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人助けは義務でもなく手柄でもなく、必然だった話

会社帰り、疲れてウトウトしかけていたが、降車する駅が近づいていきた。
電車内は混んでいたが、大体いつも座れる。
重い腰を上げて降車しようと扉の前に並んだ。
ふと見ると、年配の男性が小さな歩幅のすり足で扉に向かっている。
足元がおぼつかなくフラフラしている。今にも転びそうだ。

駅に着く直前ブレーキがかけられ、車内が一瞬大きく揺れた。
案の定、男性は後ろによろめいた。
一瞬、私は後ろに駆け込んで、男性の腰を持って支えた。

男性はなんとか転倒することなく、何事もなかったようにさっさと電車を降りて行った。
男性は。かなり高齢だったようで、支えてもらったことに気づかなかったようだ。自分の筋力で踏ん張れたと思われたのだろうか。

別にお礼を行ってもらいたかったわけではなかったが、なんとなくスルーされた感はあって、少しだけ寂しく感じた。
ただ、咄嗟に自分が動けたことにびっくりした。
職業柄とはいえ、50のおばちゃんの反射神経も捨てたものではない。


いつだったか、スーパーで買い物中、レジに並んでいる前のお客さんが急に倒れた事があった。
夫と一緒だったが、二人ともどうして良いのか分からず、呆然と立ち尽くしてしまった。
すると、隣のレジに並んでいた女性がすぐに駆けつけて、あっという間に心臓マッサージを始めた。

「すごいね」

実は、夫も私も仕事場で救命救急の講習を受けた事があったが、その時は何もできなかった。
お店の人がAEDを持って来て、救急隊員が駆けつけるまで女性は心臓マッサージを続けていた。
それは、普通に、当たり前の事として行動しているようだった。

「看護師さんだったのかなあ」


「助ける」という行為は、義務ではない。
助ける自信がない時、助けることに二の足を踏むこともある。
それは、決して悪いことではないとは思う。
ただ、その時は自分たちの無力さを痛感してしまった。

助けることによって、逆に悪い結果を産んでしまうとか心配になる。
助けることで自分の命が危うくなるとか、そういう場合は二次災害を防ぐためにも動かないほうが良い場合だってある。

それに、助けたからといって、何か見返りを求めるのも違うはずだ。
赤の他人に対しても、手を差し伸べられる社会が健全な世の中で、人として当然のことなのだろう。


助けられた人が、助けられたことに気づかなくても、当然のように行動する。
電車のでの出来事は、少しだけあの時の女性のように行動できたようで嬉しかった。
助けることは、義務でもなく、お手柄でもなく、当然の事であるべきだと私は思う。

とはいえ、昨今の社会情勢。人と人との関わりが希薄になっているようにも思う。
こんな時だからこそ、助け合いの精神が必要だと思うのだが。


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