書くことに支えられ、かけられた言葉に支えられ
いしかわゆきさんの『書く習慣』という本を読んではじめた、『「書く習慣」1ヶ月チャレンジ』。本日は27日目です。
Day 27 「誰かに言われた大切な言葉」
大切な言葉。
いくつかある。
仔細な部分はおぼろげでも、折に触れて思い出す。そんな言葉が。
「ゆめいさんには書き続けてほしい」
これは小学校を卒業するとき、当時の担任の先生から言われた言葉。
わたしが詩を書きはじめたのは小学生の時で、先生はわたしが詩を書いていることを知っていた。
その先生は中学校国語科の教員免許も持っていたはずで、詩歌にも、比較的馴染みがあったのかもしれない。
この時、わたしは別に書くのを辞めようとは思っていなかったんじゃないかと思う。けれど、私が詩を書いていることを、書いていく未来のことを、こんな風に言ってくれる人がいるんだ。ということに、驚いた記憶がある。
その後も書くことを辞めようとしたことはないんだけど、それでもたまに、思い出す。
諦めるのはいつでもできる
『SCHOOL OF LOCK!』というラジオ番組をご存知だろうか。
TOKYO FMから全国38局ネットで放送されている、ラジオの中の学校。今も放送されているけれど、わたしは学生時代によく聴いていた。
いろんなコーナーやトークテーマがある中で、お悩み相談的なお便りが届くこともある。
メインパーソナリティ二人のうち、どちらが言ったかもよく覚えていないのだけど、なにかのお便りへの回答で、この言葉が出てきた。
作家になりたい、詩人になりたい。けれど、そんな簡単になれるようなもんじゃない。
新人賞に応募したいと思いながら書いていた小説も、どうにも人気作の二番煎じ感が否めない。
でも、そうか。いつでもできるなら、最後の手段として取っておけばいい。それまではやろう。
そう思ったら、ちょっとやれるような気がした。
そしてあんまり諦めないまま、30歳になった今も書いている。
手に入れるなら、自分だけの何かを。
わたしはこのツイートを、ことあるごとに見返している。
憧れの人って、いるじゃないですか。
こんな人になりたい、この人みたいな作品が書きたい。この人の視点がほしい。
でもそれって、その人がこれまで生きてきた全ての時間が生み出しているわけで。極端な話、たとえわたしがその人になったとしても、たぶん手に入らないんだろう。だって、おそらく全く同じ人生にはならないだろうから。
わたしはBase Ball Bearというバンドが好きで、時にがっつり、時にゆったり、自分のペースで追いかけているのだけど。この人がそう言うならどうしようもないな。と思わされてしまった。
自分だけの何か。すごくむずかしい。自分の強みが言える人はそんなに難しくないんだろうけど、わたしにはまだ難しいかな。
身の回りの人たちからの褒め言葉を、ゆっくりじっくり咀嚼するので精一杯だ。
これまでの人生、まあまあの割合で書くことに支えられていた節がある。だから、大切にしている言葉もその関係のものばかりだった。
これから先もそんな言葉に出会いたい。そして、わたしの言葉が誰かに大切にしてもらえるようなことが起きるように。明日も書いていくんだろうなあ。