マガジンのカバー画像

ブックマーク

60
運営しているクリエイター

#101人の輝ける日本人

中島みゆき 心の痛みがわかるレーダー

宮沢賢治 金持ちの家に生まれたが…

 宮沢賢治の父を描いた『銀河鉄道の父』で直木賞をもらって、いちばん驚いたのは、たくさんの読者に、 「宮沢賢治って、貧乏な人かと思ってました」  と言われたことだった。  貧乏どころではない。賢治は花巻でも指折りの金持ちの家に生まれた。父の政次郎は家業の質屋をよく発展させ、町会議員をつとめ、そのいっぽうで浄土真宗の普及に熱心だったため、後年みずから、 「自分は仏教を知らなかったら三井、三菱くらいの財産は作れただろう」  と述懐したほどである。

宮本常一 メモは全てカタカナで

 宮本先生に初めて会ったのは、昭和39年。週刊読売の記事を一読、「先生らしくない顔をした面白そうなおじさんだ」と、着任したばかりの研究室を訪ねた。先生は「いいところへ来た」と言わんばかりに喋りまくり、私が岡山の神主の倅だと聞くと各地方の神主の拝み方の違いを熱弁した。何度か通ううち、「あっちへ行こう」「こっちへ行こう」と連れ出され、終いには「就職なんてやめて、歩け」。成り行き任せの私は先生にすっかり惑わされたのだ。 「咳払いや笑い声以外は全部書け」調査では後ろでひたすらメモを