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ユース出雲かわらばん~岡日輪乃さんインタビュー~

コミュニティナースカンパニーが運営する新しい拠点が出雲に出来ました。
出雲でどんな人がどんな思いで何を起こし、どんな未来へ向かっていくのか。
「ユース出雲かわらばん」では、ユース出雲の今をお届けします。
第3回は、高校2年生でコミナスと出逢い島根大学に進学後コミュニティナースでインターンをされた岡日輪乃さんをインタビューしました。

なんで医者になろうと思ったの?

私自身、家族はもちろん、家族以外の周りの大人に見守られながら育てられてきたと感じています。母は温泉が好きで、近くの健康温泉に毎日通ってたんです。年間パスみたいなものがあって、それを使って温泉に行っていました。年間パスを使って、毎日来ている人が何人かいて、その人たちとは顔見知りでした。母が身体を洗ってくれている際、溺れないように見てくれたり、駐車場で転んだ時、慰めてくれたり、入学した時に「おめでとう」と声をかけてくれたり。常連さんのおばあちゃんに見守られながら育ちました。
小学生の時は大田に山村留学にも行きました。竹で箸をつくったり、そば打ちを教えてもらったり。とにかく、いろんな体験をさせてもらいましたね。
食卓には母が知り合いの猟師さんからもらってきた猪肉が並んでいました。日常に「誰かのおせっかい」があったんです。
だから、島根に恩返しをしたいという気持ちが強いんです。

医者になりたい!と思ったのは保育園のときでした。親戚が隠岐の島にいたのですが、島で対応できない病気があると、出雲の病院に来ていました。その際は、うちに泊まっていたんです。とてもつらそうな顔をしていて、その時、私は保育園に通っていたのですが「大変そう」と小さいながらに思っていたんです。自分が慣れた土地じゃない場所に連れて搬送されて、精神的にも金銭的にも大変だろうなぁと思っていました。それで自分が助けられるようになりたいなって思ったんです。それで医療を志すようになりました。

中、高の時、医療体験学習で、実際に病院におじゃまさせていただいたのですが、患者さんはどの人も似たような生活習慣病を抱えていることに気づき、生活習慣病になる前に何か予防ができなかったのかなと思ったんです。

それと患者さんの「1番近い病院でさえ遠くて、行くにも人に頼まないといけないが、毎度頼むのが申し訳ない」と言う声を聞き、たくさんの薬もらっている姿を見て、さらに島根の医療に危機感を覚えたんです。

またある診療所では「地域の消防署の出張所が人口減少が原因で撤退されてしまう」と言う問題が実習に行く前にあって、ある患者さんが「消防署が無くなるんだけど困る。私は最近そのことが怖いし、今後のことが心配でよく寝れないのよ。」と言う何人かの声が当時あったらしいんです。

その時そこの医師はその声から行政に働きかけてなんとか消防署の撤退を阻止されたことを聞きました。他にも住民さんからの声を聞いて週に1回役所にいって、役所の人と地域がどうやったら良くなるのかを話し合いに行かれていることも聞きました。私は医師は病気を治すだけだと思っていたんですけど、患者さんだけではなくて、その周りの人々や住まれている地域全体を元気にさせることもできる尊いお仕事なんだなと思ったんです。

大好きな島根県の問題の解決に貢献し、医療を中心に県を元気にすることができる、実習で出会った医師のようなお医者さんになりたいと強く思いました。 

コミュニティナースと出逢ったのはいつ?

高2の時です。出雲高校のあるイベントで矢田さんの講演会を聞いたときです。
コミュニティナースは「人とつながり、まちを元気にする」というコンセプトが私の思い描く医師像にマッチしており、また、地域の人の暮らしの身近な存在として『毎日の嬉しいや楽しい』を一緒につくり、『心と身体の健康と安心』を実現するという考え方があることに感動したんです。
そんなコミュニティナースの考え方が私の大切にしたい地域医療観とつながったんです。コミュニティナースってすごくいいなと思いました。

