見出し画像

「コミュニティイベントの予算が個人の年収を越えた」Community Drive 第1回再録 高橋征義さん③


さまざまな技術コミュニティの運営者にお話しを伺うPodcast「Community Drive」の再録。第1回目のゲストは達人出版会の代表であり、日本Rubyの会や技術書典など、さまざまな活動をしている高橋征義さんです。(聞き手:法林浩之、鹿野恵子、まとめ:鹿野恵子)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■目次
・最初にRubyを知ったのは「fj」(第1回)
・Rubyは言語を作る人のコミュニティだった(第1回)
・コミュニティがこの10年で「団体」からゆるいつながりに変化している(第2回)
・OSSがビジネスの競合だった90年代(第2回)
・大規模イベント運営では燃え尽き症候群も(第3回)
・予算が個人の年収を越えた(第3回)
・技術コミュニティの受け皿としての技術書典(第4回)
・秋葉原という「場」のパワー(第4回)
・技術を広めたい、知りたいというモチベーション(第5回)
・コミュニティに関わることが仕事になるようになった(第5回)
・すごく無駄だけどみんな1から勉強するしかない(第6回)
・業者やスポンサーとのやり取りが重い(第6回)
・お金だけポンと出してスポンサーになってもあまりメリットが無い(第7回)
・5年放置すれば問題は時間が解決してくれる(第7回)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大規模イベント運営では燃え尽き症候群も

法林:日本Rubyの会の運営はどのようにされているのでしょうか?
高橋:Rubyの会は一般社団法人ですので、いわゆる法人格がちゃんとあって、正会員が理事をしています。
法林:そういう組織体制がきちんとあるんですね。最初からそうだったのでしょうか?
高橋:いえ。はじめは全然。
法林:最初は任意団体で、途中で法人格を取ったんですね。理由や経緯があるのでしょうか。
高橋:日本Rubyの会でRubyKaigiというイベントをずっとやっていまして。2006年にはじめた当初はドメスティックなカンファレンスで、最初は規模もすごく小さくて、予算も少なくて。
法林:何かのイベントで日本Rubyの会の設立を宣言しましたよね。
高橋:LLイベントですよ。
法林:LLイベントか。
高橋:大体LLイベントに来ているんですよ。
法林:それ、LLイベントで見た気がしますね。高橋さんが高橋メソッド(注)で発表していた。

注「高橋メソッド」:高橋さんが考案したプレゼンテーション技法。大きな文字を使うことが特徴。

高橋:そうですね。
法林:その国内カンファレンスのRubyKaigiがものすごいペースで大きくなっていきましたよね。
高橋:ですかね。
鹿野:どれくらいの人が参加するイベントだったのでしょう。
高橋:大きいっていっても1,000人ぐらいです。
鹿野:大きいですよ。
高橋:そうですか。
法林:その後Ruby会議を一旦終了して2013年から国際会議になりました。(国内カンファレンスの)最終回は練馬の会場に行った記憶があります。
高橋:2011年ですね。あの時は震災のあとで、電気が来ないかもという感じで。夏なのに冷房が無かったらどうするのかと。
法林:でもあの時にも1,000人近く来てませんでした?
高橋:そうですね、そのくらいでした。
法林:そこまでの規模を運営するということが、あれはイベントですけど、それだけの大きさのコミュニティを動かしていくというのは、やはり大変というか、それなりに何かあると思うのですが。その運営についてもお伺いしたいです。
高橋:どうなんでしょう。割と私は適当なことを言って、あとは周りがなんとかしてくれるというパターンです。
法林:それはいいですね…。Ruby界隈の人たちは、僕も何人かお付き合いがありますけど、みなさん自主的に動ける人が多いですね。
高橋:そうですね。他(の言語コミュニティ)がどう動いているのかは、ちょっとよく分からないですけど。
法林:非常に動きが上手な人が多いっていう印象は僕はありますね。だからああいう大きな会議でもスムーズに運営できるのだと、少なくとも外目からは見ていていつも思います。
高橋:ただこの頃はあまりうまく、特にスタッフをコントロールできてなくて、疲弊してしまう人とかもあったり。
鹿野:イベントが終わったあとに消耗してしまうアレですね。
法林:各自の頑張りに依存していた。燃え尽き症候群的な。この辺はコミュニティの問題というよりは個人の取り組み方とかモチベーションの維持の仕方みたいな部分もあるんですかね。
高橋:あるのかも知れないですけど、でもその辺は組織としてコントロールするべきではという思いもあります。それに、お金で解決できることであればお金で解決するべきなのではという考え方もあって。

