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なぜ,我々は変われないのか。

たとえば、ダイエットしたい,と考えているひとが実際にはダイエットに失敗したという話をよく聞くのは,果たして本当に多くのダイエッターたちに覚悟が足りないからなのか,根性がないからなのか。そのダイエット方法と相性が悪いからなのか,あるいは,ダイエットしたいというのがそもそも本心ではないのか。


ところがおそらくその答えはいずれでもなくて,ことはそれほどに単純でないというか,そんな技術論では語れないのではないだろうか,というのが今のところの僕の結論だ。

なにしろ,世にはびこるダイエットの方法論はいかにも対症療法的で,問題の根幹から目を背けているように感じてしまって,大事なところを突き詰めずして目的を達成しようとしても,世の中そんなに甘くないのだろうなぁと思わずにはいられないのだ。


とあるダイエットの手法がたとえば科学的・医学的根拠を持っていたとしても,これだけではきっとうまくいかないだろうと思う根拠はもうひとつあって,単純に結果論として,ダイエットしたいと願う想いは,相応に真剣なものにも関わらず,本気で痩せたいのに,時に食べすぎたり,日課のジョギングをサボったりしてしまう矛盾こそがその証左なのではないかと考えている。


では,なぜダイエットはうまくいかないのか。

ダイエットがうまくいかない最大の要因は,成功しなかったひとたちみんなに共通していて,それはすなわち「ダイエットしたいという願いと同時に,矛盾したもう一つ大事な願いがあって,それが防衛機制として働いている」ということではないだろうかと考えている。

小難しく言って煙に巻こうとしているわけではなくて,要するにダイエットをしたいと言っているひとは,一方で心の奥の方では「ダイエットしたくない」と思っているんじゃないのかと僕は疑っていると理解してもらえばいい。


僕は以前ボランティアで,ダイエットのためのコーチングを行っていたのだけれど,その経験に照らせば,ダイエットしたいと思っているひとのほとんどは,実はダイエットについて厳密に考えたことがないようだった。


コーチングの最初のセッションで僕はいつも「ダイエットってつまりどういうことですか?」とか「あなたにとってダイエットに成功するとどんなことが起こると思いますか?」とか,方法論とはおおよそ関係ないことから聞いていく。

するとたいていの場合,そういうことを考えたことがなくてポカンと口を開けてしまうか,あるいは「ナニ言ってんのコイツ?バカなの?死ぬの?」的な沈黙が生じてしまって,僕は同じ質問を丁寧に聞き直すことになる。

ダイエットをシンプルに考えてみると,

摂取カロリー > 消費カロリー

なら,ダイエットはたぶん成功しないし,その逆で

摂取カロリー < 消費カロリー

なら,ダイエットはたぶん成功する。


これをどのように達成するかが手法であり,方法論なのだけれど,いずれにしてもその根幹を支えるのは,ダイエッターたちがこれをどう実行し,継続していきたいと思うか,というところだと思う。


にも関わらず,ダイエットをする目的が定かでなかったり,ダイエットを自分自身にとってどうとらえているかを認識する作業を深く掘り下げていないのは,ダイエットの実行基盤を完全にスポイルしているような気がしてならない。

したがって,ダイエットを成功させるには,まずは当の本人がダイエットについてゆっくりと丁寧に,自身と脳内会議する必要がある。


ダイエットをしたいと考えている反面,何らかの意図をもってダイエットをしたくないと思っている自分も併せ持つのが普通なのだから,まずはダイエットをしたくない自分とキチンと向き合う必要があるのだ。そのためのサポートを僕はダイエットコーチングというカタチで行っているのだけれど,ひとりでこういうことをするのは本当に難しいから,ダイエットに限らずもしも何かを成したいと思うことがあれば,誰かのサポートを借りると良いかもしれない。




なぜ,我々は変われないのか。

なぜ,組織は変われないのか。なぜ,部下は成長しないのか。なぜ,クソ上司はいつまでもクソ上司のままか。

それは自身が変わりたくないと願っているからに他ならないのだが,なぜ変わりたくないのかに気づくことができれば,あるいは変わることができるかもしれない。

その気付きを与えることこそが,聴き手である上司の役割なのだと思う。

サポートいただけると燃えます。サポートしすぎると燃え尽きてしまうので,ほどほどにしてください。