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3年半くらい前に被災したときの話(当日避難編)

記憶の記録として残したいのでダラダラと書いてみます

2020.7.4
住んでる場所が泥水に浸かってしまい何もかも無くなったと思った日です

前夜から続く雨により夜中には携帯がずっとエリアメールを鳴らし続けていました
ライブカメラで川の様子を確認すると結構な勢いで水が増えていたが
「すごいねー」程度の気持ち
外に出てみても土砂降りでもなく危機感を覚えることはありませんでした

私が住んでいた場所は川から少し離れていて、
さらに嵩上げされていたので99%浸水することはないと変な自信がありました
その自信は私だけでなく同じ住宅地に住んでいたみんな持っていたと思います

≪6:16撮影≫

川沿いに住む実家よりTEL
川が溢れそうだから車を私の家に移動して欲しいと依頼。

40年近く川沿いに住んでいますが、そんなことを言い出したのは初めてでした。
行ってみるとすでに実家前の道路は冠水しており、車が立ち往生。
私たちが移動した数十分後にはもう完全に道が川になったそうです。
今見ると、対岸は堤防ギリギリだ


≪6:24撮影≫

実家から離れた自宅の周りは若干水が出ているものの、
掃けてはいたので安心しきってました。
その後しばらくしたら停電を繰り返す。
外に出てみたら道向かいの家の中へ水が入り始めていました。


《7:55撮影》

この状態のときに避難していればよかったのですが、
絶対水はこないという変な自信で行動しませんでした。
この後、停電に入ると電気が戻ることなく情報も入ってこなくなりました。


《8:51撮影》

目の前の道路が完全に冠水しています。
車で出ることは不可能な状態となりましたが、
この状態でもまだ床上浸水はしないとだろうという気持ち。
それどころか、電気がなくなったのでサイリウム折って「災害MIX打てるね!」とかふざけてた(不謹慎)

ちょっと遡って《8:10撮影》

しばらくすると3軒隣の方が
「(見ていた道路と逆の)あっち側から水が来てます!!」と教えてくれました。
ずっと観察していた道路ではない田んぼの方から茶色く濁った水が塀を越えそうになっているとのこと。

塀の向こう側が自宅の敷地。この写真は水害後に近所の方からいただきました

敷地の中でも少しだけ高くなっている方へ車を寄せる。
そして自宅に戻り急いで避難の準備をしました。
が・・・焦りすぎて何を持っていくべきか頭が整理できない。
とりあえず、印鑑通帳1日分の着替えに替えの靴…バッグにつめていきます。(今考えると水がこれだけ来ているのに1日分の着替えで済むわけないし、
靴にいたってはなぜかパンプス入れてるし…役に立ちませんでした。)

数時間前の自分を殴り倒したいです。
サイリウムを折ったその時から大事な物を上にあげていたら…
そんな後悔もむなしく時すでに遅しで、
外に出たら敷地の中は濁流が渦巻いていました。

《9:11撮影》

靴が濡れるのが嫌で(部屋に水が入ってきているのに濡れるのが嫌って…と今なら思います)草履で外にでたら、出た瞬間に片方もっていかれて
急いで戻って靴に履き替えたのもいい思い出です。

歩いて避難所までいけるかと一応道路に降りてみましたが、
胸上まで水が来ていたので歩いていくのは不可能でした。
家にも入れないし、敷地から出れない…
完全に積みの状況でしたが、まだあきらめない。
門柱(8:51撮影画像の右側)に上って耐えようとしていた時でした。

お向かいのご家族が「ニッパーとかあれば隣の資材置き場の上に登れそうですが、ニッパーとかお持ちではないですか?」と声をかけてくださいました。
工具ならある!!!と家族がダッシュで戻り、敷地の間にはってある有刺鉄線を切断。
乳飲み子を背負って両手に荷物抱えた奥様の持っているオムツを預かり、濁流の中をずんずん進む。
こういう状況での避難ってなると、オムツやミルクが必要だし自分の分と子どもの分とってなると大変だよな…と。

