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「『自然体で生きる』って結局どうしたらいいの?」第23回コア学ゼミ(2021年7月)

この記事は

毎月開催されるコア学研究所の講義を書き起こししたテキスト(有料記事)となります。

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「やり抜くモード」の発動を邪魔するセルフイメージ

今回のコア学ゼミは、サロンに続きモチベーションや情熱の維持がテーマです。何かをやり抜くこと、何かを続けることは、果たして才能なのか?実はみんなに備わっているものじゃないか?という話です。

前回のコア学サロンでも、やり抜くモードの自分がいるよって話をさせてもらいましたが、その話をベースに、やり抜くモードの自分を邪魔してしまう思い込みとかセルフイメージとは何なのか、どうして身についてしまうのか、どうやって手放していくかという話をしていきます。

何かを続けようと始めたことが、途中から面倒くさくなってやめちゃったり、自分の中でもういいやって諦めてしまったり、結果が出るまで続けられない感覚があったりしませんか?実はそういう時、本当にやめることが大事なタイミングと、やめないでもうちょっと壁を乗り越えた方がいいタイミングがあるんですね。

これを見極めることができた時に、もう手放していいよとか、もう継続しなくていいよっていう自分の中から湧いてくるサインを拾うことができます。
逆に言うと、本当はとっくにやめていいもの、手放していいものに気づくこともできます。どっちのサインなのか知るってことを、今回のゼミでやっていきたいと思います。

コア学サロンでは、何かをやり抜くことができる「やり抜くモードの自分」が出てくるために非常に大事な3つの最低条件がある、という話をしました。

①生まれながらにして持っているリソースを使えるorそれらが邪魔な要素とならないこと

②生まれながらにして持っているリソースをうまく使いこなせるようになるコントロール力が備わっていること

③幸せや喜びや愛や感謝に対して肯定的/能動的である環境や人間関係

「やり抜くモードの自分」が普段は出てきやすいのに、思い込みやセルフイメージが邪魔してしまうと、やり抜くモードの自分が出てこない。そういう現状が結構な確率で起こります。


それって自分のため?誰かの反応をもらうため?

皆さんは、何もしないでいるのはダメなことだと感じますか?何もしないでいるのはいけないとか、わかりやすい何かを残さなきゃいけないとか、それに対して焦らされる感覚ってありませんか?これは無意識のうちに、ゼロベースよりもプラスで生きようとする傾向があるということです。

何かしなきゃいけない「何か」っていうのは、自分にとっての何かじゃなくて、誰かにとってわかりやすい何かをしなきゃいけないっていう感覚なんだと、まずは気づいてみてください。強迫観念みたいなものです。

自分のための何かではなく、誰かを納得させるためとか、誰かに強くわからせるためとか、誰かに反応してもらうためとか、自分だけで完結する何かではなく、人へのアピールとか、他者からの反応や評価やリアクションなど、外から何かを求めるための何かってことがわかりますか?

サボってないよアピールとかそうですね。自分のために完結する何かというのは、この中に入ってないのわかりますか?これがゼロではなくプラスの感覚です。

本当は自分のためだけで完結していいのに、誰かのために何かプラスアルファをしなきゃいけない思い込みとか、自分に対する圧力、強迫観念があります。

この圧力こそ、やり抜くモードの自分を邪魔するんです。この圧を自分の中から取り除くことが大事なヒントになるし、自分の人生でしか出せない結果、要するに自分らしい生き方をすることで作り出せる恩恵、人との絆、人間関係を最も邪魔するのが圧なんですね。

なぜかというと、やり抜くモードの自分が出てくれれば、頑張るとかじゃなくて自然とコツコツと積み重ねてくれるんです。そうすると自分にしかできない積み重ねた結果が生まれるんですね。私たちはその結果を1つの豊かな現実として受け取るわけなんですが、この圧が結果を作り出す自分を邪魔しちゃうんですよね。

実は自分で自分に圧をかけ過ぎてプラス偏ると、同じ量のマイナスが一気に増えてゼロに戻すって働きがあるんです。なので、私たちが自分のためを越えて、自己完結以上に何かをしなきゃいけないってプラスに偏りすぎると、何もしたくないとか全部嫌だとか、一気にマイナスに来るんですね。

