どうしてもすれ違ってしまうとき、一言踏み込んで歩み寄るには
ドライブしながらはなしをきいていたら、ぽろっと呟くように母が言った。
わたしは自分のことに置きかえて考えながら「ほんとそうやねぇ」と相槌を打ちつつ、
その一言二言の歩みよりというか、一言二言踏み込んで相手に確認してみるだけで全然違うし 新しい発見があったりする! のは分かるんだけど、でも実は意外にそのたったの一言二言が けっこうハードルの高いことだったりするよね と、わたしも呟いていた。
相手がもしもどんなに近い関係性でも、自分を守る力は本能的に働いている。
だから、自分が傷つくかもしれないことは少しでも遠ざけようとする。それがわたしたちだもんで。
過去に傷ついた経験のある相手とのコミュニケーションなら、なおさら。
「いまの話、わたしはこういう風に捉えたんだけど、そういう意味合いで合ってる?」
「わたしにはこういう風に聴こえたんだけど、伝えようとしてたのはそういうことだった?」
もし確認してみるのが難しければ、"どう感じたか" だけを独り言ふうに呟いてみるだけでも違うかもしれない。
もしこちらの捉え方が相手の意図と違ってたとしたら、"違う" というところからまたコミュニケーションがうまれるはず。
でも、お互いに確認しないで そのまますスっと(一方的に)受け止めたままだと、どう伝わったかすら確認する術もなく すれ違ったままになっちゃうんだよなぁ、これが。
(わたしも何度も経験ありだからねw)
特に、親子だったり、兄弟だったり、夫婦だったり。
関係性がとても近い人間同士だとさらに、そのちょっとの踏み込み確認のハードルが高かったりすることもおおいにあるんじゃないだろうか。
(もちろん関係性によるから、みんながみんなそうだとは言わないのだけれど)
長い年月の積み重ねのなかで、相手のことを分かったつもりになりやすい。
相手のことを「こういう人だ」と(勝手に)決めつけやすい。
(父は母は・姉は弟は・妻は夫は、こういうひとだから、とか)
相手に(勝手に)期待して、その期待値に全然届かないことが何度も何度も重なると、まだ起こってもない未来のことについても「きっとこういう反応が返ってくるだろう」とも 決めつけやすい。
(父は母は・姉は弟は・妻は夫は、こういうひとだから たいていこうなるだろう、とか、こう言うだろうよ、とか)
付き合いが長かったり濃かったりすると、確かにその確率(どんな反応が返ってくるかを当てる確率)は高くなるだろうけれど、でもそれって100%ではないから。
わたしも あなたも 誰だって、今日は昨日と全く同じではないから。少しずつだとしても、変わっていくから。
過去の記憶で勝手に決めつけて「このひとはこういうひと」という枠に押し込めたままだと、相手の変化にも気づきづらいし、すれ違いも起きやすくなる。悲しいかな。
そんなことを考えていると、
自分に向けられたベクトル(自分を守ろう守ろうとする力)や、相手への決めつけ(長年の実績を含めて)をも超えていけるのは、やっぱり
プライドとか
体裁とか
勝ち負けとか
そういうのはぜんぶぜーんぶ横に置いておいて、
という自分なりのゴールなんだろうなぁ、と納得してしまった。
この数年、たくさんの 偏り や 執着 や 握りしめてきたもの や決めつけ に気づいて、必要のないものは手放す努力をしてきた。
手放すたびにどんどん身軽になって、ふわふわと軽やかに生きられるようになってきた。以前よりも、という意味で。
とはいっても、まだまだ道の途中なのは、自分でも理解しているつもりだから。
ひとのことをとやかく言う時間も労力も、世の中のことを分かったように偉そうに語る時間も、わたしたちにはきっとないから。
立ち止まって答えが出たなら、また歩きだす。
そうやって、自分なりのゴールに向かって、ただただ自分のことに集中する。
それだけだよね。
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