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やじろべえ日記 No27 「根性」

「市村さん,すごいねえ,あの二日間でここで仕上げてくるなんて。」
「ほんとですよ。何練習したらこんなに変わるんですか?」

私にこう話しかけてきたのはボーカリストの浅井さんとキーボード奏者の伏見さんだ。そして市村さんというのは私のことである。

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わたしはキーボード弾きをしている学生だ。名前はさっき書いたとおり市村という。

普段は放課後公園でキーボードを弾いていることが多いが,今日は浅井さんがお世話になっているライブハウスのご厚意でスタジオを借りて練習している。練習場以外でのこういう場所での練習は初めてなのでワクワクがおさえられない。

昨日の話し合いで急遽3日後…いやもう2日後か。その本番に出ることになった私たち3人。一緒にしていたセッションの曲も2日連続の個人練習の成果で形になってきた。

「この2日間でここまで変わるってすごいや。何練習したの?」
「…まずはお二人が乗って動いても大丈夫なように安定感を出そうとしました。テンポのキープをひたすらメトロノームで合わせて,音も太くなるように指とか工夫しました。弾き方ひとつで少しずつ変わってきますからね。」
「運指が変わってると思ったらそういうことだったんですね。ちなみに序盤がクリアで聴きやすくなったのも何か理由が?」
「そこもテンポかな。二人に提示する場所だから入りやすくしないとって思って。」

この2人はうんうんと聞いてくれる。すごい。今までセッションしてもこういう話をポンポンできる場所ってなかった。

「さて,曲も大方改善しましたし,一回通してみましょうか?」
「そうしようか。」
「はい。」

そして一度合わせてみることに。冒頭は私だけ弾いて少ししたら伏見さんが入ってくる。伏見さんは相変わらずあたりをさまようような弾き方をする。だったら私はそこまで動じずに淡々と弾くだけだ。そして浅井さんが入ってくる。

浅井さんが入ってきたら一瞬伏見さんは退場する。しかしそのあと畳みかけるようにすぐ入ってくる。粒がどんどん散らばっていく。しかしその粒は決して主役の邪魔はしない。
伏見さんが畳みかけるのは私の案だった。私はどうしても基盤を作る担当になっているので浅井さんが入った後の場面変化は大きくはできない。そこで伏見さんの出番ということになる。伏見さんはパワフルさや力で訴える感じの演奏ではない。その点では浅井さんも実はパワーよりノリの良さが売りなので相性はいい。そこでアクセントになるところ以外を弱めに弾いてもらってアクセントで思いっきり目立ってもらうことにした。

作戦はうまくいったようで伏見さんの合いの手はしっかり機能しているみたいだ。そして少しおとなしくなる。ここで浅井さんもスイッチが入っているみたいだ。浅井さんは歌いながら力をためている様子。そしてその間わたしは綱渡りのごとくサビまでをつなげる。

サビになった。いまだ!と言わんばかりに浅井さんが畳みかける。ここで伏見さんも本気を出す。二人がしっかり暴れられるように私も音量と圧力を挙げていくことにした。

ワンコーラスが終わったらクールダウンと言わんばかりに伏見さんがつなげる。伏見さんは繊細な,夜会のようなメロディーを弾く。伴奏はあくまでおしゃれに,上品に。

となった場合私もおとなしく,クールにでも眠くならないように弾くのみ。そしておとなしくしているだけの人間に人間は興味を抱かない。淡々と次の準備を進めるのは私の役目だ。

明けない夜はないように伏見さんの演奏にも終わりが来る。朝日をさすときにいるのは私と浅井さんだ。私はだんだん夜明けへと持っていくため伴奏のテンポを少し上げる。伏見さんが弾き切ったらすぐ,私が盛り上げてそして。

浅井さんのラスサビ。伏見さんも今まで以上に畳みかける。遠慮なく殴りかかっても破綻しなくなったのは大きな成長だろう。

そして二人は先に演奏を終え,私も少し後に幕を下ろした。

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弾き終わった後,最初に口を開いたのは浅井さんだった。

「すごいよね。君がベースになるとここまでまとまるもんなんだ。」
「まあそこまで大きな仕事してる感はないですけどね…」
「いやでもすごいや,市村さん。たった2日でここまで持ってくんだもん。」
「そこまでほめても,本番はどうなるかわからないですよ。」
「そうですよ。本番には魔物がいるんです。油断は禁物ですよ。」
伏見さんも口をはさむ。
「魔物かあ…あの本番の時も言ってましたね。」
「あの本番?」
「浅井さんが新人の前座やったあの本番ですよ。」
「ああ。あれか。」
「でも伏見さん,あの時の魔物だって浅井さんが仕組んでたようなものだし,多分今回も魔物が出るとしたら浅井さんの仕業だと思うよ。」
「市村さん,気持ちはわかるけど何のフォローにもなってないよ…」

伏見さんは少し笑いながら譜面を見ている。自分の意味わからない発言で笑っているのだとしても仕方あるまい。さっきから力を入れているのはおそらくこの演奏を成功させたいからだろう。それはここにいる3人全員一緒だ。

「3人の曲は大丈夫そうですね。ではほかの曲もやってみましょうか。」
「そうだね。」
「はい。」

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