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【スタッフのつぶやき】そのとき、そこにいた自分が埋もれないように

こんにちは。学生スタッフの山本圭です!
今年の梅雨は本当に短かったですね。あっという間に夏がやってきたように感じます。
さて、今回は『スタッフのつぶやき』をお届けします。随分と久しぶりに書く気がします。ふと感じたことを今回は書いてみました。ぜひ最後までお付き合いください。

移り変わる環境

友達や家族と話しているときに、
「そういえば、小学校の前通ったら、あそこが新しくなってた」
「あの工事中だった場所が完成してた」
などの会話をしていたと思います。
そして、当時の流行の曲が流れたりするとノスタルジックな気持ちになり、そんなときに考えるのは
どこまで、当時の僕がその場所、そのとき、関わった人のなかに残っているんだろうか?ということです。

僕は小学校2年生まで埼玉に住んでいました。その後、福岡に引っ越し、高校を卒業するまで福岡に住んでいたのですが、ふとした瞬間に、埼玉で暮らしていたときのことを思い返すことがあります。
そして、いつも
「よく一緒に帰ったり、遊んだりしていた同じマンションの子は今、何をしているんだろう?多分もう覚えてもいないだろうな~。」
と考えてしまいます。

当時の自分からすると、引っ越しで、今まで当たり前に関わっていた人たちとの縁が薄くなり、ゼロの状態から福岡での生活を始るため、かなり印象的な出来事で、今もこのように思い出すことがあります。
一方で、他の人にとっては、複数いる友達・ご近所さんがひとり減っただけであり、「言われたみたらそんな人いた気がする…」程度じゃないかなと思います。そのまま埼玉で暮らしていたとしたら、福岡なんて知らない土地で、一生行くことはなかったかもしれません。そっちの世界線で生きていたらどうなるんだろうなんて考えることもあります(笑)。

消えていくものと残るもの

自分の生活する場所や身を置く環境が変わると、忘れ去られてしまうものもあれば、いつまでも思い出として残るものがあります。誰も使う人がいなくなった場所は記憶からも忘れ去られるし、使っている人がいたり、思い入れがあれば、思い出の場所として記憶に残っている場合もあると思います。
自分の仲のいい人が別の場所に行くことになったら、連絡先を交換して、やり取りを続けるけど、あまり関わらなかった人が、どこかに行っても「へ~そうなんだ。」ぐらいで終わると思います。そうやって環境が変化する中で、選別されて、自分の中で印象的なものだけが残っていくと感じています。

変化の中

自分の今の生活は、長い視点で見ると変化の最中かもしれません。(未来が見えればいつが人生が変わる大事な時か分かるのですが…。)
そう考えると、昔のあの時に戻りたいと思うと同時に、一方では、使っていた建物が変わっても、自分がそのコミュニティから離れたとしても、そのときの自分を覚えてくれている人がいたら良いな~と思っています。
そして、他の人の印象的な記憶の中には自分が含まているかもしれないと思うと、今を必死に生きて、どこかの場所に何かの形で爪痕を残したいです。

今回はこんな感じでふと感じたことを「スタッフのつぶやき」としてお届けしました。少しはco-ba hiroshimaスタッフのことを身近に感じて頂けると嬉しいです。ではまた今度!

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