予算が個人の年収を越えた

高橋:他にもお金の話でいうと、RubyKaigiが大きくなると予算もすごい膨れ上がるんですよ。そのうち予算が私の年収を超えてしまうようになって。さすがにこれはいろいろヤバイのでは?という感じになってきました。たとえば開催がコケたらそのお金はどうするの?というような感じになってくるわけじゃないですか。
法林:コミュニティベースのイベントでそのぐらいの大きな規模になってるいるものは、RubyKaigiだけの話ではなくていくつかありますよね。特にその任意団体というのは誰かが会計担当になって、その人が大量に金の出入りを受け持つパターンがあるのですが。
鹿野:怖いですよね。
法林:怖いですね。
高橋:大変ですよね…。みんなどうやってるのかなと思ってたら、そういうボランタリーな人が運営している団体でも、大体バックに企業があって、会計はその企業でうまいことやっているというような話を後で聞きまして。
法林:LLイベントでjusが会計をずっと担当していたのもそういう理由です。
高橋:個人だけで頑張るのはさすがに無理なのでは。というかその規模でよく任意団体でやっているねみたいに言われたり。
法林:それで法人格につながっていくんですか。
高橋:さすがに法人を作ってそこのお金にしたほうがいいかしらと。一応任意団体でも、任意団体の口座が存在して、そこでお金のやりとりを完結させることはできるのですが、でも任意団体の場合、結局突き詰めると個人の口座でしかないわけですよね。というとことでやはり法人を作って、法人のお金、法人の財産として回していったほうがいいという感じになりました。
法林:日本のRubyの会としてはそういうお金の話もありましたが、人の面はどうでしょう。
日本Rubyの会の理事は正会員のような感じですが、Rubyに関わる人が特に会員にならなければならないわけではなくて、それぞれ活動している感じですよね。
高橋:そうですし、実際動き方としても、今の法人化したあとの話ですけど、地域Ruby会議というイベントを各地域の人がやろうというときは、日本Rubyの会で支援しますという感じでやっています。
鹿野:支援というのは具体的に何をなさるんですか。
高橋:お金を用意したりとか、サーバやドメインをサポートしたりとか。
法林:そんな中で、今度はいわゆる国際会議としてのRubyKaigiというのがスタートしたわけですが、それをやろうと思った経緯を教えてください。
高橋:そうですね。私としては、とりあえず任意団体の時にやることはやったので、一旦終了したという。
法林:一旦終了しましたよね、国内版はね。
高橋:で、再開のほうは、どうもなんかこう、いろいろ周りの人に言われたそうで…。
法林:前やってたようなRubyKaigiをやらないの?みたいな感じのことを。
高橋:まあなんでもいいから。
法林:なんでもいいからやらないの、だったのね(笑)。その中で、あとはその日本Rubyの会の人たちのほうで話をして決めたって感じでしょうか。
高橋:ええ。最後は角谷信太郎(@kakutani)さんにまつもとさんがいろいろと言われた(注)っていう。

注「かくたにさんにまつもとさんがなんかいろいろ言われた」:
https://twitter.com/kakutani/status/943137342654636033

法林:そんな話もあったんですね。でもそこでいわゆる国際会議的にやるっていう形にしたのは、僕はすごいなと思いました。他の少なくとも言語系に関しては、当時そういうことをやってるコミュニティはなかったので、すごいなと。あと、参加費もそれなりに値段をあげてとかいうのは英断だなと思いながら僕は見てたんですが。あの辺のことはどうやって決めていかれたのですか?
高橋:あの辺に関しては、私というよりは角谷さんだったり松田さんだったりが主導でコンセプトを作ってる感じなんですよ。
法林:高橋さんは見てる側みたいな、参加する側みたいな感じ。
高橋:ええ。単なるオーガナイザーの一人です。

英語のネットコミュニティに打って出るのは日本人にはつらい

法林:国際会議にしたことで日本や世界のRubyコミュニティに影響はあったのでしょうか?
高橋:とりあえず、日本からは日本語・英語の問題があってなかなか情報発信がしづらいというのがありまして。
法林:日本から英語でRubyの情報は発信されているのですか?
高橋:それなりにはあるんですけど、新しいプロダクトを作りましたとかというのを全部日本語と英語の両方でやっている人というのはあまりいないんですよね。プロダクトの開発そのものは英語中心でできても、情報発信までするのが難しい。
法林:やはりまだまだRubyの場合は(日本発の)英語の情報は多いとはいえないんですね。
高橋:日本でしか出回ってない情報がとてもたくさんあるという感じですね。ではその人たちがどんどん英語で発信するようになるかというと、それも大変だし、かといって日本語から英語に翻訳するような人が立てばという話しももちろんあったのですが、続かないんですよ。
法林:そういうことができる人がいるかいないかに依存しそうです。
高橋:本人が自分のコンテンツとして海外に持っていくぐらいの感じであれば続くかもしれませんが、仲介役で誰かと誰かの間を取り持ちますみたいなのは長続きしません。
法林:あとは各国の人が日本語を勉強するという流れにはさすがにならないのでしょうか。
高橋:たまに日本にも興味があって日本語がしゃべれるようになった人はたまにいます。
法林:とても昔の話なのですが、FreeBSDのコミュニティは一時日本語の情報が多かったため、外国のFreeBSDの関係者が日本語を勉強して日本語でメーリングリストに投稿してくるみたいなことがあったらしいと僕は聞いています。さすがにそこまではいかないんですねよね。
高橋:中にはそういう人はいますよ。
法林:いるんだ。
高橋:最近ちょっとMLがだいぶ枯れてる感じというのと、メーリングリストについてはだいぶ英語に寄せましょうというような感じになっていて、そこでは日本人も普通に英語で書いています。
法林:そうなんですね。今はメーリングリストの時代じゃないから、SNSのTwitterとか、ああいうのを使ってやり取りしているのでしょうか?
高橋:開発だったらGithubとか。Githubはだいたい英語化されてるので、使ってる人が日本語圏のユーザーだったとしても、Githubは全部英語で固めるというようなことをやってる人はいるのですが、それを海外の色んな人に宣伝して回ったりとかっていうのはさすがにちょっと辛いという。
法林:なるほどね。それはちょっとまた別ですもんね。
高橋:取りに来てくれる人がいれば情報を取りには来れるんだけど、積極的に情報をバンバン流せるかどうかというと。
法林:また別ですねそれは。
高橋:英語でブログを作って、とかって大変そうじゃないですか。
法林:よっぽどそこに抵抗のない人でないと続けられないと思います。
高橋:だから英語のネットコミュニティに自ら打って出て何かするというのが、日本語圏の日本人にとってはとてもつらいですね。
法林:ハードル高いところですし、なかなかやれる人は少ないですね。

第4回目に続きます

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?