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その真珠の名は

 今日は満月。
 仕事帰りに見上げるとそこには目を見張るような白い月が浮かんでいた。午後に雪が降りだしたため,夜になって雲に隠れていない満月を見られるとは夢にも思わなかったのだ。
 残業の甲斐もあって素敵な夜空を見上げられたのだ。神様がくれたご褒美だろう。
 しかし自分はやはり強欲な人間である。残業の対価はお金と企業評価としてほしいものである。
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 さて,今宵の月は紺色のディスプレイに一つだけ大切に置かれた真珠を彷彿とさせた。もちろん,ほこりや塵一つない,手入れの行き届いたディスプレイである。
 この月をしっかり表現できる単語はないものか…。そこでなぜか自分の脳裏に浮かんだ言葉は「朧月」である。

脳裏に浮かんだ言葉の意味

 唱歌でも有名なこの言葉の意味は「水蒸気などに包まれて,柔らかくかすんで見える春の夜の月。(デジタル大辞泉より)」
 話がそれてしまうが,好きな唱歌に「朧月夜」がある。確か小学生の頃に習ったと記憶している。歌詞が変にこびている感じがしないので好きなのだ。
 小学校で習う歌は大方が「みんな仲よくしよう」だったり「平和をねがう」だったり,ある種子供たちに「このような考えを知ってほしい」「できればこのような考えを抱いてほしい」という指示を感じてしまうことが多かった。ひねくれものにとってみれば好きになれなかったのは明白である。明るい曲は決して嫌いではない。しかし無理やり陰キャが陽キャを演じているような,歌詞と曲調が合っているようでマッチしていないと感じる曲は苦手だった。
 そんな中,この曲は春の月夜,あるいは前後に映される情景を淡々と表現していた。そして歌詞に合わせた曲調も穏やかではあるものの春特有の生命力を表現するため静かになりすぎない雰囲気を持っていた。この絶妙な組み合わせが小学生だった筆者には優しく,心地よく響いていたのだ。

朧月は不正解


 話を元に戻すが,なぜ自分が今宵の月を見て「朧月」という単語を思い浮かべたのか。断っておくが今宵の月はどう考えても朧月ではない。朧月はそもそも春の季語であるし,朧月の特徴である「柔らかくかすんで見える」を今宵の月は満たしていない。


 ではなぜか。
 古来より人々は月を眺め,あらゆる芸術や物語を紡いできた。日本最古の物語「竹取物語」しかり,今回取り上げた「朧月夜」しかり。月を題材にした物語や歌はまだまだこの世に満ち溢れている。
 ならばこの月を表す単語もすでに作られているのではないか。春に見える,シルク布をまとった真珠を「朧月」と表現したように。
 この冬に見えた,塵一つないディスプレイに飾られた真珠も,先人が表現したのではないか。

今宵の真珠の名を探せ


 そう思って調べること数分。ぴったりな単語が見つかった。
「寒月」
 読み方は「かんげつ」。意味は「冬の夜の冷たくさえわたった光の月。(デジタル大辞泉より)」意味からも想像は着くだろうが,冬の季語である。
 確かに今宵の月はまわりの余分な熱を奪う宝石だった。冷たくさえわたるという表現はぴったり。そしてその冷たさが,宝石の存在感を増幅していた。
 冬の夜空は他の季節に比べて空気が澄んでいる。その空気がさらにたった一つの宝石を引き立てている。空の余分な塵が減るほど,台座の色の濃さがはっきりするほど,真珠の独特の輝きは目に留まる。宝石と台座,純白と紺碧。この大差が光と闇,相反する二つの存在の境界線をよりはっきりさせていくのだ。
 
 やはり先人は春霞と月の組み合わせに風流を見出したように,孤独にぽっかり浮かぶ冬の月にも美しさを見出し表現しようと言葉を残していたようだ。

不正解は道しるべ

 それにしても少し調べただけでこんなにぴったりな言葉が出てくるのに,どうして最初に出てきた言葉が「朧月」だったのだろう。考えてみれば真冬に見た月を見て春の季語を思い浮かべてしまったのだ。自分に対して笑えてくる。
 しかしながら,この言葉がなければ「寒月」という言葉にも出会えなかった。春の朧月も好きだがこんな風にくっきりと輪郭が見える寒月も大好きである。
 それを示す言葉を見つける,いい機会になった。新しい言葉へ導いてくれたこの言葉,やはり好きである,朧月。

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