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やじろべえ日記 No.15 「着火」

その日,いつもと同じくらいの時間帯に公園へ行くと,海を揺蕩う船のような演奏が聴こえてきた。さすがに3回も聴けば誰の演奏かわかる。伏見さんだ。

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私は野良でキーボード弾きをしている人間だ。名前は市村という。学生の身分であることから昼間は学業がある。そのため放課後である夕方になったときに演奏をしている。

今日は講義が早く終わったので早めにいつもの公園に来たのだが,そこで同業であるキーボード弾きの伏見さんを見かけたというわけだ。
伏見さんはセッションを2回しただけの仲だがなんだかんだ話している。最後にあったのはあのセッションの時か。

そういえばその時に言われたセリフが今でも耳に残ってる。
『昨日と全く同じ人間なんていないですよ。』
なぜ記憶に残っているのかは全く分からないが,おそらく私にとっては何か心に刺さるセリフだったのだろう。

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いつ声をかけよかタイミングを見計らってると,彼女の方から声をかけてきた。

「こんにちは。」
「こんにちは。演奏の邪魔するつもりはなかったんだけど…」
「とんでもないです。またお会いできてうれしいですよ。」
「それはどうも。」

この子と一緒にいるとどうもペースに飲まれる。これ,浅井さんが対応するとどうなるんだろう。ちょっとその2人での会話を見てみたい。

「今日は何を弾いていたんですか?」
「『舟歌』っていう歌です。あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている感じが好きなんですよ。」
「…前から思っていたけど,あちこちさまよったり,揺らめいている感じの曲が好きなんですね。」
「はい。よくそういう曲を選んで弾いてます。」

実際,彼女の雰囲気にすごくあってると思う。

「そういえば,伏見さん,お願いしたいことが…」
「あ,そうだ!市村さん,良かったらまたセッションしてください!」
「…は,はい…」

やっぱり彼女のペースには乗っかるしかない。

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「さて,何の曲をやりましょう?」
「蝶の曲!もう一回やりましょう!」

蝶の曲というのは少し前に伏見さんとセッションした時にやった曲だ。ちなみにその曲は2日連続で弾いたが伏見さん曰く「初日は迷子の子供みたいだったが2日目は寄り道を楽しんでいる様子に見えた。」とのことだった。

そういうことであればもう一回やってみよう。
「わかりました。やりましょう。」
「じゃあ,最初に市村さんお願いします!私はそのあとはいりますね!楽しみだなあ。」

彼女が何を楽しみにしているのかわからないが,ひとまず弾いてみることにした。一通り弾いた後,伏見さんに入ってもらうとやはり先日のい入り方とは少し違っていた。

「今日の私は,伏見さんにはどう映っていましたか?」
「うーん,前の二回は晴れていた感じですけど,今日は晴れてはいなかったですね。曇っている感じでした。」
「それで今日は単調気味に入ってきたんですね。」
「はい。ところでなんかありました?少し暗くなっている感じがしたんですけど…」

暗くなっている…

「私の気持ちが,ということですか?」
「はい。なんだか薄暗くなっている感じがしたので。もしかして何か悩みとかですか?」
「悩み…じゃないんだけど,伏見さんに頼みがあって。」
「頼み?」
「そう。これからも何回か一緒にセッションしてくれないかな,っていうお願いをしようかと思って。」
「塾もあるので毎日は難しいですけど,週に何回かならいいですよ。」
「ありがとう。」
「それにしてもなんで改まってそういう話を?いつも一緒にセッションしている人,いますよね?」
「ええと…」

私は昨日会ったことをかいつまんで説明した。

「なるほど…自分の演奏が日ごとどう変わっているかをきちんと知りたい…」
「そう。だから一緒に弾いて自分の演奏がどう変わっているか,教えてほしいんだよね。さっきみたいに。」
「なるほど…それはかまいませんよ。ただ,私から一つ聴いてもいいですか?」
「はいどうぞ。」
「どうしてそこまで,『変わっていること』にこだわるんですか?」
「え?」
「昨日と全く同じ人間なんて,いるわけないって私は思うんですよ。」
「…たしかにそうですね。」
「だから,なんでそんな当たり前のことにこだわるんだろうなって疑問に思って。」
「…私,いろいろな人とセッションしても続かないんですよ。」

伏見さんに言ったってどうしようもないのに,口が勝手に動いてしまう。

「私,いろいろな人と一緒にセッションしてみるんですけど,だいたい『なんで昨日と同じようにしてくれないの?』って言われるようになって。最終的には『ついていけない』って言われてお別れすることが多かったんだ。それでサークルでも孤立した。ある人と話して演奏が日々違うだけが原因じゃないかもと言われたんだけど。自分に足りないものがいまいちわからないから,少しずつ探していきたいんだ。」

話し終わった後,自分は自分に対してびっくりしていた。なんでこんなに饒舌に話せたんだろう。しかしこんな長文をいきなり語られた伏見さんはさぞかしぽかんとしているだろう…と思い伏見さんの方を見ると伏見さんは目を輝かせていた。

「市村さん,私感動しました!」
ん?
「協力しましょう!市村さんの自分探し!」
これは自分探しなのだろうか。でも足りない点を探すという意味では間違いでもないし…
「できる限り協力しますよ!明日もやりましょう!セッション!」

私はどうやら,一人の若者の心に火をつけてしまったようだ。

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