母と、男の人と、しいたけラーメン
26歳の私は、北海道の小樽で生まれたらしい。しかし、小樽のことは何一つ記憶にない。物心ついた時には、東京の足立区、10階建てマンションの602号室に住んでいた。
当時、5人で暮らしていた。
母親、父親ではない男の人、姉が2人と私。
私は保育園に通っていた。
その男の人は、
私にとって最高の遊び相手だった。
一緒にキャッチボールをしたり、
新幹線を見に行ったり、
ウルトラマンに握手しに行ったり、
クワガタを捕りに行ったり。
その男の人と一緒に遊ぶたびに、私の世界は広がっていった。
ボールの投げ方、捕まえた虫の名前、ウルトラマンの種類、カブトムシの幼虫の育て方――。ある日、シイタケが4つのったラーメンを作ってくれた。シイタケが美味しくないことも、そのとき知った。
私のわがままを聞いて、一緒に遊んでくれる、唯一の存在。好きにならないはずはなかった。
一方、仕事が忙しく、家になかなか帰ってこない母のことは、あまり好きになれなかった。
「好き嫌いせずに食べなさい」
「世界にはご飯を食べれない人もいるんだから、残さず食べなさい」
「8時を過ぎたら早く寝なさい」
母は、一緒にいてくれないし、遊んでもくれない。せかせかしていて、厳しいことを言う。
だから私は、ずっとその男の人の近くをうろうろしていた。母の「命令」から守ってもらおうとすら、思っていた。
ある日の昼。
その男の人と母が、大きな声で言い合いをはじめた。今までみたこともない光景、顔つき、声量――。耳と頭の中がいっぱいになって、怖くなり、訳の分からないくらい泣いた。怖くて怖くてたまらず、男の人にずっと抱きついて、その胸がぐっしょりになるくらいに、泣いた。
それ以降、その男の人が家に帰ってくることはなかった。
一緒にキャッチボールをすることも、クワガタを捕まえに森に行くことも、新幹線を見に行くことも、ウルトラマンと握手することも、なくなった。
姉と一緒にぬいぐるみとお人形で遊ぶか、一人でミニカーをぶんぶん走らせるか、ブロックを積み上げるか、になった。
男の人が家から出て行った数日後。
部屋で遊んでいると、母に「何か」を言われた。
私は反抗して、言い返した。
「もう嫌だっ!!」
母はこう叫んで、クローゼットに寄りかかり、バタバタしはじめた。その時、私は何かとんでもないものを見てしまったような気がした。今でも目に焼き付いていて、足立区のマンションに住んでいたころのどんな出来事よりも、その光景を思い出す。
誕生日で食べたケーキよりも、
クリスマスにもらったプレゼントの中身よりも、
あのまずいシイタケの味よりも。
母が私の前で弱音を吐いたのは、それが最初で最後だった。
今日つづったことは、
母は覚えていないような、
些細なことかもしれない。
でも、私は、鮮明に覚えている。
子どものころの記憶が、今の自分にじんわりと影響を与えている。
【書いた人】森本敬太(仮名)。国分寺界隈の大学を経て、会社員に。今は、国分寺のどこかで時々働いてます。清掃業に従事する20代です。平成生まれ。
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