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ikuraちゃんの地味なすごさを分かち合いたい

YOASOBIの音楽を聴くとき、いつも思うことがある。

ikuraちゃんのボーカルって、お手本みたい。

「地味」とか「お手本」とか、なんか字面だけ見るとディスってるみたいで嫌なんだけど。わたし、ほんとうにすごいと思っていて。

歌をうたうとき。
言葉の、単語の「あたま」は、はっきり発音する。
たとえば「サ行」は子音が抜けやすく聴き取りにくくなることが多いので、「s」はとりわけしっかり。逆に、「カ行」や「タ行」はもともと強く聴こえるのでバランスをとる。

今日、最新曲を聴いたんですけど。

「はじめまして」した日から
ずっと待っていた
この日を想っていた
キラキラその目に宿った
光を見たんだ

YOASOBI『Biri-Biri』

じめましてしたから
っとっていた
のひをもっていた
らきらどった
かりをたんだ

太字はことばの出だし部分

音の都合で「きらきら」の「き」両方にアクセントがあったり、他にも単純に言葉の頭だけではないところがしっかり発音されたりはしているけど。

ikuraちゃんのボーカルって、とっても聴きとりやすい。
さっきこのnoteを書くためにライブ映像も見てみたけど、ライブでも自然にこれをやっていて、やっぱりストレスなく聴けた。

でもね、これ、超基本なんですよ。
ちょっとでも歌を習ったひとは、たぶん必ずこれを言われているはずで。
だからね、これができるからって言って、どうってことないんですよ。
できて当たり前の、基本なんですよ。

でもさ。「基本」って、意外と抜けてる人がいたり、やってくうちになおざりになったり、するよね。

わたしがikuraちゃんの歌を聴くたびにすごいなあと思うのは、この本来「基本」であることが彼女の「特徴」「個性」になっていると感じるから。

それは、ただ単に歌唱の基本に忠実であるというだけの話ではなくて。

ikuraちゃんの歌い方って、まっすぐじゃないですか。だからこそAyaseさんの曲にぴったりハマるのかな。なんて思ったりして。
そして、YOASOBIは“小説を音楽にするユニット”なわけで。

小説は、ことばであって。
そのことばを、YOASOBIというユニットは、ikuraちゃんは、大切にしてくれる。

そんな印象を持たせてくれる。

楽曲の中でボーカル音声に加工が入っていても、めちゃくちゃにならない。むしろそれによって、基本的であるはずの歌い方が際立つ。だからそれは、もはや個性でいいんだと思う。

なにを今さら当たり前のことを。と思われてもいい。わたしはすごいと思ってる。
もちろん、こういう歌い方をしないひとがだめだとか、よくないとか、そういう意図はない。個性は人それぞれだから個性なんだし。

ikuraちゃんのすごさ。
わかる! って思ってもらえたらうれしい。
そうなんだ。って思ったら、意識して聴いてみてほしいな。

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