そうやって帳尻合わせて自分をゼロに戻すっていう法則があるんです。自分の自然体をちょっと超えた、不自然な生き方っていう感じです。

多くの人は、人生からプラスの部分を取っても何の問題もないってことに気づかないまま、無意識に自分でプラスの圧力をかけ過ぎて、ふっと力がゆるんだ時にマイナスに振り切れちゃうので、何もやりたくなくなってゼロに戻ることを繰り返すわけなんです。

皆さんは、そのままでいてはいけないという感覚、自己完結な生き方をしてはいけないという感覚、余裕があったら人のためにならなきゃいけない感覚、いつも何かをやらなきゃいけない感覚ってありませんか?

マイナスの必要はなくて、プラスの部分を取って、最小単位の自分という人間のためにまず1つ完結させることが大事なんですね。自分のために完結するライフスタイルを発見することがすごく大事なんです。プラスはプラスで楽しんだらいいんですが、楽しめないプラスの圧力はきついだけなんです。

自然体で生きるって…具体的にどういうこと?

自分のゼロを知ることはすごく大事なことで、自分のゼロがどこにあるかわからない方が多いんだけど、イメージの中でぜひ見つけて欲しいんです。ポイントは自然体でいるライフスタイルです。でも、これだとまだ抽象的ですよね。

よく聞くと思うんですよ、自然体でいましょうとか、自然体が一番って聞くんだけど、自然体ってどういうこと?って、実はよくわからないと思うのでちょっと説明しますね。

イメージしてもらいたいのは、何かをすることに対して、誰かに弁明したり、誰かに見せつけたり言ったりする必要もないことで、生活が成り立っているってことです。

自然体な生き方、自然体な暮らし方ってどういうものか?それは誰かに「自分はこんなことやったよ」「あんなことやったよ」「私を見て」ってする必要のない生活です。

では、アファメーション的に私の言ってることを聞きながら、自分の場合はどういう生活、どういうライフスタイルかなってイメージしてみてください。

特に誰かに何か見せつけたりする必要もないし、誰かに評価してもらう必要もないし、誰かに評価されて喜ぶ必要もない、喜びもしない、ただただ淡々と自分のためにやることで日々が満ち満ちている。1日24時間が自分のためにやることで満ちてる。そんな生き方をしているとしたら、皆さんの働き方や子育て、家事の仕方はどんな風に変わってますか?あるいはどんな心境になってますか?

自分のためだけに一日を完結させていいんです。全てが自分のためのことだけで満ち満ちて、ただ淡々と淡々と自分が自分のためにやることで、全てが1つ1つ重なって、1日がそれで出来上がってるとしたら、皆さんはどんな感覚ですか?

自然体で生きるって聞いた時、あるいは今の話を聞いた時、あれをやめようと言っても、やめられることって結構少ないと思うんですよ。仕事をすぐやめるとか、子育てやめますとか、そういうことじゃないですよね。

生き方とか姿勢が、どういうエネルギー、どういう周波数、どういう状態で生きるかってことか考えたら、実は今の暮らしのままでも自然体で生きることを実践できるんですね。

ただ、意識を変えます。つまり、何かをしなきゃいけない何かっていうのは、誰かに対して私こんなに頑張ってるよってアピールしなきゃいけないモードを切り換えます。そんな必要はなくて、自分が思う大事なこと、自分が思う大事なやり方、こうやってやりたいって思うやり方だけで、淡々と1日を終えてもいいとしたら、どんな感じですか?

丁寧に生きる感じ、のびのびしてリラックスしてる感じ、健康になりそうな感覚、どれも全て皆さんの感覚なので全部正解なんですが、この時のフィーリングが自然体でいる時の自分なんですよ。

自分は淡々と全ての事を自分のためだけの範囲内でやればいいってことなんです。例えば1つの仕事をするにしても、私こんなに頑張ってるとか、みんなに喜んでもらうためとか排除して、とりあえず私が私の満足とか、自分のためにできる範囲だけでいいんです。それだけに集中して、プラスの部分をチョキンチョキンとカットしてやると、感覚が全然違いますよね。

だから私は、自分自身に対して何か選択に迷った時とか、次はどうやってやろうかな、どうしようかなって迷った時は、必ず自分のコアな状態とか自然体の状態に戻ってから選びたいなと思ってるんですね。

