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感謝と困惑の間/ファンの適切な距離を考える

難しいことはいいません。「ルールをしっかり守り、選手やチームの立場を慮って行動しよう」それだけです。

長文マン30字で終わっちゃったよ!

~完~

推しとファンが、これからも良い関係であるために

2020年6月6日、長い自粛期間を経て、ついに社会人野球のオープン戦が再開されました。7月以降は公式戦が開催され、私達の望む「野球のある日常」は少しずつ戻ってくることでしょう。

一方で、この新型コロナウイルス禍の間に変わったものもあります。そのひとつが「観戦ルール」。
隣人と距離を空けよ、興奮状態での声出しはダメ、観戦が終わったらさっさと帰れ……これまで楽しみ親しんできた「当たり前」が「よくないこと」とされて、愕然とした方は多いと思います。

ルールは、物事の安全な進行運営に欠かせない決まりごと。
観戦者である私達は普段それを理解して守っている=協力しているのですが、じゃあルールさえ守ればいいのかというと、そうではなく。

新型コロナウイルスが社会にもたらした変化を踏まえて、ファンが選手やチームと引き続き良好な関係を築くためにはどうあるべきか。そんな話を綴っていきます。

観戦の新しいガイドライン

新型コロナウイルス感染症対策として、5月上旬に国の専門家会議から「新しい生活様式」が提言され、スポーツ団体は感染症対策を組み入れた競技実施ガイドラインを作成することとなりました。

日本スポーツ協会が5月14日に「スポーツイベント再開に向けた感染拡大予防ガイドライン」を発表し、日本野球連盟(JABA)も、NPB・Jリーグ合同新型コロナウイルス対策連絡会議の提言書を参考に、オープン戦用の新型コロナウイルス対応ガイドラインを発表しています。

JABAのガイドラインから観客に関する項目を抜粋します。

【観客について】
制限は設けずチーム判断とします。
ただし、各都道府県によっては、観客を制限しているケースがありますので各都道府県のロードマップ等で確認の上対応願います。
尚、入場する際は、以下の点に注意する。
① 検温を実施し、37.5℃以上あった場合は、入場をお断りする。
➁ アルコール消毒を実施する(消毒液の手配)。
➂ マスクを着用し、観客同士の間隔を開けるよう注意を促す。

都道府県のロードマップとは、休業要請、外出自粛やイベント制限を段階的に緩和する指針。
私の住む北海道では、6月1日から18日まで「都府県・札幌との不急不要の往来は慎重に対応」として、観光の対応を振興局管内→道内全域→道外へと段階的に拡大していく方針です。

今後、感染者数が増加すれば、規制強化に戻ることは当然ありえます。

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北海道新型コロナウイルス感染症対策本部「新型コロナウイルス感染症対策に関する基本方針(2020年5月29日)」より

「自粛を要請」「慎重に対応」など奥歯の間にササミの筋が挟まったかのような物言いに「いいのかダメなのかはっきりせえ!」とイライラしますが、冷静に考えればスポーツ観戦は余暇活動であって、残念ながら不急不要と認めざるを得ません。

各ガイドラインを鑑みて、私達ファンは、これから観戦を再開するにあたり、次のことを順守すべきといえましょう。

・体調が優れないとき、特に発熱があるときは観戦に行かない
・身近に新型コロナウイルスの濃厚接触者が発生したとき、過去 14 日以内に入国制限、入国後観察期間国の渡航者・在住者と接触があったときは、観戦に行かない

・球場ではアルコール消毒など手指の衛生に努める
・マスクを着用する
・観客同士の間隔を2m以上開ける
(2mとは国の公表した新しい生活様式による)
・大声での声援を送らない
・会話を控える(会話する場合にはマスクを着用)
・居住地と訪問先の都道府県の外出自粛要請/イベント制限状況を事前及び当日に確認する
・試合主催者の観戦可否情報を事前及び当日に確認する

新しい指針は「新型コロナウイルスから選手・運営者・観客を守る」ことを目的としていますから、感染拡大が発生しなければ結果OKです。
しかし、ルールが守られないこと自体がそもそも周囲に悪影響を及ぼすもので、その度合は新型コロナ禍を経て深まったように思うのです。

社会人野球は、地域社会の理解があってこそ

社会人野球は、地域や職場の人々=選手達が日常で関わる人々の理解と応援があって成り立っています。企業チームでも、クラブチームでも、スタンドが埋まっていようとガラガラだろうと、すべて同じです。

すなわち、チームならびに所属する選手・スタッフは、地域社会に受け入れられる存在でなければなりません。
「野球人たる前に社会人たれ」この金言を耳にしないチームはないことでしょう。単に野球が上手いだけではなく、野球や本業を通して社会に貢献することを求められています。

