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「はじめはMLを半年間ROMっていた」Community Drive 第1回再録 高橋征義さん①

さまざまな技術コミュニティの運営者にお話しを伺うPodcast「Community Drive」の再録。第1回目のゲストは達人出版会の代表であり、日本Rubyの会や技術書典など、さまざまな活動をしている高橋征義(@takahashim )さんです。
聞き手:法林浩之(@hourin)、鹿野恵子(@keikoka)、まとめ:プレーンテキスト 鹿野恵子

NEWS
第2回目の収録を2018年1月16日の夜、公開で行います!ゲストはえふしん(@fshin2000)さん。ぜひ遊びに来てください!
お申し込みはこちらから。

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■目次
・最初にRubyを知ったのは「fj」(第1回)
・Rubyは言語を作る人のコミュニティだった(第1回)
・コミュニティがこの10年で「団体」からゆるいつながりに変化している(第2回)
・OSSがビジネスの競合だった90年代(第2回)
・大規模イベント運営では燃え尽き症候群も(第3回)
・予算が個人の年収を越えた(第3回)
・技術コミュニティの受け皿としての技術書典(第4回)
・秋葉原という「場」のパワー(第4回)
・技術を広めたい、知りたいというモチベーション(第5回)
・コミュニティに関わることが仕事になるようになった(第5回)
・すごく無駄だけどみんな1から勉強するしかない(第6回)
・業者やスポンサーとのやり取りが重い(第6回)
・お金だけポンと出してスポンサーになってもあまりメリットが無い(第7回)
・5年放置すれば問題は時間が解決してくれる(第7回)
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最初にRubyを知ったのは「fj」

法林:今回のゲストは高橋征義さんです。
高橋:宜しくお願いします。
法林:僕が高橋さんをはじめて見かけたのはRubyの活動なんですが、高橋さんにとってRubyの活動がコミュニティ活動の原点なのでしょうか。
高橋:そうですね。コミュニティ活動というか、最初にRubyを知ったのがそもそもインターネットの「fj」で。

注「fj 」:ネットニュースのグループのひとつで、特に日本から発せられる(from Japan)ニューズグループの総称のこと。読み方はエフジェー。90年代中心に実名で活発な議論が交わされていた。

鹿野:出た、fj。
高橋:fjだったかな。たぶんfjです。
法林:若い人はfj分からないですよね。
鹿野:分からないので教えてください(笑)。
高橋:どう言えばいいんですかね。当時ネットニュースというものがありまして。2ちゃんねるの実名掲示板みたいなものといえばいいでしょうか。
法林:それはいい例えですね。当時はRubyのグループはあったんですか?
高橋:たぶんないんじゃないですかね。
(注:1998年2月にfj.lang.rubyというニュースグループ、のちのfj.comp.lang.rubyが登場しましたが、高橋さんがRubyを知ったりコミュニティ活動に関わったりした「当時」はまだ無かったそうです)
法林:fj.comp.langとかですかね。
高橋:Javaとかのところにまつもと(ゆきひろ)さんがいて、みたいな感じで。
法林:そこでまつもとさんという人がRubyっていうのを作ってますよとか。
高橋:Rubyだったらこう(書く)とか、違う言語だったらこう(書く)みたいな話で盛り上がっていて。

注「Rubyだったらこう(書く)とか、違う言語だったらこう(書く)」:例えばhttps://groups.google.com/forum/#!topic/fj.comp.lang.misc/fJJfuspTvGs みたいな話です。

法林:そういうやりとりを高橋さんは読んでいたと。
高橋:だと思いますね、最初は。
法林:その段階だと、いわゆる「一読者」なわけで、あまりコミュニティに参加してるという感じではないのでしょうか?
高橋:そうですね。コミュニティ、コミュニティしたコミュニティっというのはたぶんメーリングリストからです。
法林:Rubyのメーリングリスト。
高橋:Rubyのメーリングリストに利用者用のruby-listというのとruby-devという開発者用のものがありまして、そちらに入って半年ROMって。過去ログも読みにいって、おもむろにメールも書いたりするようになり。
法林:学習コストが高いですね。昔は大体そういう文化でしたから。

Rubyは言語を作る人のコミュニティだった

高橋:昔はおっかないのと、Rubyに関しては最初から言語を作ってる人のコミュニティだったんですよ。それってだいぶおかしいじゃないですか。普通は言語は使うものであって、作るものではありません。
「Java作ってます」という人はあまりいません。まあでも、fjだとJavaの仕組みについて話をしている人もいましたが、ただでも実際に(言語を)作って、ここはこうしてくださいとか、それはこういうふうになったからできませんとか、こういう感じだったらできますけどどうですか、じゃあそれにしましょうみたいな話っていうのは、あまり他では見れなかったので、これは面白いといって読んでたんでたんだけども、ではそこ(のコミュニティ)に自分が入れるかという…。
法林:いやそれはちょっとね、みたいな感じ。
鹿野:またそこは1つ壁がありますよね。
高橋:最初は「読んでることの半分ぐらいは分かるけど半分ぐらいはさっぱり分からん」みたいな。
法林:そんな中に入っていったんですね。
高橋:入ったといっても、メールを読んだり書いたりしてるだけですからね。
鹿野:当時は地元(の北海道)にいらっしゃったのでしょうか?
高橋:もう東京に出ていました。fjは大学時代から読んでましたが。
法林:そんな中で、徐々にRubyの活動に参加していっかれたんですね。どうだろ、僕がRubyをはじめて知ったのはたぶん98年ぐらい。Perlカンファレンスだと思うんですよね。

注「Perlカンファレンス」: https://www.oreilly.co.jp/pcjp98/


高橋:そうですね。
法林:オライリーが主催したPerlカンファレンスがあって。その時の基調講演的な講演のうちの1つがまつもとさんだったんですよ。
高橋:Perlのカンファレンスなのに。
法林:そうなんだけど、Rubyという日本人が作ってる言語があって、その話をまつもとさんがしていた。そこで、こういう言語があるということを僕は最初に知りました。
高橋:その頃はRuby単独のイベントがほとんどなくて、書籍も出版されていない状態でした。

注「書籍も出版されていない状態」:雑誌ではCQ出版『TRY! PC』誌1997年11月号に「ちょーわかりやすい!Perl & ruby 入門」という記事が掲載されるなど、多少の露出はあったそうです。


法林:本がなかったですね。情報源はほぼメーリングリストぐらい。
高橋:ネットでしか知られてないという。
法林:でもそういうところに、一種の緩やかなコミュニティができていて、(Rubyは)そこで育ったような感じなのでしょう。高橋さんもそこでコミュニティというのはこういうもの、みたいなことを知ったのでしょうか。
高橋:ネットのコミュニティっていうのはこういうものなのかしら、みたいな感じですね。
法林:その辺は僕も、割と近いです。年代的にも近いですし。僕の場合はRubyではないですけど。僕の場合たぶん、どっちかというとjus(日本UNIXユーザ会)みたいな団体で育ってきて。もうちょっと団体っぽいとこで育ってはいるんですけど、僕の場合はね。
高橋:なるほど。そうですね。団体っぽさはまったくないですよね。

2回目に続きます。

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