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楽しくスポーツ観戦を続けるために

仕事帰りの夜、久しぶりに京セラドームでオリックスバファローズを観戦した。今シーズンは故障者が多く、成績も芳しくないバファローズ。対戦相手の首位ソフトバンクホークスとは既に14.5ゲーム差で、逆転優勝の確率は限りなく0に近い状況である。

そのため、のんびり観戦しようと、席は一番安い上段外野指定席を選んだ。そして、この試合では一つだけ約束事を自分に課した。
「ねばならぬ」をやめることだ。

例えば、ユニフォームやタオルなどのグッズを身につける「ねばならぬ」をやめて、服装は通勤時のカッターシャツにした。飲食も球団や選手の売上に繋がるから球場内で買わねばならぬをやめて、晩御飯は隣接するイオンでジャンバラヤ弁当を購入した。試合は最後まで見なければならぬも当然しなかった。つまらなければいつでも帰れば良いと考えた。

さて、試合ではバファローズの先発田嶋大樹が7回無失点の好投を見せ、打線も地道に得点を重ねて快勝した。期待せずに観ると大抵こうなるものである。

外野席では大好きなラオウ杉本裕太郎が近くにいたので、気分よく選手プロデュースのマンゴージュースを買って飲んだ。
「ねばならぬ」はしないが、「したい」はするのだ。

試合時間が比較的短かったこともあり、ヒーローインタビューも勝ちSKY(勝利時に球団応援歌をフルコーラスで歌う)も見届けて気分良く帰った。

贔屓チームが勝ったからという要素が大きいのは確かだが、純粋に娯楽として楽しめた。自分にとってスポーツ観戦はこうでありたいと感じた。

あるスポーツチームの応援を長く続けていると、そのチームの懐事情や内部事情が見えてきたり、チーム関係者やファン間で人間関係が発生する。スポーツチーム応援は、チーム(または選手、または経営者)というアイコンを崇め、応援歌というお経を唱え、ユニフォームを着て忠誠を誓い、グッズ購入によるお布施や奉仕活動により信仰の厚さを示す。そんな宗教思想的な側面があるように思う。また、最近ではどこのチームも信者の承認欲求を満たすような仕掛けをあの手この手で仕込んでいるようにも見える。

この先少子高齢化と人口減が確実な中、かつての大衆娯楽から忠誠心、すなわち客単価の高い少数囲い込みへ、カルトブランディングと称されるように、宗教的、カルト的な性質が強くなってきているようにも思う。生き残りをかけてどこも必死なのだ。一概に悪と決めつけるつもりはない。

しかし、行き過ぎたカルト化は必ず深刻な問題を引き起こすのは歴史を振り返れば容易に予想できる。異端審問、魔女裁判、異教徒や異端者に対する私刑を伴う徹底弾圧、苛烈な同調圧力。我こそが唯一絶対の使徒であるとのセクト主義者の台頭と内紛。何よりも怖いのは別カルトによる寄生、乗っ取りである。

自分はスポーツ観戦が大好きで、贔屓チームをこれからも長く応援を続けたいと思う。しかし、そのためにもチーム内のカルト文化からは意識して距離を取り続けるだろう。どこかストレスや違和感を覚えたならば、導入のように軸足確認を定期的に課すことも必要と思っている。それは、ついつい他者の期待に応えようとしてしまうカルトに嵌まりやすい性格を自覚しているためでもある。もしも贔屓チームそのものが完全にカルト化してしまったら、無限遠に距離を取るより他なくなる。そのような事だけはないように願うばかりである。

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