島大医学部に進学したときに、出逢った先輩にコミュニティナースに関心があることを相談したんです。そしたら、その人がコミュニティナースの活動をされていた人で。「一緒に雲南行ってみない?」と言ってくたんです。そこで、”生矢田明子”に出逢い衝撃を受けました(笑)その後、矢田さんの講演会にお邪魔させていただいたら「ひわこインターンしない?」と矢田さんにインターンに誘って頂いてコミュニティナースカンパニーで、2022年7月からインターンすることになりました。

インターン中は、コミュニティナースをユース向けに伝えるためにつくった「コミナスLIFE」を配ることをやっていました。ただ配るのではなく、コミュニティナースへの想いを乗せて、自分の言葉でコミュニティナースを伝えられるようになるために、雲南のコミュニティナースの方の後ろについていって学びました。

地域の人との関わりはとてもおもしろかったです。
地域自主組織の方に「おもしろい人いませんか?」と聞いてまわるのについて行ったら、たたら製鉄の館長さんを紹介してくださって。実際に会いに行ったら、とにかくたたらについて話してくれたんです!「製鉄を1〜100まで伝えたい!」という想いが勢いよく伝わってきて。楽しんで聞いていると、館長さんも楽しそうに話してくださって。すごくいい時間が流れたんです。話を聞くだけでこんなに楽しい時間を共有できるんだって感動しました。

コミュニティナースを大学で実践したりもしました。大学の同期の友達を対象にイベントを開いてみました。私はからだを動かすことが好きだったので、以前やらせてもらったマットス(専用のボールをマットに投げて得る得点を競う脳トレ運動)からヒントを得て、音楽に合わせてエクササイズをすることをしました。またボードゲームの運営を始めた先輩と、1年生で大学周辺で遊びに行くところがわからない1年生を繋ぎ、一緒にゲームを楽しんだり、部員が少ない茶道部の宣伝をしたい先輩と、入学したての1年生を繋いで茶道のお話を聞かせてもらったり。自分がコミュニティナースをすることは大変だったのですが、エクササイズは自分も楽しめて参加した友達も楽しんでもらうことができ、誰かと何かを繋ぐことは笑顔が生まれて嬉しいことなんだなと知ることができ、自分にとってのコミュニティナースを実感することができました。 誰かとなにかをつなぐことで、笑顔が生まれて、本当に嬉しかったです。

そして、母校の出雲高校に「コミナスLIFE」を持って手渡しに行きました。学んだことを活かして「コミュニティナースは生活の中でできることで、高校生にもできる!」例えば、家族や毎日会う友だちに挨拶をすること、お手伝いをしてみること、好きや得意を活かして何かしてみること、そばにいる誰かを一日中一回笑顔にさせてみることなどがあるんだよ。」と話してみました。話してみたあと高校生から「自分もコミナスしてたんですね!」、「簡単にできることなんですね!」、「私もコミナスしてみたいと思います!」という声を聞くことができました。高校生にコミナスを伝えることができて嬉しかったです。

コミュニティナースでインターンをしてみてどうだった?

コミュニティナースを体験することで、人を「みる」が変わったんです。
「みる」ということは、その人の本当に求めていることを気にして「みる」ということ。
インターンする前はただ「話す」や「やる」だけだったのですが、インターンをしたあとは、ちょっとした変化に気づけるようになりました。家族や友人の好きなことはなにか考えて、一緒にやってみる。暗い顔をしていたら、一緒に帰ったり声をかけて聞いてみる。周りの人との関わり方が大きく変わったんです。でもそんな関わり方は、中学まではみんな自然にやっていたことだと思っていて。でも高校に入って、大人になるにつれて、だんだんできなくなっちゃったりすると思うんです。それで、「若い人たちは関わりが薄い」ってなっちゃう。でも高校生にコミュニティナースの考え方が広がったら、周りをみて、おせっかいができる人が増えると思うんです。そうしたら、もっと友達のことを大切にできるようになったり、地域の人との心の距離が縮まったりすると思うんですよね。そんな景色をみたいなって思います。

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インタビュアー ひびき
愛媛県出身。能登地方で夏は塩づくり、冬は酒造りの季節労働でお金を稼ぎながら、田舎暮らしで、生きる知恵を身に着けている20歳。塩づくりがはじまるまで、コミュニティナースカンパニーのお手伝いをしている。

▽コミナスLIFE
https://cn-laboratory.com/category/cnnetwork/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%82%B9life


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