私は潜在意識に関する仕事をもう10年やってるんですけど、1年に1回ぐらいはマジでもうやめたいって思うんですよ。

それでも10年続けられたのは、この仕事を自分の範囲内だけに収めずにプラスをかけすぎて、もっとみんなから反応もらわなきゃ、もっと人が増えなきゃ、もっ認知してもらわなきゃって圧力を自分にかけちゃうから、反動で全部やめたくなるんだって気づいたんですよ。本当にやめたいわけじゃないってことなんです。

やってることは楽しいし好きなのに、自然体でやることができずにプラスの圧をかけ過ぎると、やめたいっていうマイナスの圧がバン!ときちゃって、やめたいって反応が出てるだけなんだ、本心でやめたいわけじゃないんだって気づいたんです。

これを知ったおかげで、自分に対する確認の仕方が変わったので、それが本心だと思わなくなりました。

自分の自然体に戻ってみた時に、自然体の自分はどう感じてるかってことがすごく大事だし、自分の自然体に戻るってことは、自分のホーム、自分の居場所、自分がもともといる所みたいな感覚もあるので、そこに戻ってから、じゃあまたやりますかって、やってるイメージありますか?

自然体の自分はそれをやってるイメージがあるか確認した時、私はやっぱりこの仕事をやってるイメージがいつもあったから続いてきた感じなんですね。

今日と明日で変化する自分の範囲

後でも説明しますけど、今まで何かを続けてきたけど、きつくなって、楽しくなくなって、もういいやってやめそうな時ほど、自分が勝手にプラスした過剰な圧力への反応から来ているものなのか、やることそのものが不自然だからやめたいのか、どっちなのか見極めていくのがすごく大事なんですね。

これを見極められると、本当は続けられたのにやめちゃったってことが出てくる場合もあります。逆に言うと、本当はもうやめていいのに、プライドで続けちゃってることもあります。この見極めがつくと、自分の人生でもっと自分らしい結果を出すことができるようになるんですね。

自然体でいるとはどういうことなのか、皆さんの中でまずは感覚として覚えていただくといいなと思うし、ほとんどの場合はリラックスしていたり、静かで穏やかなんだけど、自分の感覚ですごく満ちてる感じがあったりするんですね。要するに…

自然体で生きる=生きることに特別な意味を必要とせず、誰かの許可も評価も認識も必要とせず、ただそこにいる自分の存在を確かに感じられる時

これが自然体で生きることそのものです。何か特別なことをしてる時が自然体で生きるということじゃないんですね。なので何をしていても、どんな作業をしていても、どんな仕事をしていても、誰といても、実は自然体でいることは可能なんです。

可能とはどういうことかと言えば「自分のためっていう範囲を超えたことはしない」これだけでいいんですね。誰かのためのことはしない、自分のためのことだけをするって言われると、微妙に意味が違います。今からその説明をしますので、皆さんも自分のこととして想像しながら聞いてください。

例えば、誰か身近な人 パートナーとか子供とか家族のことを思いやるのは、自分のためっていう感覚の時と、自分のためを超えてる時と、この2つって微妙に違う時ありません?

一見、人のこと考えているし、一見、自分のことを超えた誰かのこと思ってるんだけど、自分のフィーリング的にはその人を思うことも込み込みで、自分のためっていう感覚とか範囲とか線引きってありますよね。

この範囲って体調や状況によって広さが変わるんです。体調が悪い時って、この円の範囲、円周がめっちゃ狭いんだよね。マジで自分のことしか考えられないんです。

自分の体調が悪い時は人のこととか思いやれないわけですよ。だけど調子がいい時とか自分の状態がいい時って、この円が広がる感じがありません?調子によって半径1メートル以内の他人、5メートルの他人、10メートルの他人って、円が広い時は円の中に入ってくる人物が増えるわけですよね。

中には、この人のことを思いやるのは、今は自分のためにはならない。でも明日はわからないとかすごく微細なものなんです。だから自分の状況やその時の心境、その時の体調によって、どの範囲までが自分だと思えるか、どの範囲の他人までが自分のことと思えるかって全然変わってくるんです。

この感覚、皆さんもわかると思います。だからその時その時の自分の範囲に嘘をついちゃうと、たちまち不自然な生き方になっちゃうんですね。

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