27歳のあなたに伝えたい大切なこと++
ところで自分軸と言うと,どうも「自分勝手」とか「わがまま」の延長のように感じることもあります。
自分を評価基軸にするというのは,自分の中にある大事な価値観を基準として行動を選択していくということである一方で,その評価軸というのがどういうものなのか,というのはとても重要なことです。
そうでないと,最初に述べたように,わがままとか自分勝手とかいったキーワードに引っかかってしまうからですね。
よく考えて欲しいのは,自分の中の評価軸というのは,自分が生きていく目的に照らして,まっすぐに向かっているものであるということです。
そうでなければ,僕たちは,僕たちが望まないことに対して評価軸を持ってしまっていることになりますから,そこは自己実現,すなわち在りたい自分を明確に示すものでなくてはなりません。
極端に言えば,僕はいつか「たくさんのひとに迷惑を掛けて,ひとが悔しがったり,悲しがったりする姿をたくさん見てみたい!そんなオトナになりたい!」と考えているひとがもしもいるとすれば,そのひとの自分軸はそれを目指したものになってしまい,それはすなわち「わがまま」とか「自分勝手」につながるかもしれません。
しかし,僕らが願う「在りたい自分」がそんなものなはずがありません。
アドラーは自己実現に対する欲求をみなが持っていると言いました。
自己実現と他者貢献こそが,我々が目指すものなのです。
その系譜を受けた僕ら一人一人の目指すもの,人生の目的であるなら,自分軸で生きることになんら恥じることのないものであるなら,それが「わがまま」や「自分勝手」につながらないだろうことはなんとなくイメージできるのではないでしょうか。
そもそも自分勝手になってしまわないだろうか?ということを考えること自体が他者評価に傾いているような気もします。
自分勝手だと感じるのは,自分ではなく周りのひとたちでしょうから,それを私が止めることはできませんし,何がどうあっても,そう感じるひとはいるでしょうから,自分の胸に手を当てて,その行為が自己実現,他者貢献を目指した自分の大切な価値観に基づいたと確信するのなら,迷うことなく選択すればよいのではないかと思うのです。
僕らがもっとも大事にしなくてはいけないのは,他のひとはどうあれ,僕は,私は,自己実現と他者貢献を目指して,行動するということです。
他者への貢献になっているのかどうかわからない。
自分が役に立っているのかどうかわからない。
自分には気が置けない仲間がいない。
と想いを巡らせることに時間を使って先へ進むことを迷うよりは,相手が自分をどう思っているかどうかではなく,私がそのひとを信頼し,私にとっては気が置けない仲間なのだと確信することが大事なのではないか,コミュニティにとって役に立つことを真摯に考えて,全力で当たれば,それは役立っている,私に出来る最大限の努力なのだと自分が思えることが大事なのではないか,と思う今日この頃です。
という感じではいかがですか?
もちろん,これがすぐにできるかどうかとか,じゃぁアンタはできてんのかとか,そういうことはどうでもよくって,こういうことを知っていて,意識をしていて,可能な限りの努力をしたいと思っていること。
これが大事で。
とりあえずまぁアレから僕が考えたことです。
次に会ったときにまた続きを。
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