで。都市冷房は完璧って言ってたじゃん。
どーゆーことよッ、カカオにしろって言ったんあんたでしょッ、責任とれよッッ」
「知っ、知、しらねェよォッ私だって、わ、わ、お前、お前、鼻、鼻が」
「キャアアーーーーーッ」

最初こそざまあみろとほくそ笑んでいた私も、殺気立つカフェの空気に徐々に危機感を覚えだし、そそくさと金を払って店を出ようとした。

「…あ、あんた、きんつばだな!?」
「ち、違うよ。
ほらカカオミルクとブラウニーでしょ。釣りいらないから」
「きんつばが居る…」
「きんつばだ」
「きんつばだわ」

店内のチョコどもの溶けかけの顔が一斉に私を向き直った。私は自分の米でできた肌に注がれる視線に痛いほどの身の危険を感じ、荷物も捨ててその場から駆け出した。

「待てェッ、きんつばァ」
「細胞、細胞よこせっ」

死にかけの群衆心理というのはおそろしい。今更私のきんつば細胞もらってどうしようというのだ。お菓子の鞍替え技術なんてこないだ東大の教授かなんかが失敗してニュースになったばっかりじゃないか。
必死で走る私は後ろを振り向いて愕然とした。ドロドロのゾンビみたいになったチョコ人どもが、まるで亡者が地獄に引きずり込もうというように私に向かって手を伸ばしている。人と人の肌は溶け合い、ひとつになって、雪ダルマ式にふくれあがったチョコ人の団子みたいなものが、怨嗟の声をあげながら私に向かって転がってくる。

「よこせーーーーー」
「わああああああああ」

私は情けない悲鳴を上げて必死に走った。建物に逃げ込みたいのだが、東京では昨今のビルは全部チョコでできているので、目の前で次々と倒壊しては人もろともベシャリとチョコの飛沫を撒き散らしている。私はもはや全身チョコまみれになりながらようやくモナカ作りの建物を見つけると、エレベーターに乗りこむ。目の前まで迫っていたチョコ団子は閉まってゆくエレベーターのドアにびしゃりとぶつかり、そこで止まった。首がひとつ、閉まる扉にぶったぎられて私の足元に転がる。恐怖に泣き崩れる私の足元で、そいつの表情はやけに気持ちよさそうに笑っていた。

屋上に上がって下を見下ろせば、もはや建物や道路といったものは見えず、広がるチョコレートの海がごうごうと流れているだけだった。あまりに急に訪れた世界の終焉に、私はただ呆然とそれを眺めることしかできなかった。

「あンまい匂いやねェ~」

どこに潜んでいたのか、私の後ろからひょこひょこと一人のお婆ちゃんが歩いてきて、手すりから下を覗き込んだ。お婆ちゃんはシンプルな粒あん人であるらしく、暑さもさして気にしていないふうだった。

「お嬢ちゃん若いんやから、下行ってスイミングでもしてきたらァ」

笑えない冗談に私がしばらく固まっていると、お婆ちゃんは釣竿を取り出して、屋上からチョコの海へ針をぽいと放った。針は放物線を描いて海へぽちゃりと落ちる。

「…釣れないんじゃ、ないですかね」

お婆ちゃんはヒェッヒェと笑った。私はチョコまみれの上着を乱暴に脱いで、海に向かって放り投げた。


2015

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