ここで「範たるものであるべし」とまでは言いません。でも、反社会的だったり、地域の評判を損なったりするものなら、応援してもらえないですよね。

球界がガイドラインを設け、チームでもガイドラインに則った観戦ルールを定めたのに、それが守られないのであれば、チームはどんな目で見られるでしょうか。
ひとりのファンの身勝手な行いは、ファン全体、そしてチームの評価へと繋がります。よく、「ユニフォームを着ているときは、自分がそのチームの看板を背負っていると自覚して行動せよ」といいますね、同じことです。

ファンがルールを守るということは、愛するチームが地域社会に根ざして貢献する存在であろうとする姿勢に賛同することであり、ひいてはチームを守ることでもあるのです。

こういう話をすると「迷惑かけちゃいないのに、他人を一々気にしすぎ」と思う方がいるかも知れません。
そこです。新型コロナ禍がもたらしたのは、周囲に神経を尖らせる一億総監視社会なのです。

偏見と差別は誰にでも降りかかる

新型コロナウイルスは、感染すると、潜伏期間中でも、他者へ感染させる性質を持つことがわかっています。また、感染しても自覚するほどの症状が出ない人もいます。
一見健康そうな感染者と非感染者を判別するのが難しく、かつ、特効薬もワクチンもまだない。ゆえに、世界各地で万人に対する「人と人との感覚の保持」「感染拡大地域との往来制限」「外出や特定業種の営業の自粛」といった対策が行われています。

つい最近、NPB球団がリーグ戦再開に向けて大規模抗体検査を行ったところ、治りかけの感染者が判明したケースがありました。感染が判明した選手に自覚症状はなく、日常生活でも用心していたといいます。
このことは、誰もが自覚なき感染者になりうることを示しています。

そんな厄介なウイルスの性質は、社会に、いつどこに脅威かあるか分からない不安と、この事態を誰かのせいにしたいという攻撃心を植え付けました。

日本赤十字社はこれを「新型コロナウイルスの3つの顔」と表しています。
第一の感染症は「病気そのもの」
第二の感染症は「不安と恐れ」
第三の感染症は「嫌悪・偏見・差別」

この負のスパイラルがもたらした悲しい事例は、枚挙に暇がありません。
まず感染者への中傷に始まり、感染症対策の最前線で奮闘する医療関係者への嫌がらせが起こりました。その範囲は当事者のみにとどまらず、家族や職場関係者にまで及び、闘病や激務のダメージと偏見によるダメージの挟み撃ちを受けることとなります。

また、都道府県や国の緊急事態宣言が発出されると、要請を順守して営業している店への嫌がらせが横行するようになりました。
果ては他地域との往来自粛要請にかこつけたナンバー狩り、生活に不可欠なサービスを現場で支える方々へのハラスメント。

こうした嫌がらせは、極めて残念なことに、反論・反撃できない相手を選り好んで行われるのが常です。外出自粛要請を無視して乱痴気バーベキューに繰り出すウェイ勢より、細々と商売を営む個人商店主がターゲットになるように。地域に根ざして生きる、社会的立場があり逃げられない、後ろ盾の弱い人が狙われやすいのです。
そして、社会人スポーツ団体は、地域に根ざし各々が社会的立場を持つことから、相対的に弱い(反論できない)立場にあるといえます。

私は、「感染自体の責任は感染者当人になく、症状自覚後や感染発覚後に感染拡大を起こしかねない行動をとったのでなければ、行動も極力非難すべきではない。ゆえに感染症や感染リスクを起因とする差別や偏見はよくない」と考えています。
また、応援するチームや選手には、差別や偏見を毅然と拒否する立場であってほしいと願っています。

しかし、心に勇気を灯しても、飛んできた礫を避けるのは困難です。
私は、私の敬愛する人々が傷つけられ悲しむ姿を見たくない。だから、せめて、自分の軽率な行動で刃を向けられる恐れは回避したい。そう思うのです。

一瞬の先を思い遣る

おまえの行動で周囲が迷惑を被るんだぞ!と監視の目を強めるのは、とどのつまり自粛やくざに与する考え方で、望ましいことではありません。
ですが、新型コロナウイルスの広まりやすい環境が判明し、感染予防に則った新しい生活様式が実践されるに伴い、これまで気にも留めなかった他人の行動が目につくようになったのも事実です。

いけしゃあしゃあと偉そうなことを述べていますが、私も手に礫を持つ一人。
マスク無しでおしゃべりしている人、行列でいやに密着してくる人、感染予防策など不要だと豪語して憚らない人、そういう人をその場で咎めたり晒し者にしようとは思わないけれど、ちょっと距離を置きたいなと思います。

