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やじろべえ日記 No43 「激突・後編」

目を閉じると,ハイハットの音がする。音は鳴りやまず,徐々に強くなる。次第に空白が少なくなり,その粒は緊張の糸となる。

私は野良のキーボード弾きだ。今日はおそらくかまっている余裕はないのでこの辺で自己紹介は切り上げる。今の状況を簡単に説明すると仁義なきセッションの最中だ。言葉もやや乱暴になるだろう。

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昨日セッション仲間であったボーカルの浅井さんの友人,戸村さんと2度目のセッションを行う約束をした。1度目の時のトラブルが原因で浅井さんと伏見さんは戸村さんと軽い冷戦状態だったのだが,冷戦のままにしてしまってはこちらとて居心地が悪い。

そして戸村さんの求めていたものが何か結局わからずじまいで今に至る。そして今から,互いの容赦ない音の殴り合いが開幕する。

先攻はドラムの戸村さん。ひたすらハイハットを刻んでいる。私の出方を見ているようだ。口論でいきなり正論をぶつけるのはいい手段とは言えまい。最初はこちらも寄り添う。

何事もなかったかのようにハイハットのノリに合わせる。相手は不服そうだ。そりゃあそうだ。容赦も仁義もないとセッションだと最初に話したのだから。

つまらんと文句を言わんばかりに,戸村さんがキックとシンバルを入れ始める。はっきり言って挑発に乗らないのは私としては容赦のない反応だ。普段の私だったらここで乗るが今日は絶対に乗ってやらない。

戸村さんも我慢の限界なのだろう。タムにスティックが向かった。いまだ。

最低音の領域から高速でアルペジオを入れる。間髪入れずに最低音と最高音をひたすらかき鳴らし,自分の主張を入れていく。高音のトリルで相手をひるませてみる。さて,相手の反応は。

戸村さんの反応は上々だ。喜んでいるのが今日はなんだか癪に障る。しかし相手がピークを出してくるまで今日は遠慮をするつもりはない。

間髪入れずにフォルテで最低音を奏でる。おそらく最低音を多用しているのは相手が低音を担当するドラマーだからだろう。相手をほんろうする方法が今のところそれ以外思いつかない。

そこまで考えて思った。翻弄する方法。振り回す方法。そうだ。

極限までテンションを上げる。テンポも上げて音数も増やす。戸村さんもノリノリだ。よし。いまだ。

私は高音の柔らかいアルペジオをひたすら弾いた。戸村さんの反応はとても早かった。一気にハイハットと時折のタムのみの演奏になった。

戸村さんがうずうずしているのが見える。ただしばらくはこっちに付き合ってもらう。アルペジオを弾きつつ左手でメロディーを弾く。中低音のメロディーラインはアンサンブルやオーケストラの演奏ではかなり重要だ。今回はキーボードとドラムだけなのでこの辺の采配は私に決定権がある。申し訳ないがここは私の独壇場だ。

戸村さんもいい加減飽きたのだろう。徐々にスネアを大きくしていく。いい加減あきらめて別作戦を考えるか。じゃあ陽動作戦だ。

アルペジオにデクレッシェンドをかける。最後のフレーズを弾き切ると戸村さんがくらいついてきた。戸村さんが今までのフラストレーションをこれでもかというほどぶつけてくる。やはりドラムが暴れると手が付けられない。でもこの感じ誰かに似ている。

ああ,あのときの浅井さんだ。

即興でセッションしたときの浅井さんはこんな感じだった。最初こそ高音で苦しそうにしていたものの,乗るとものすごくぐいぐい走っていく感じだった。それを追いかけるのが楽しかったというのはある。

しかし今は楽しんで追いかけるだけではだめだ。獲物を狙うチーターのように,走って走って追いかけ続ける。時折ロープを回しながら,時折舌なめずりしながら相手と持久戦を繰り広げる。そして。

