目の前の一瞬に全てを捧げ、限界まで戦い抜く“エース”

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、2006年10月、プロ野球セ・パ両リーグ優勝決定試合について、記します。そのパ・リーグ編です。

04月ごろ、Yahoo!のスポナビにて、復刻速報として過去の名試合のものを再現する企画が行われていました。

その試合の最終イニングの動画をYouTubeで視たのですが、涙がポロポロと出てきました。泣かずに見るのは相当難しい。
そして、両リーグともに、人目をはばからず泣いている人がいたのです。

パ・リーグは、2006年10月12日(木)のプレーオフ第2ステージ、北海道日本ハム VS. 福岡ソフトバンクの試合です。
八木智哉と斉藤和巳の投げ合いで始まり、09回表まで福岡ソフトバンク打線は八木を打ち崩すことができません。
当時ルーキーの八木、勢いがあります。

一方、福岡ソフトバンクの斉藤和巳もさすがのピッチング。お互い引き下がらないまま、09回裏を迎えます。
斉藤和巳がマウンドに立ちます。02日前、中日の川上憲伸は08回を投げて後続のピッチャーにリレーしていますが、それより長いイニングです。

福岡ソフトバンクは過去02年、レギュラーシーズンで最高勝率ながら西武と千葉ロッテに優勝をさらわれ、日本シリーズ進出を許すという屈辱が続いていました。今年こそという強い気持ちがあったはずです。
加えて、王貞治監督が胃がんのため途中療養していた事情も重なります。
もうひとつ、直前にあったプレーオフ第1ステージの第1戦では、西武の松坂大輔と投げ合った末、01失点完投負けを喫していました。その後福岡ソフトバンクが連勝して第2ステージ進出を果たしたのですが、中04日登板の今回こそは自分の手で勝利をつかむんだ、簡単にマウンドは譲らんという気迫を感じます。その姿を見てチームのメンバーの士気も高まります。

09回裏、北海道日本ハムは1番の森本稀哲からという好打順です。1点でもとればその時点でサヨナラ勝ちであり、札幌ドームの大多数を占める北海道日本ハムファンから、大声援が送られます。

大舞台に立ち続けてきたエース斉藤和巳ですが、球に乱れが出始めました…。
森本にフォアボールを与えてしまいます。

2番田中賢介、確実に送りバントを決めます。
迎える3番は、小笠原道大。敬遠フォアボールでした。当年の首位打者であり、ヒットを打たれたら終わりのシチュエーションです。オーマイガッツ。当然の選択だと思います。

4番に座るは、フェルナンド・セギノールです。ここは、三振にきってとります。

2アウトになり、左バッターボックスに稲葉篤紀が入ります。ヤクルト時代と同じ、背番号41を今年から着用します。

初球、外角に151km/hのストレート!しかしわずかに外れてボール。
球数は126球となりながらも、151km/hを投げた斉藤和巳。この02ヶ月前、阪神甲子園球場にて早稲田実業学校の斎藤佑樹が延長15回に147km/hを投げ、日本中が仰天感嘆していたことがありましたが、それに近いものがあります。

ボール先行となったからには、変化球でカウントを整えたいところ。ストレートの残像がある外角に、127球目となるフォークを投げます。

稲葉、打ちますが内野ゴロ。セカンドの深いところに転がり、仲澤忠厚がつかんでショートにトスするも、ファーストランナー小笠原がもともと好スタートを切っており、フォースプレーとなるセカンドはセーフ!!

2アウトであり、進塁を戸惑う理由は何もありません。セカンドランナー森本、ノンストップで3塁を回りホーム突入、とれなかった1点をもぎとり、サヨナラ勝ち!グラウンドに歓喜の輪ができます、北海道日本ハムファイターズ、2006年パ・リーグ優勝を果たしました!!

ファイターズが東京ドーム時代に一度も果たせなかった優勝を、北海道移転03年目で果たしました。喜びが爆発して当然です。

一方、ホークスのピッチャー斉藤和巳、立ち上がることができません。2003年こそは20勝をあげて沢村賞に輝き、福岡ダイエーホークス日本一に大貢献しましたが、それから03年連続日本シリーズに行くことができない結果となり、背負っていた責任感も相まり、くっきりと勝敗が描かれてしまったのでした。

これは偶然ですが、1989年のナゴヤ球場での巨人戦でも、斎藤雅樹が25人連続でヒットを打たれないピッチングをしながらも、03点リードの9回裏1アウトから代打音重鎮にヒットを打たれ、ノーヒットノーランがなくなってしまいます。
その後1番彦野は打ち取られるも、2番川又フォアボール、3番仁村がタイムリー、4番落合ホームランで逆転サヨナラ負けとなってしまったことがありました。

120球以上も投げ、8回を無失点で抑えていれば、一球が占める割合は単純には小さくなります。しかし、ボール球が重なるとランナーを出してしまったりして、単純な話ではなくなり、勝敗に大きな差が出てきます。

悲しいことに、斉藤和巳は、これを境に肩の痛みが悪化。徐々に投げることができなくなりました。2007年こそは06勝をあげますが、最終登板はこの2007年09月23日(日)でした。

私は、確かに人間としては健康維持が大切で、身体を壊したら元も子もないという考えではあります。しかし、これは例外的になってしまいますが、2006年のプレーオフという負ければ終わりのシチュエーションで、絶対に勝つ、勝利を手繰り寄せるんだという責任感があり、周囲に与える好影響含め、是だと考えます。プロのアスリートとして、限界まで戦い抜くことには正当性があります。

このシーンは強烈で、その後斉藤和巳がポストシーズンに投げられなかったことからも、そのバランスを考えさせられます。

ただ、実力主義のプロ野球で、サヨナラ負けもありえて、かつ負けたら終わりというマウンドに立てるピッチャーが何人いるでしょうか。実力と信頼が相当高まっている、エースだという証明でもあります。

さらに、斉藤和巳本人も、

「覚えていただいている方がいらっしゃってありがたいことです」

と、前向きな言葉を口にしています。もしかしたら、本心は他に思うことがあるかもしれませんけどね。

斉藤和巳がこの試合、9回裏のマウンドに上がったのは当然のことだと言えます。ただ、大事な試合で先発ピッチャーが好投していたら9回のマウンドにも上がって当然という価値観の支配が強まり、2007年日本シリーズ第5戦で9回表のマウンドに山井大介ではなく岩瀬仁紀が上がったことに対する異論が強くなった一因とも感じます。繰り返しますが、2006年パ・リーグプレーオフ第2ステージ第2戦は、斉藤和巳に託すのが最適解。限界まで、エースに任せましょう。それは間違いありません。

端から見ているだけの私からしたら、本当に複雑です。エースとして負けられない大切な試合を、限界まで、その“場”を守り抜いてほしい気持ちもあります。一方、負けない姿を神と崇めても、実体は生身の人間です。理想は長きにわたる活躍であり、取り返しがつかない代償を受けてしまってまでは…とも思います。
とは言え、代償云々は結果論です。覚悟を決めて戦ったはずです。大相撲の横綱貴乃花もそうでした。
限界まで戦い、結果として涙を流す姿を、責めることはできません。

ひとつのエース像として、斉藤和巳から学びとり、今後に活かしていきたいです。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。