三重県民が見たジャイアントキリング

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、三重県民が見たジャイアントキリングについて、記します。

時は2014年。ソチオリンピック、サッカーワールドカップブラジル大会があったスポーツイヤーでした。
その年の08月24日(日)。例年通り開催中の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の第1試合にて09回裏の攻撃が終わると、私は信じられない気持ちになりました。
これ、夢じゃないよな?

三重県代表三重高校(私立)が新潟県代表日本文理高校に勝ち、私は生まれて初めて、三重県の高校が夏の甲子園決勝進出となる瞬間を見たのです。
それまでの三重県代表と言えば、1999年~2013年の間で初戦突破したのは2009年(三重高校)だけという状態であり、勝てただけでも話題になる状態だったのです。

ところが2014年。三重高校は初戦の広島県代表広陵高校に勝つと、岐阜県代表大垣日大高校、熊本県代表城北高校、沖縄県代表沖縄尚学高校と負けなしの連勝街道を進み続けます。私は初戦勝っただけでも盛大に拍手レベルなのに、想像の斜め上の展開が実際に起きています。
そして。準決勝進出となり相手は2009年にまだ終わらない夏を見せてくれた新潟県代表日本文理高校。確かにあの時のメンバーとは全員入れ替わっているとは言え、徳俵からでもまた追い返してきそうな印象を持った人は他にもいるのではないでしょうか。
さらにはエース飯塚悟史は好投手と聞き(実際に同年のドラフト会議で横浜DeNAに指名を受けてプロ入りしています)、さすがにここまでか、いい夢見たよなと思いつつも、ゼロではない可能性も信じて私は試合に食い入りました。
結果、三重高校打線は通常通り機能し、一方でエース今井重太朗も日本文理打線を抑え込みます。まさに投打噛み合い三重高校の勝利となったのでした。
試合後のスコアボードには、翌日開催の決勝戦の情報しかありません。そこに自然に映っている、"大阪桐蔭"と"三重"の文字。

2015年に実施した国勢調査によると、三重県の65歳以上人口は501,046人で平成22年と比べ53,943人(12.1%)増加、年齢別割合は 27.9%というデータが出ています。

言い換えれば県民の70%ほどは65歳未満であるということであり、人生で初めて三重県勢の決勝進出を見た三重県民が多数派だということになります。
なぜなら、59年ぶりだったからです。前回が1955年です。伊勢湾台風よりも前のできごとです。

決勝戦には負けてしまい優勝することはできませんでしたが、それでも三重県の歴史に残る大健闘と言っていいものでした。
ただ、大阪桐蔭に勝てたらもう本当の大金星、ジャイアントキリングだと大々的に言えるものではありました。2007年の佐賀県がその一例です。

三重県もうまくかみ合えば行ける…そう思った2014年が明けた2015年の夏。
三重県の夏の甲子園代表校は、初となる三重県立津商業高校でした。
私は、前年全国制覇に王手をかけた高校の強さが維持できなかったことには少々残念な気持ちもありましたが、三重県の代表校を応援しようという気持ちの方が大きかったです。

08月09日(日)。早起きした私は、第1試合を見ます。津商業の対戦相手は、隣県和歌山の智辯和歌山高校でした。
2015年当時で21回目の出場となる智辯和歌山。詳しくなくても名前を聞くと高校野球によく出ている印象はあるでしょう。
昨年の三重高校は確かに強かったですが、これまでの三重県を振り返ると突然変異的な強さです。
公立高校の相手が名門私立…ワンサイドゲームでの敗戦を覚悟した三重県民も多かったかと思います。実際、2点先制されて始まりました。

ところが。06回表には逆転に成功し、その後も加点を繰り返して逃げ切りました。三重県の公立高校が、和歌山県の名門私立に勝ったのです。

私は、呆然。02年連続初戦突破するわ、そして三重県の公立高校があの強豪智辯和歌山に勝つわ。三重県で育った誇りのような気持ちが沸き上がってきました。
次戦の京都府代表鳥羽高校戦には勝てず敗退になりましたが、智辯和歌山相手に勝った事実は大きかったのではないでしょうか。
実際に、私の身内も、智辯和歌山に勝ったのはすごいと何度も言っていました。逆にそのスポーツに詳しくない人の方がそのことの大きさを感じやすいと言いますか。

三重県は人口が22位、面積が25位と47都道府県の中位に位置する項目が多いのですが、2016年にはG7サミットが開催されており、有名観光地や高級食材を持ちながらもそのポテンシャルを活かしきれていない感はあると個人的に感じています。中には謙遜どころか卑下するように感じる話題まで生まれてしまう始末です。

事実であることに違いはないのでそれはいいのですが、育った人間としてはそんなこと言わなくても…と思ってしまっていました。

時は流れて2022年11月。この年も北京オリンピック、サッカーワールドカップカタール大会があったスポーツイヤーです。
サッカー日本代表はE組になり、初戦でドイツとの対戦が決まりました。

これを聞いた瞬間に、勝てるわけねえだろ!と思った人は都道府県関係なく多くいたはずです。私もそうでした。
何せ、上述の2014年サッカーワールドカップブラジル大会で優勝したのはそのドイツです。2002年の日韓大会では決勝戦敗退でしたし、それだけでなくドイツの国内リーグであるブンデスリーガでプレーする日本人選手が複数人います。
まさに、07年前に津商業が初戦で智辯和歌山と当たったようなものなのです。

ところが!いざ試合が始まってみると日本は善戦。先制はされますが、後半に堂安律が同点ゴールを決め、そして浅野拓磨が決勝ゴールを決めました!!
最後のアディショナルタイム07分は大変重いものでしたが、逃げ切りました。日本が、ワールドカップでドイツに勝ったのです!!!

代表チームもメンバーが毎回変わり、高校野球と似た向きがあります。番狂わせ、ジャイアントキリングは起こるものです。

そして何と言っても決勝点をたたき出した浅野拓磨。これに私は夢見心地でした。現在も夢ではないかと思うぐらいです。

そう、そのジャイアントキリングの中心にいたひとりである浅野拓磨は、三重県(三重郡菰野町)出身なのです。
以前は三重県知事を10年務め、現在は三重4区の衆議院議員を務める鈴木英敬さんも大興奮の模様です。

これらを振り返ると、巡り合わせがうまくかみ合えば大きな物事を成し遂げることだってできるという励みになります。
自身の努力は必要にしても、特に三重県民のこれからの日々に大きな光明をもたらした、ジャイアントキリングでした。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。