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海を渡ったピンク 映画『壁の中の秘事』

 1965年、ベルリン国際映画祭に衝撃が走った。日本代表のその作品は、上映開始直後から観客のストップの声や口笛が吹かれるなど大ブーイングが起った。故・若松孝二監督の『壁の中の秘事(ひめごと)』は、ピンク映画を手掛けて評価を得た監督が、若松プロとして独立後に製作したピンク映画だ。冒頭からスターリンの肖像をバックに、ケロイドを負った平和活動家の男と、人妻によるベッドシーンが展開される。

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 今でこそ、一般の映画でも性的なシーンは珍しくないが、当時のベルリンには刺激が強かったようだ。国内では、毎日新聞が先頭を切り、厳しい批判と非難が巻き起こった。「国辱映画」とまで言われたが、この一連の騒動は逆に宣伝となり大ヒットを記録。結果的にピンク映画の認知を広げることとなった。

映画あらすじ

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 コンクリートの無機質な団地群。そこで暮らす人々は鬱屈した日々を過ごしていた。組合で働き、忙しくする夫と平和活動に関わった過去を持つ妻・信子、そして不倫相手の、ケロイドを負い平和活動に身を投じる敏夫。信子は不自由ない生活だが、刺激も変化もない日常に嫌気がさし、かつて愛したはずの不倫相手への失望を抱える。向かいの棟に住む浪人生の誠は、何も達成できない自分に自尊心をすり減らす中で、望遠鏡を使ったのぞきにはまっていた。信子と敏夫の情事や、年頃の姉を見て欲求を解消していたが、そんな姉に男ができたと知り、誠はある衝動にかられる. . . . . .

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 『壁の中の秘事』は、当時にしては新しい生活スタイルの団地をテーマに、その閉鎖性をネガティブに描く作品だ。劇中の登場人物は「四方に人間がひしめきあう場所」、「平和な監獄」と表現し、閉じ込められる不安感にさいなまれる。幸せそうな登場人物は一切いない。信子に金持ち自慢をする嫌な主婦が、途中自殺するなど、終始重苦しい雰囲気で進行する。

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 顔や足のアップ、ケロイドに触る手、男の腰使いなど生々しいベッドシーンや性暴力のシーンがあるが、激しいというほどではない。ピンク映画という枠組みではあるものの、ポルノというより、性表現の多い群像ドラマと言える。先月公開された島本理生原作の映画『Red』や、昨年公開された『愛がなんだ』の方が、性表現は激しい。

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すり替わった日本代表

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(2007年のベルリン国際映画祭の様子)

 1965年のベルリン国際映画祭には、日本映画制作者連盟(映連)を通した「正式な」日本代表作品として『兵隊やくざ』(大映)『にっぽん泥棒物語』(東映)の2本が出品されていた。どちらも、勝新太郎や三國連太郎を起用した大作で、国内でも評価は高かった。 

 だが、映連渾身の2本は、選考で早々に落とされていた。東映・大映といった日本映画界の大作を尻目に、西ドイツの会社が買い取って出品された『壁の~』が選考を通り、できて間もない零細プロダクションの作品が、見事、日本代表となった。

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 当時の報道によると、これを受けて映連は、映画祭の10日前に『壁の~』を日本の公式作品としないように電報で抗議し、映画祭側も、招待作品として賞の対象としない扱いにすると返答した。ところが、ふたを開けてみると当初の予定通り、正式参加作品となっている。これに映連は「この映画は日本の映画製作者連盟の意思に反して上映されたもので、日本は今後ベルリン映画祭をボイコットする」という声明を発表した。

非難轟々の上映会

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 6月25日に始まったベルリン国際映画祭。30日には『壁の~』が上映されたが、これに激烈な批判を加えたのが、映画祭の審査員でもあった、当時毎日新聞学芸部の故・草壁久四郎記者だ。1965年7月7日の毎日新聞、夕刊文化面を見ると「世界に“公開”した日本映画の恥」「「不愉快な作品の見本」 会場は怒りと、ちょう笑と、黙殺と」など痛烈だ。本文も批判一色だ。以下にいくつか引用する。

  なにしろこの映画というのが、団地アパートの一室で、人妻が、その愛人と情事を行うのを、たいへん素朴に写しとってそのベッドシーンを見せどころにしている映画だから、映画の芸術的成果を競うこの映画祭としてはいかにも場ちがいといった感じ。そのうえ映画の出来も三流以下とあっては、まったく救いようがない。
                                                                  (1965年7月7日 毎日新聞夕刊)

  審査員席にいた記者は、まったくいたたまれない気持ちで頭をかかえていたが、両側にいるイギリスのジョン・ギレット、左側にいるドイツのハンス・ルースの両審査員から「君は審査員だからがまんするんだ」となぐさめ、はげまされて、日本人としては耐えがたいこの一時間半を耐えきった。
                                                                                                              (同上)

