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職業はお金を稼ぐだけじゃない

まもなくパリで夏のオリンピックが始まります。コロナ禍の中で開催された東京オリンピックからもう3年が経ちました。

いつもオリンピックが始まるたびに、前のオリンピックからの4年間で体験したことを少し振り返ったりするのですが、今回のこの3年間は、世界がそれ以前のあり方から不連続な形で変わりつつあるのを感じさせられた年月でした。この記事を書く直前にも、トランプ前大統領が命を狙われたというニュースを耳にしたところです。


変わるなら、やりたい方向へ

私たちは、変わりゆく世界の中で生きています。世界で起こっていることと無関係に人生を生きることはできません。だから、世界が変わって行くなら、自分自身もアップデートしていかざるを得ません。

どうせ変わるなら、やりたいと心が動く方向へ進みましょう。なぜなら、人はやりたいと思うことをやっている時が幸せだからです。

やりたいことが分からない

ところが、現代にはこの「やりたいこと」が分からない人がかなり多く存在します。たぶん、生まれてから大人になるまで、誰からも指示されず、自分がやりたいことを心ゆくまでやった経験が乏しいからかも知れません。

そもそも「やりたいこと」といっても、「今晩何食べたい?」「週末にどこに行きたい?」というレベルと、「職業として何をやりたい?」「人生を賭けてやりたいことは?」というレベルでは随分違います。

ここで言っているのは、もちろん後者の方です。

でも、食べたいものや行きたい場所について、心で素直に感じ行動に移せない人は、職業や人生についてやりたいことを見つけるのも難しいかも知れません。自分の「やりたい」という感覚に鈍感なままでは、人生を大きく左右する選択はできません。

心の動きに素直になって点検する

まずは日常生活の中で、心が惹かれるものや気に入ったものに対して素直に反応するようにしましょう。そして、せっかく心が動いたのに途中で止めてしまった時、なぜ止めたのか、その理由を少し考えてみてください。「危ない」「高すぎる」「今は時間がない」「バカにされる」「どうせ続けられない」「そんなことにお金を使うのはもったいない」など理由は色々あると思います。

次に、その理由が本当に妥当なものなのか?なぜそう思うようになったのか?そう誰かから言われたのか?などを確認してみましょう。案外、自分が納得できる理由になっていないことが多いはずです。

このように一つひとつ点検していくと、心に刻まれた思い込みや価値基準などによって、自由な心と体の動きが制限されていることに気づくはずです。

人生をかけてやってみたいこととしての職業

さて、ここで「職業」や「人生をかけてやってみたいこと」について、少し考えてみましょう。

まずここで言う「職業」と言うのは、心からやりたいと思うことをやって社会に役立ってしまった結果、報酬としてお金がもらえる行為という意味です。社会に役立つことが、もらえる報酬の多寡に優先しています。すなわち報酬の額は、必ずしも自分が生きていくのに十分な金額かどうかは分からないという事です。「人生をかけてやってみたいこと」というのもここでは「職業」と同じように、他者の役に立つという意味合いが含まれたものとして捉えています。

例えば、医師の資格を持った人が、医療が遅れた発展途上国に赴き、少ない報酬しかもらえないにも関わらず、社会的な使命感があって現地で働くような場合です。そんな人は稀ですが、意外とたくさんいらっしゃいます。でも、医師という職業で十分に社会(世界)に役に立てるかも知れませんが、家族を養っていくためのファイナンスは、多くの場合、別のことで賄わなければなりません。例えば、一年に数ヶ月は日本に戻って、普通の日本人相手に医療を提供することで報酬を得たり、もしくは全く医療とは関係のない事業をするなどして収入を確保する必要があるということです。とにかく何らかの形で収入と支出をバランスさせる必要があります。

職業のいちばんの目的

でも、多くの日本人にとって職業とは、お金を得ることが主目的で、社会に役に立つことが二次的なことになっています(本当は社会に役立つことを第一義にしたいけれど、実際にはお金のことを優先せざるを得ないということかも知れません)。お金を得ることが主目的になってしまうと、自分がやりたいことや一番得意なことを職業に活かすことが難しくなります。なぜなら、やりたいことや得意なことで十分なお金を稼げるかどうかの保証はないからです。

そうかと言って、「お金を稼ぐこと」にほとんどの時間と労力を使ってしまったら、社会に役に立つ「職業」や「人生をかけてやりたいこと」に振り向けるリソースがほとんど残らなくなってしまいます。

人は自分がやりたいと思うことをやっている時に一番高いパフォーマンスとクリエイティビティを発揮します。その圧倒的に高いパフォーマンスとクリエイティビティが社会の役に立つ職業で活かされるのではなく、個人的にお金を得ることだけにほとんど消費されていくというのはちょっと寂しい気がします。社会的にも大きな損失でしょう。

職業とファイナンス

資本主義社会に生きている限り、「お金」に関わらずに生きていくことはできません。そして、先ほど定義した「職業」や「人生で成し遂げたいこと」で自分のファイナンスの要求を満たすようにお金を稼ぐのは簡単ではありません。

それはなかなかの難題ですし、普通に考えていては打開策を見つけるのは難しそうです。だからこそ、夢や理想の生活はあっても、果たしてそれを実現できるのだろうかと不安を感じている人が多いのだと思います。

私にも妙案はありません。

でも解決の糸口を見つけるには、やはり「職業」と「ファイナンス」はしっかり分けて考えてみる所から始めるしかなさそうです。

「職業」は、あなたが社会に役に立つことで報酬を得ることだと言いました。だから職業を探す時は、あなたはどんな風に社会に役立ちたいのか、役に立てるのかを考えることになります。そして、社会の役に立った結果、どんな社会になるのかも考えるでしょう。さらに、社会の役に立つ職業に就いている時の自分を想像してみるとどう感じるでしょうか?心から嬉しい、楽しい、誇らしいなどポジティブな感情が湧いてきたら、「職業」のもう一つの条件である、「心からやりたいこと」を満たしていることになるでしょう。

中には「お金を稼げれば、社会に役に立つかどうかはどうでもいい!」という人がいるかも知れません。でも、人間の幸せには必ず自分以外の人が含まれているものなのです。後はその自分以外の人というのが、家族までの範囲なのか、親戚まで含むのか、友人や会社の同僚、さらには地域社会に住む人たちまで含むのかという範囲の問題です。

人間の幸せとは

もともと人間の脳には、他人のためになるなら、たとえ活動することに自己犠牲を伴っても幸福を感じられるという特殊な機能が備わっているそうです。そしてその時、脳の前頭前野眼窩内側部が活性化しています。

一方で、「おいしいものを食べて幸せな気分になる」「ジョギングして気持ちがいい」というのは、大脳辺縁系の扁桃体の情報処理と言われ、そのレベルの幸福感ならサルやゴリラと変わりません。

別にサルやゴリラの幸福を悪いとは言いません。けれども、人間はサルやゴリラよりもずっと大きい社会を作ることができ、遠く離れた場所にいる人とも意思疎通を図り、関係を築いていくことができます。それは物理的にも情報的にもより広い空間の中で生きて、より大きな幸福感を得られるということです。

どこまでたどり着けるかは人それぞれですが、一人ひとりが心から達成したいと思うゴールを現状の外側に設定してゴールに向かって進んでいけば、これまで想像さえ出来なかった世界で飛び切りの幸せを掴めるのです。



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