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嫌われたくない。

部下に嫌われたくないと本当に思っていて,そのためにはどうしたらいいだろうかと考えていた時期がありました。

嫌われたくないという気持ちは,それはまぁそうだろうなと今でも思います。けれどもしかし,誰かが自分のことをどう感じるのか?は,その誰かに決定権があって結局のとこ自分がコントロールすることはできないものですから,嫌われないことに執着してしまうと自分を見失ってしまうのですね。

せいぜいこちらができることと言えば,
嫌わないでくれ,とお願いするか,相手が好きそうな振る舞いをすることぐらいですが,いずれにしても,だから「嫌われない」ということにはなりません。

自分の言動の指針はやっぱり結局,自分の価値観と良い原則に従って決めるほかないのです。

正論はひとを傷つける
のかもしれませんけれど,自分の行動指針は正論であるほうがカッコイイと思っています。それを誰かに押しつけると,そのひとの状態によっては辛いこともあるでしょうからケースバイケースだと思いますが,正しい原則によらず偏った価値観だけで言動を選択すれば,結果は望む形にはならないことが多いんですね。

それでそのときの僕は,嫌われたくない一心で,なんとなく嫌われないような振る舞いを続けていたのですが,それはなんとも自分の心をむしばむような作業で,少しずつ少しずつ自分が嫌になってくるのです。

そうしてなお,嫌われるのですから,人間関係というのはいかに難しいことかと胸が苦しくなったりもしました。

書籍『7つの習慣』で言うなら「関心の輪」と「影響の輪」です。

関心のあることがらはすべて関心の輪の中にありますが,実は自分が直接影響を与えられることがらはその中のほんの一部です。これが影響の輪。

影響の輪を広げる

影響の輪の外に目を向ければ,成果のあがらない,自分ではどうしようもないことにエネルギーを注ぐことになります。明日の天気に怒ってみても,自分の悪口を言っているあのひとに腹を立ててみても,昨日のプロ野球のひいきチームの結果を批判してみても,上司や先生の悪いところをあげつらってみても,それらを変えることは難しいのです。

成果をあげられないことに時間を割くのは徒労に終わるばかり。

そうして,無駄に時間とエネルギーを消費しているうちに自分の影響力は小さくなり,自分の言葉に耳をかしてくれるひとも減っていきます。影響の輪はどんどん小さくなっていくのです。

逆に直接自分が影響できることだけに注力すれば,優れた人格の形成に役立ち,自分自身を成長させることができます。その結果,自分の影響力は増し,影響を与えることができる範囲(影響の輪)が広がっていくのです。

それならば,顔を上げて建設的な話をしようじゃありませんか。
今ココで自分にできることを前向きにやっていこうじゃありませんか。

なにをしてもなにをしなくても自分を嫌うひとは10%はいるのだそうです。

そのひとたちに目を向けて,自分を見失ってしまうぐらいなら思う存分に自分でいてやればいい。僕のことをどう思うかはそのひとたちが思い思いの判断基準で,それこそ僕には関係なく決めるだろうし,それについて僕が何かできることはない。

そんなふうに開き直ったとき,何かが変わり始めました。

考え方のクセは簡単には変わりませんが,自分のクセに気が付いて少しずつ意識をすることでいつの間にか考え方は変わっています。気が付けば変わっているのです。

正しい原則に従って,周囲の人を信頼し,尊敬をもって接するだけで良いんですね。信頼してもらいたいとか,尊敬してもらいたいとか,そういうことに焦点をあててはいけません。

あてても無駄です。
相手がどう思うかは相手の自由。
そんなこととは無関係に私はあなたを信頼する。ただそれだけです。

そうしたところで,僕を嫌いなひとは僕を嫌いでしょうし,そうしなくても僕のことを好きだと言ってくれるひとはいると信じます。

どうしたって嫌いなひとを信頼したり尊敬したりすることは難しいでしょうけれど,残りの90%は意識すればできます。そんなふうにしていると,なんとなく気も楽ですし,嫌われたって平気ってことはありませんが,嫌われても「まぁ仕方ないね,僕がなにかできるでもなし」ぐらいになります。

できないものに固執するより,できることをコツコツ続けるのがずっと効果的であるのは間違いありません。


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