見出し画像

動くきっかけ

こんなtweetを発見した。

note界隈ではそのたゆまぬ継続と文章の温度感で有名なひらやまさんのtweetである。

この企画を提示されて真っ先に浮かんだnote記事がある。となればこの企画,乗らないわけにはいくまい。

今年始めたマガジン

話は変わるが今年始めたマガジンは計3つ。その中で芸術や文化を取り扱った記事をまとめたのがこちらのマガジンだ。

今年は感染症事情で大方の人の生活が一変してしまった年である。誰かが言ってた気がするが間違いなく教科書に載るだろう。自分が日頃触れている分野にとってもこれは大きな事案だ。その意味でも忘れられない年になってしまった。

仕事場では感染症対策を徹底し,マスクや消毒液を求める人と対峙し,新制度で混乱する中最善を尽くし,安全のため趣味の遠出もあきらめた。
趣味をあきらめたというとかなり痛手に聞こえるが,実際のところ他の趣味が広がったし貯金も進んだ。これを考えると,実はそこまで悪いことではない。
仕事に支障が出ると今のところ生きていけないというのと,こういう時こそそれなりに働かないと筆者は存在意義ないよなあと思っていた。そういうこともあり遠出をあきらめたことが大きな不満だったかといわれると案外そうでもない。

だがこのご時世こんな能天気な人間は圧倒的少数派である。それが身に染みて分かったのがこの記事を読んだ時だった。

芸術って大事だよね

本題に入ろう。多くの人に影響を与えた感染症事情だが,芸術文化を生業としている人間にとってもまたとんでもない年になってしまったのは間違いない。

数々のイベントや展覧会の延期や中止,緊急事態宣言等での活動制限,苦戦を強いられたのは彼らもまた同じだ。何なら陥った窮地のレベルは彼らの方が上だろう。そして先ほどのスージー・ワイ様の記事には芸術が不要なものととらえられることの危惧が書かれてある。

確かにそうだよなと理解できる部分はある。
衣食住が足らない状態で,自分たちの生活がままなるかわからない状況で芸術文化を語られてもそりゃあふざけるなと思ってしまうだろうし,もうそれどころじゃないという人が今年は増えたのは違いない。

だがそれらを生業にしている人間も生活が懸かっている。芸術が危機に陥っているのを見ていることしかできないのかと言われるとそれも何か違うような…と感じてしまっていた。

今の時代健康や感染症対策,医療において早急に解決すべき課題はある。それは確かだ。

健康は資本といわれることもあって,今年に入るまで健康や医療の安全はすべての土台だと思っていた。しかし実際は下の図のように文化や経済と医療の担保,教養はそれぞれ背中合わせのもので,バランスを保ちながら社会が成り立っているのではないか。そう感じることが増えたのだ。

画像1

遠出という楽しみを奪われ,家の中で時間を過ごすことが増えた今年は特にそれを強く感じた。
日々の生活を乗り切るのに日頃芸術文化の力を借りていた筆者としては,そして医療問題の渦中の端くれにいる身としては,薬や医療技術だけで人間らしい生活を送れる社会が作れるか,至極怪しいと感じるようになってしまったのは自然なことだった。

だが薬や医療技術以外の部分がなかなかまずいことになりそうであることがこの記事で分かったとき,何かしなければと思い冒頭のマガジンを立ち上げた。

たしかに芸術活動をしている人や見る人,それ以外の人の安全確保は大事である。これは譲れない。ただ感染症騒動が終わった後,この騒動のせいで芸術文化が弱った世界で生きるのはどうもいやだなあと思った。

今は筆者たちの心配をよそに新しい形式の音楽イベントや展覧会の再開もなされている。これ以上感染症で苦しむ人が出ないことも大事だし,感染症での苦しみというのは経済や文化的側面もあるのでそこも何とかしていく必要はあるだろう。昨今のgotoキャンペーンがそれに相当するというのは理解できる。(そういう筆者は実はgotoキャンペーンには賛成はしていない。恩恵を受ける人の対象が少ないように感じるからだ。)

心身ともに健康でいるには医療技術も大事,感染症対策も大事だ。ただ人間がおのおの豊かに生きていくためにはそれと同じくらい芸術文化も大事だよな。そう思った一年だった。

だから私はここでもう一度言おう。

「Art, culture, I will not abandon you.」

_________________

今回扱った記事は下記noteでも紹介してます。
よろしければこちらもお願いします。


よろしければスキしていただけるととてもうれしいです。ほかの記事もよろしくお願いします。