資材置き場へ到着した私たちは、立てかけてある梯子のような板を登り、濁流から逃げ延びることができたのでした。
ただ、この時は雨が降り続いており…このままだとダムの放水があると予告されていました。
ダムが放水されると1m以上は水位があがるため、避難した場所ではどうにもならないとちょっとだけ死を覚悟しました。

男性2人はまだ残っている人たちへの声かけとガスボンベを閉めるため、濁流の中へと戻っていきました。
家に残っている人に声をかけ、何往復もして15人くらいを資材置き場へと避難させてくれました。

《9:28撮影》

資材置き場なので足場がなく移動も厳しかったため、
申し訳ないなぁとは思いながら、詰んであって木片などを少し落としたのは私です。
(1か月後くらいに別件でご挨拶に行く事があったのできちんとお詫びしました)

その後はひたすら水が引くのを待つのみでした。
自分の家が泥水に沈んでいくのを目の前にしても、その時は意外と平常心でいられた気がします。
”もうどうにもならない状況”が目の前に広がっている事をすんなり受け止めれていたつもりでした。
実際は理解できていないだけだったんですが。


《10:32撮影》
撮影時間不明。こっち向いて止まっている2台がうちの車でした…

その後、ダムの放水が中止になったとわかり安堵。
のんきに携帯をいじったり、流れてくるものをみて楽しんでた記憶があります。
避難してきていた人の車のトランクが勝手に開いて荷物が流れていったのは胸が痛くなりました。
ローンもかなりあるという絶望の言葉も耳にし余計につらかった。
私も片方はまだ買って1年だったんですけどね…でも車に関してはなんの問題もなく片付いたので、その辺は別で書き残したいと思います。

普通の電話回線が完全に死んでいたので、LINEはつながるが電話はできずという状況。
ガラケーで生活している両親に生存連絡をするのを忘れておりました。
(母には私が避難に失敗したから今から濁流の中を移動したいと思う!という意気込みを最後に伝えたっきりでなんの連絡もしなかったので、完全に死んだと思ったそうです)
親戚からLINE通話が入り、親戚→両親へ電話をかけてくれて生きてるよ!というのを伝えてくれました。

《10:55撮影》

どこかのタイミングで「わりと生まれてすぐレベルの赤ちゃんがいるのでその人たちだけでもどうにか助けてもらえないですか?」と消防署に連絡していたので、ボートで救助に来てくれました。ありがてぇ。
とりあえずそこの敷地の人たちはみんなここか屋根の上にいます!と伝えたら、”この後水位が上がることはなさそうなので、そこで水が引くのを待っててください”とのこと。
頑張ってオールをこぐ消防士さんたちを見送りました。
しばらくして雨が止んだら日が照ってきて、一瞬で夏の暑さになったのを覚えています。

《11:51撮影》だいぶ水位が下がりました

まだ若干の水は流れていましたが、大人だったら問題ない程度でしたので下へ降り家の扉を開けたのがちょうど13時でした。

玄関を開けるまではそこまで悲観的ではなかったのですが、
開けた瞬間の家の惨状を目にしたら、ちょっと泣いてしまった。
数時間前まで普通に生活していた場所が泥水に浸かり泥濘んで、
大事にしていた物もすべて茶色に染まってしまい、”絶望”の二文字でした。

家族に「なんで、泣いてるの?」と言われ、
「だって絶望じゃん、こんなの…もうなんもないよ」と返事したら、

生きてるんだし、何とでもなるよ。光しかないよ!

と、ドン引きするくらいの前向きな返しをされました。
この時は、こんな状況から”光しかない”なんて発想になるなんていかれてんのか?…と思ったのですが、今になって振り返ると…

次回は”当日片づけから実家へ帰宅・そして本格的な片付け編”へ


これは当日に実家が撮影した写真と翌日に同じ場所で私が撮影した写真。
ちょっと角度が違ってるけど、水位の高さがわかる写真。

ピーク時より水位は下がっているとのこと。白と黒の四角いのは車の屋根。
間にあった塀とかなくなってしまってた