音が一瞬空いた。今がチャンスだ。

そこからはもうこちらの連打。ひたすら和音をたたき続けた。その後はメロディーおよび主導権を奪還。ドラムは聞いているがもう聞いてない。こちらもこちらでかなり好きにしてしまっている。

暴走しても面白くないので少し戸村さんの様子を見るとこれはなかなか限界という顔をしている。ドラムは体力消費の激しい楽器だからまあ仕方ない。ただ今日は容赦しない日なのでこちらも緩めるつもりはない。

畳みかけるように連打とトリルを繰り返す。ふと,ドラムの音数が減った。なるほど。そろそろ終了の合図だ。デクレッシェンドもそこそこに最後まで私は音の強さをキープすることにした。キープして,キープして。

ハイハットが終了した一小節後,私も演奏を終了した。

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「市村さん…」
「ねえ…なんか今日の市村さんいつもと違う気がしたんだけど…」
ちなみに市村というのは私の名前である。
「確かにいつもよりは性格悪い演奏でしたねえ。ほかにいつもと違ったところがあれば教えていただければと。」
「途中のアルペジオ,絶対伏見さんの真似したでしょ?」
浅井さんご明察。途中相手を翻弄する方法を模索していた時真っ先に思い浮かんだのが伏見さんの演奏だった。
彼女の演奏は決して力強くはないが相手に有無を言わせないところがある。浅井さんも2人でのセッションで分かってきたのだろう。私はにやっと笑って答えた。
「伏見さんと二人でセッションしたことあればわかりますよね。」
「ええ…私普段あんな感じなんですか?」
伏見さんはやや驚いていた。相手が勢いづいているのにいきなり冷ややかな目線を送るような演奏が似ているといわれたらそりゃあ戸惑うだろう。
「厳密には伏見さんはあの場でああいう演奏はしないと思います。ですが,あの時の私には必要な演奏でした。体力温存目的もありますがあのままだとドラムの思うつぼだったので。」
「思うつぼってひどいなあ。それに結局僕のほうが早く限界が来たし。」
やっと口を開いた戸村さんはぜえぜえいっていた。
「陸人。バテバテじゃないか。」
「だって市村さんマジで容赦なかったんだもん。容赦のないセッションって言われた時も建成から聞いていた情報あったしここまでやられるなんて思ってなかったよ。」
「といいつつ最初のハイハットの時めちゃくちゃノリノリでしたよね。」
「まあね。君の本気がみられるかもってうずうずしてたら全然乗ってこないしこっちが我慢できなくていろいろ仕掛けてもつーんて無視されるし。そんでもってやっと乗ってきてくれて素敵な演奏だー!っておもったら今度は唐突にふわふわした演奏入れられるし,我慢できなくて暴れても全然ついてくるし,すきをついて主導権とられるし。もう君何者?ほんとすごかった。」
「…それで,期待に対する市村さんの演奏はどうだったんですか?」
伏見さんが戸村さんに尋ねる。めちゃくちゃ冷ややかだ。女性は怒らせると怖いというが,伏見さんも将来怒らせると怖いタイプの女性になる可能性が高いだろう。浅井さんも人生経験がそれなりにあるから理解していると思われる。なおあなたも女性だろうという突込みはなしでお願いしたい。

「…期待以上だったよ。正直こんなに翻弄されると思わなかった。それになんだか建成たちの時とは別の意味で生き生きしてたね。」
「それは俺たちの力量では引き出せなかったって言いたいのか?陸人?」
「まあそうとも言えるかな。僕としては満足なんだけど正直建成たちが今度フラストレーションためてるんじゃない?」

伏見さんと浅井さんの表情から間違いはなさそうだ。

「伏見さん,浅井さん,約束していたセッションができないのは申し訳なかったです…今度いつやりましょう?」
「…明日。」
「ええと,伏見さん?」
「明日!やりましょう。こんな演奏聴かされて,黙っていられるわけないです!」

伏見さんがやる気モードだ。これはもう大人が付き合わないといけないやつだ。

私と浅井さんは互いに苦笑しながら顔を見合わせた。

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