私、新型コロナウイルスに罹りたくないし、周りの人に移したくもありませんので。

そうした口にしない(できない)不安を、これまで笑顔で、あるいは気さくに接してくれた人々も抱えています。
私は、スーパーやドラッグストアで接客する方々の「いつ感染するかわからなくて怖い」という声で、自分の対策はしっかり行い、他人に不安を与える行動は慎むべきだと意識するようになりました。

スポーツ観戦に関しても、同じことがいえると思うのです。
一般客は趣味で試合を観に来て、何ならちょっと交流して、楽しい思いを胸に帰っていく、それだけの時間ですが。
選手やスタッフの方々は、社業または地域活動として、責任を持って野球に携わっています。家に帰れば小さいお子さんや高齢者がいるかもしれないし、翌日には不特定多数と接する仕事に就いているかもしれない。もし感染して、幸い理解のある環境に身を置いていたとしても、自責の念を抱かずにいられるでしょうか?

社会人野球の選手には、日本学生野球協会に属さない学生もいますが、そのほとんどは、野球とは別に社会的な立場がある人々です。
その人を応援していればこそ、グラウンド外の立場や環境まで慮って、不安やストレスを与えない行動を心がけたい。私はそう思います。

「相手が嫌がらないなら」という危険な発想

こういうことを述べると「相手が嫌だと示さない限り、それは迷惑ではない。おまえの思い込みで人に指図するな」と反論されたことがありました。

この、咎められない限り迷惑ではないという考え方。スポーツ観戦において、競技者と応援者(観客)という立場の差に気づいていないか、分かってつけ込んでいるかのどちらかです。

どんな競技者も応援は嬉しいもの。応援への感謝は自ずと言動に現れます。
それが観戦者の多くない分野であれば、なおさらです。
私が北海道の社会人チームを一通り観てみようと思い立った頃、軽い気分で観に行っただけなのに、「来てくださってありがとうございます!」と頭を下げられて、オロオロすることがよくありました。いやいや、勝手に来て観戦させていただいている身ですから!ありがとうございます!って百ぺん申し上げたいのはこちらですよ!!!

そういうやり取りに慣れた今でも、彼らの口にする「感謝」は本心で、疑いの余地がありません。

NPBから野球に入った私にとって、選手とファンの距離の近さも最初は戸惑いがありました。目の前を選手がしれっと通っていくのですよね、かつて高校大学で名を馳せたスターや、ドラフト候補と目される人達が。
選手によっては試合後にファンとの談笑に応じたり、SNSで親交を深めたり。長く通っているとスタッフの方が声をかけてくださるようにもなりました。

そうした、プロと比べて選手やスタッフの方との距離が近く感じられるところは、現在の社会人野球の魅力のひとつだと思っていますが、私はそれを前面に出したくありません。
通えば通うほど感謝されることに気をよくして、わがままを通すうち、拒絶されてしまったケースをいくつかみており、側で見ていたのに止められなかったこともあったからです。結果、その方も選手も傷つくことになってしまいました。

応援への感謝がある限り、選手もその関係者も、私達ファンに対しては低姿勢です。
嫌な思いをすることがあっても表には出しませんし、仮にこちらから「迷惑じゃなかった?」と訊いても、本音を伝えることはありません。

時折、選手やチームが「こうした行動に困っている、やめてほしい」と公にすることがありますね。それは我慢を重ねた末に耐えかねて紡ぎ出した言葉であって、最後通牒です。
そこに至るまでの過程は、健全な関係といえるでしょうか。

そして今、我々がこの新型コロナウイルスという対処困難な感染症に直面したことで、これまで許容されていた行為は、もしかしたら相手にとっては避けたいものになっているかもしれません。
観戦の自由が戻ってきたとき、私達はその自由を享受する代わり、自身の行動が相手の負担になっていないか、よく考えたいものです。

ここまでふわっとした屁理屈を捏ねてきたが

私はいわゆる「自治厨」になる気はありません。私自身が極めてわがままで勝手であり、引き続き無責任なファンの座に胡座をかいていたい人間だからです。
球場で、これはちょっと違うと思う行為があったとしても、それが試合の進行と運営を妨げる、あるいは安全を阻害するものでなければ、咎め立てることもしません。観戦の自由は万人にあるべきです。

新型コロナウイルスの流行は、スポーツの競技運営と観戦に大きな制約をもたらしました。
各競技、各チームがダメージを受けつつ手探りで活動を再開した今、ファンもしっかり考えて、好きなものを支えることに寄与していきたい。ここまで記してきたのは、そのための私個人の指針です。

さて、あなたは、どうしますか?

何も難しく考えることはありません。「ルールをしっかり守り、選手やチームの立場を慮って行動する」それができれば、今までも、これからも、よい関係を築いていけることでしょう。