企業理念記述方法

 日本の企業は、企業理念(社是?)を丁寧に記述している会社が多いです。「価値創造」的な創価の合言葉が紛れているかどうかを判断する基準となるので、いくつか読んでみた感想です。どういうわけだか、「価値」という言葉は大手企業の理念には、定型のように使用されていました(汗)。

 アマゾンやアップルといった外国企業は、とにかく利用者候補者に焦点を当てた企業理念でドライで短く、自社の社員を規定するものはないのが特徴だと思いました。社是において、手段についてはSDGsと法に合致すれば、利用者満足に徹します!と宣言しているのです。


 日本企業は、道徳的で自社や社員を規定する内容が多く含むことによって社会全体に貢献することを宣言する形だと感じました。日本企業の経営理念は記述がエモーショナルで長いので、焦点を何にして記述するか決めないと、統一感のない文章になってしまいます。これを避けるため、テーマワードなどを設けて作文する必要があります。私は、大手何社かのホームページを読んで、日本の大手企業の理念は、「価値」をテーマワードにして作られているように感じました。もう少し、うがった推論してしまうと、企業理念を作る基準化されたフォーマットなるものが存在して、それを使って企業理念を作ると意識せずに「価値」に焦点をあてた企業理念が作られるのではないか?と強く感じるのです。このフォーマットの提供元は、カルトを隠したカルト団体ではないのかな?と睨んでいるのです(だって、みんな同じ匂いだよ。)。
 私は、価値とは やはり人によって異なるもので、絶対的なものとは言い難いと思うのです。誠意を持って日々生活することのほうが、圧倒的に大切です。しかし、その結果 作り出されたものが、Aさんにとっては価値があっても、Bさんにとっては価値はないことがありますよね。そこは、マーケティングで調査して、多数の人の価値に寄り添うっていうことだと思うのですが、価値にとらわれると、みんなにとって価値があることばかりを追いかけてしまい、人として最も重要な信用を見失うのではないかと危惧してしまいます。

 信用に基づかない価値を求めるのは、金銭的利益だけを求める姿勢になっていくことを、経営に携わる方々はもう一度確認してほしいと思う次第です。

 大企業の創業者が金銭的利益を主眼において会社を設立させた場合はほとんどないのでしょう。高い志で、広く社会に貢献するために日々努力して、相対性のある価値を追い求めたわけではなく、多数の人たちから絶対的な信用を得た結果、たくさんの顧客が集い 会社が大きくなったのです。その代わり、創業者は血反吐を吐く思いを何度も経験していると思います。信用を築くように新規事業立上げを行えるかが、彼らに与えられたこの世の中での戦いだったと言えると思います。

 一度軌道に乗った企業も利益が上がらなければ 会社が存続できないけれど、信頼を喪失したら、価値があるなしの以前にお付き合い自体が嫌がられ長い目で見て存続できないのです。そして、この場合、この企業が提供する物やサービスは必ずと言って良いほど劣化します。価値という副次的なものに焦点を当てると、このような悲惨な結果が往々にしてやってきます。会社を集金団体としか考えていない組織とのお付き合い(キリスト教団体や創価、変なコンサルタントなどなど)、このような団体は会社も人と同様に使い捨てですから、会社がダメになったら、この会社のノウハウを盗めるだけ盗んで別の会社に持って行き、自分たちのアジェンダ実行の手先としてその会社に軸をすげ替えるだけです。なお、この組織はこの企業を育て上げた時にバックアップした団体とは別の組織で、長い時間かけて侵食するのです。

 結局、企業の良し悪しは、作り出す製品が物語るのですから、ここを忘れ企業理念とだまされて邪念を入れるから、日本の製造業は技術があってもアップルに利用者の心を持っていかれるのではないでしょうか。どんなに前時代的で泥臭くても、使い勝手が良く丈夫でなど良品を作る志が大切だと言うことをわかってもらいたいのです。

 所詮 企業理念、されど理念。理念が邪念になっていませんか?邪念になるくらいなら、企業理念はなくしても良いくらいです。

 もう一度、見直せる余力のある企業は見直していただけると嬉しいです。

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