  六月三十日に一般公開されたが、観客の不評を浴び「やめろ」と叫ぶものもあった。上映後、映画祭の役員が「若松孝二監督を紹介します」といいかけたが、叫び声でかき消されんばかり。若松監督が舞台に現れると、多くの人々は抗議の口笛を吹きならした。
                                                                     (1965年7月2日 毎日新聞)

 7月7日の記事には、ドイツの大手紙に掲載された、批評家のコメントも引用されている。

  この日本映画は伝統あるベルリン国際映画祭を傷つけるものである。このあわれな監督は、彼が表わそうとしたことを説明するには頭脳薄弱である。日本の現代生活の窮屈さ、政治的錯乱、それから道徳的崩壊、それらの現実を浄化するかわりに、彼はただゆがめているだけだ。これらの現実を芸術的な表現にする以前にこのなげかわしい不愉快な仕事を、吐き気のするようなものにしてしまっている。われわれの選定委員会は、映画を浄化する目的のために、無意味で不愉快な作品の見本として、これをわれわれに提示したのであろうか?しかしこのヘドの出るような愚劣な映画を、観客が徹頭徹尾、嘲笑し口笛をならして黙殺したのはせめてもの救いである
(ディ・ベルト紙 フリードリッヒ・ルフト 7月7日、毎日新聞夕刊で引用)

 毎日新聞の草壁記者だが、本人の追悼記事によると、広島での被爆を経験し、原爆関連の取材に携わっている。1961年に初めてカンヌ国際映画祭を取材してからは、通算80回以上映画祭を訪れた。世界中に日本映画を広め、「映画祭屋」と自称するほどだったという。当時のベルリン国際映画祭では、審査員に名を連ねるなど思い入れが伺える。『壁の~』の登場人物はケロイドを負い、「俺の体の中には放射能があるんだ」と語りながら情事にふける。

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 記事中には言及されていないものの、自身にとって人生に関わるテーマを、「下賤なエロ映画」(記事より)で扱われることに反発を感じてもおかしくはない。

若松監督とピンク

コメント

(若松孝二監督 DVD収録のインタビューより)

 「エロ映画」とは言われるものの、社会性の高いテーマを扱う『壁の~』は、企画段階では全く別のストーリーだったという。あらかじめ、スポンサーが納得するような脚本を用意しておいて、いざ製作費が入れば、隠しておいた本命の作品を撮る。若松監督本人が「詐欺です」と言い切っているのが潔い。ベルリンでは非難轟々で、日本でも批判が集中したが、それが逆に宣伝となり結果的に興行は大成功だったため、スポンサー側も問題にはしなかったという。

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 監督は後のインタビューで、「ピンクはゲリラだ」と語っている。当時は、製作費を抑えられるピンク映画で稼ぐことができた時代だった。性的なシーンを入れさえすれば、どんな題材でも扱えるピンクは、大手の映画会社が作らないものを作ってこそ、というのが監督の姿勢だった。後に、日活がロマンポルノの製作に乗り出して以降、「メジャー」となったピンク映画から監督は離れる。以後、2008年には代表作と言われる『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』がベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞。見事雪辱を晴らした。

筆者感想 ゲリラ戦法で殴り込んだ監督

 『壁の~』は、日本の代表団を通さずに、ドイツの配給会社が持ち込んだ。若松監督本人の当時の意向は知る由もないが、結果としてはゲリラ戦法で大手配給の大作を押しのけた格好だ。

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 監督は宮城県に生まれ、農業高校を暴力沙汰で退学になった。上京すると和菓子屋に住み込み、キャバレーのボーイなど仕事を転々とし、ヤクザ世界に入ったこともあったという。そんな「底辺」を自称する監督の作品が、いわゆる、「高学歴のエリート」による正統派の作品を差し置いて世界の舞台に登場した。さらに、そこでは不倫・性交・ケロイド・スターリンを「伝統」・「品格」の映画祭に叩きつけた。映画の自由と、反抗の精神を体現した監督と、『壁の~』を選んだ映画祭選考委員(どんな意図があったかは分からないが)には喝采を送りたい。

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 現在、新型コロナの影響で、各地のミニシアターは存続の危機にある。独立系の映画会社、ミニシアターは映画文化における多様性を支える要だと言える。ただでさえ、世間・国家・常識に反抗する作品が作りづらい昨今、若松監督のような「はみ出し者」がさらに居場所を失えば、日本映画界は大きく後退するだろう。私がこの社会の複雑さと、多様さを知ったのはミニシアターで見た映画のおかげだ。活字が苦手な人、現実逃避したい人、世の中がつまらないと感じる人、是非コロナ以後は近くのミニシアターに足を運んでほしい。あなたの見たいものが、感じたかったものがそこにきっとある。

                          (文 有賀光太)

画像出典

本編画像は2005年版『壁の中の秘事』DVD(R指定ではない)より

ベルリン国際映画祭( https://www.flickr.com/photos/fotokurse-berlin/386712672/?)

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