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時々なんか猛烈にボヤキたくなる。

キホン,今僕の人生はうまくいっていると思っているけれど,本当に良い人生だったかそうでなかったかは,やっぱり最後の瞬間に判断するものだろうなぁと思う。

ただそのとき,大した人生じゃなかったなと思ったとしても,それでなんか取り戻すとか,やり直すとかできるわけじゃないし(もしかしてできるルートある?),だったらまぁいろいろあったけど,悪くない人生だったなぁと無理矢理にでも思いながら息を引き取るのだろうなぁと思うわけ。


僕の今の行動源泉というか,何が僕を動かしているのかというと,これはもう人生の目的のようなものなんだけれど,「老若男女それぞれが,自分らしく生きることで,コミュニティ全体に役立てるような社会になったらいいな」ということなのです。

なんでこんなこと思ったのかというと,これがたぶんボヤキの中身なのだろうけれど,社会って年寄り寄りじゃないですか(唐突!)。

会社でも,政治でも,学校でも,なんでも歳の多いひとが実権を握っていて,そこにいるみんなが互いに尊重し合いながら,互いの意見や考えをぶつけ合いながら,より良い未来に向かって進んでいくということにはならずに,なんとなく経験則に基づいて歳の多い人が決めるとか,なんとなくエライひとの意見が優先されるとか,ね。あるでしょ。


経験則とか,長い時間かけて持っている知識とか知恵とかいうものが大事なのは超わかるんですよ。

客観的な判断とか,全体を見渡し,俯瞰した視点で物事は考えなくてはいけない!とかね,まったくそのとおりだと思うんです。それでそういうことできるのは経験豊かなベテランでしょ?ていうのもそうだねって思うんです。

ただ,それって全部じゃないですよね。

インターネットはもはや年齢関係なく行き届いていて,結果,知識という情報はどんな層でも得ようと思ったらもう得られる。その意味で,知識そのものにアドバンテージはなくなりつつある。

一方で,体験による知恵の伝承は簡単じゃない。

だからまだそこには大きな価値があるとしても,そういうオトナたちにさえも,どうしたって克服できない「他者の視点」による叡智には耳を貸しても損はないと思うんです。


結局ひとは自分の視点しか持てません。
それがいかに優れていても,他者の視点とは異なるもので,他者の視点のチカラを借りることは,プラスにしかならないと思っています。要はいろんな視点をもって,いろんな考えをもって,最適解を見つけるほうが結果社会にいろんなイノベーションをもたらすし,いろんなブレイクスルーを起こすんじゃね?ってことです。

それには,子どもの視点も入っていて,若い人,子ども,オトナ,老人,男性,女性,そういうの関係なく多様な視点で物事は考えるほうが良いアイディアというか,第3のアイディアが出やすいのではないかなと思っています。


ちょっとわかんないですね。

会社で言うなら,本来,いろんな年齢層のひとがいっしょになってひとつのミッションに向かって仕事をするのが組織なはずなのに,若手の意見をベテランと同様に大事に扱ってくれるオトナって少ないじゃないですか。

その重さの比率がどんなかはちょっと難しいところですけど,若手の柔軟でスピード感ある考え方と,ベテランの冷静で客観的な判断力,みたいなそれぞれの良いところを集めて,結集して,ミックスして会社を底上げしていくための新陳代謝なわけですよ。

そうでなければ,同年齢層や趣味があうひとだけ集まって仕事するほうが似たような考えになって決断しやすいじゃないですか。

でもそれだと発展性がない。
狭い範囲で,狭い考え方に凝り固まって,そのうち関節が動かなくなってきちゃったりして。

やっぱり異文化同士が掛け合わさるほうが,新しい発見があって,発展しそうな感じしませんか。

ましてこの時代。
新しいモノをどんどん生み出していかなくては,いけない。もうすでに飽和状態なのですよ。生活も,仕事も,社会も,人間関係も,昔ならではの伝統と格式だけでなく,新世代の営みを僕らは生み出していかなくてはならないと思いませんか。




…僕は思うの!


で。

なにが言いたいのかというと,会社のエライひとたちが,若い人たちの意見を上手に取り込んで,自分たちの良さもその中にちゃんと入れて,会社が会社であることにしっかりと意義をもっていればいいのだけれど,どうもそんな感じじゃなくて,僕はそういうのがすごく嫌で,一生懸命にその壁を壊そうとしたのだけれどやっぱり敵わなくって,それで何度も心が折れてですね。

たどり着いたのは「そうか,オッサンらに対するアプローチではなくて,若い人たちに対するアプローチのがわかりやすくていいや」というところだったのです。


それで,そういう考え方を若い人たちにたくさん伝えることで,ベテランの意見も大事にする,でも自分の意見もしっかりと言える,そういうひとが増えてくれれば,そのままベテランのひとになったときに,歳とともに考え方は変わっていくものだけれど,それでも今よりは少しずつ僕が考えるいちばん良い社会に近づいていくのではないだろうかと思っています。

微力過ぎて,なんの影響も与えられないかもしれないのだけれど,もしかしたら自己満足止まりなのかなとも思うけれど,しかしそれは僕にとってとても価値があることで,それを行動に移している自分をスゴイと思ってあげられるので,こうして日々がんばっているわけであります。

たまに踏み外すし,そもそも根本的に間違っているかもしれないし,無力な自分に凹むこともたくさんありますが,こうやってたまにボヤキつつ,今年も一年がんばっていこかなと。

改めて思いました。

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