ライトフィールダーに降り注ぐ、カクテルライトという名のスポットライト

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、私の人生初のプロ野球観戦について、記します。

ずっとテレビで見ていたプロ野球。
1994年の国民的行事をリアルタイムで見た記憶はないので、覚えがあるのは1995年からですかね?
と言っても、当時の三重県では、東海テレビとCBCテレビが交互に中日戦を映し、中京テレビが巨人主催試合を映していました。
と言っても、他のアニメやバラエティ番組も見ており、金曜日のドラえもんは何よりの楽しみでした。

私は、100円程度で買えたプロ野球の選手名鑑を見て、選手の名前を覚えていました。
思えば、選手名鑑を見ていたことが、後年スムーズに新聞のスポーツ記事を読めるようになり、政治・経済の記事にも広がっていったのでした。


1996年05月18日(土)。
テレビで見ていただけのナゴヤ球場に、初めて行きました。中日 VS. 横浜です。
2019年には年間10試合以上観に行くようになっていた私の、初回観戦でした。

席は内野席、バックネット後方でした。グラウンド全体を広く見渡すことができます。
中日は今中慎二、横浜は三浦大輔の両先発ピッチャーで試合が始まりました。

中日は、レフト山崎武司、センター愛甲猛、ライトアロンゾ・パウエルという、改めて見たらビックリの布陣です。全員、打撃が得意な選手であり、センターに愛甲を起用してまで打撃力に重きを置いていました。ナゴヤ球場だからこそできたことです。

一方で、横浜も、4番はライトの佐伯貴弘でした。ロバート・ローズは代打起用、波留敏夫は守備固めであり、コンディション不良でしょうか?

おぼろげながら、覚えていることがあります。それは、その日唯一出た、ホームランです。

アロンゾ・パウエルが放った打球は、夜空を舞い、外野スタンドへ!ファールは何回かありましたが、パウエルのホームランによって、球場の雰囲気が変わったのを覚えています。確か、センター方向でした。

かっこいい…
細身体型の私自身にホームランはあまり縁がなかったですが、ナゴヤ球場を回るパウエルの姿は私の原点であり、フィギュアを手に入れて部屋に飾ってあります(コーヒーのおまけでしたが)。

打撃コーチとして、パウエルの中日復帰には、大喜びしました。

一方で、横浜の波留、佐伯、谷繁元信、デニー友利の各選手もこの試合に出場していますが、後年中日の選手・監督・コーチになるとは、わからないものです。

試合は、見事、中日の逆転勝ちでした。とても楽しかった!

…のですが、実は、私は、100%楽しめたわけではないのです。

視線の先には、選手と同じぐらい、外野スタンドがありました。
流れてくるトランペットの音色、楽しそうに熱く歌う声…

私は、早くから外野席に興味がありました。プロ野球選手の応援歌を覚えては歌い、ピアノで弾いたりもしました。
レフトビジターって本当に楽しい!

そんな私の最初の一歩は、ナゴヤ球場だったのです。
翌年開場のナゴヤドームには、新しい時代の到来を感じました。ただ、ナゴヤ球場で打って勝った中日ドラゴンズは、決して色褪せることのない思い出です。

ありがとうございました。

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